2003年07月10日

国立大学法人法の成立

国立学校制度を廃止する国立大学法人法等が2003年7月9日の参議院本会議で、投票総数232:賛成131反対101により可決され成立しました。

衆参両院とも審議が核心に到らないままの強行採決でした。文教科学委員会でも、質問への答弁がない事項を残したまま大野つや子委員長の職権により強行採決が行われました。同委員会における23項目の付帯決議は、欠陥法案と認識しながら行政の言うがままに法案を強行採決で通した与党の科を軽減するものではなく、むしろ、立法府の専門委員会としての使命遂行を軽視した与党の科を歴史的に証言したものになっています。

法案成立にいたるまでの4年間の検討過程でも、政・官・産の意思は十二分に反映されましたが、国民の意思も、教育研究の現場の意思も、真剣に問われたことはなく、多くのパブリックコメント も棚ざらし同様に放置されました。主要メディア(NHK・読売・朝日・毎日)は、国立大学法人法案の国会審議が紛糾していたことを最後まで国民に伝えませんでした。このように、国立学校制度の所有者である国民のインフォームドコンセントがないまま、国立学校制度を廃止し全国立学校を政府の受託会社に格下げする手術の断行が決定されたことは、日本の将来にとって憂うべきことです。

管理者は、「独立行政法人化は既定事実」という大学の雰囲気に疑問を持ち、また、「独立法人化で大学の自由度が増す」という政府広報を繰り返すメディアの情報操作に抗し、蟐螂の斧のようなページを作り維持してきましたが、国立大学の独立行政法人化が国会で決まり、このページの使命は終了しました。しかし、インターネットによる多様な情報交換の手段が、個々の大学を越えたボトムアップな情報機構を大学社会に形成し得ることがわかったように思います。大手メディアが支配する情報構造を通して常時おこなわれている多様な情報操作を無効とする情報システムが、これを契機として生長していきますように。




国立大学を独立行政法人化する方針が密室で「決まった」のは4年前です。


独立行政法人制度は「小さい政府」を目指す行財政改革の中で、国家機関外部化の過渡形態として設計されたもので、3〜5年毎に各独立行政法人の存続・民営化・廃止を主務省総務省が判断することになっています。定型業務を担う国家機関を想定して設計された独立行政法人制度を大学に適用することについては関係者の多くが疑念を持ち、旧文部省は2000年7月に調査検討会議を設け60名の「協力者」と共に、大学向けに独立行政法人制度を修正することを検討し、同会議は2002年3月に、国立大学法人制度設計の大枠を示す最終報告をまとめました。国立大学関係者の主要な要求をことごとく退けた報告を、国大協は同年4月19日の臨時総会において異例の強行採決で了承し、それを受け文部科学省は2004年4月法人化を目指して準備を進め、2003年2月28日に国立大学法人法案が閣議決定されました。4月3日から始まった国会審議では多くの問題点が指摘され、また、国立大学関係者から多くの反対の声が上り、会期末までに成立しませんでした。しかし、イラク派兵のための会期延長があり、7月9日に成立したことは冒頭に述べた通りです。

国立大学法人法によれば、国立大学法人と独立行政法人との違いは微小に留まる一方、学外理事を含む少人数の役員会を最高意思決定機関とするトップダウンの経営体制を義務付け、さらに学外者を過半数含む経営協議会を経営に関する審議機関としました。また、国が国立大学法人を設立し、国立大学法人が国立大学を設置することとなり、さらに、全教職員が非公務員化となりましたので、学校法人との違いは、政府補助金が最初は多いこと、政府による徹底した管理と学外者経営により大学自治が抹消されることの2点だけと言えます。

国立大学法人発足時は国が現状のまま歳費の6割程度は出資すると予想されますが、それ以外の点では、企業会計原則の導入や企業に近い経営形態にとどまらず、債券の発行も可能になるなど、非営利法人である学校法人を越えて、営利大学に近いものとなっています。

国立大学が、国立大学法人が設置する大学となり、「評価」に基づく改廃や予算額の増減が制度化されて経営基盤が不安定になるため、役員会は、企業からの寄付講座や資金援助を受け入れるために、また、志願者を確保するために、即効的成果が確実に期待できる研究活動や、人目を引く派手な教育活動を最優先することを余儀なくされます。こうして、学長も構成員も、真に創造的な経営・教育・研究活動 の持つリスクをとることは困難となり、確実に成果が上る活動が大学全体を覆い尽すことを避けることは困難となります。サバイバル的競争的環境で活性化する活動は、創造的活動ではなくロビー活動や学内での政治的闘争であり、そこでの「勝者」に必要な要素は抜け目なさと体力ですが、それは創造力とは無関係な要素であることを否定する人はいないでしょう。これでは、日本が知的社会となる道lは塞がれたも同然です。


独立行政法人化により、政府による大学の直接的コントロール強化や財界・産業界からの「使途限定出資」への依存度増大がもたらす教育・研究活動の「寡占化」・矮小化のデメリットよりは、大学教職員に意識改革をもたらすことのメリットの方が大きい、という考えが政治家・官僚・企業人・ジャーナリストの一部に見受けられました。現在の国立大学は多くの問題を抱えていますが、それは、職員の失職・降格への不安をかりたてたり、高い報酬への欲望を募らせることによる「意識改革」で解決できるような種類の問題ではありません。そのような、人の尊厳をないがしろにする手段は、問題を悪化させるものでしかありません。教育や研究などの創造的な精神活動を支えているものに関心がない人達が行ってしまった外科手術の結果は悲惨なものとなるでしょう。

現在の国策に近い分野の人達も含め、ほとんどの大学関係者は、国立大学法人化により大学の基本的機能が損われるだけでなく、本当に必要な大学改革への道が閉ざされることを再三再四警告してきました。警告が国民の耳には届かず、国立大学法人法が成立したことは、日本のために悔やまれます。

tjst |7月10日 |URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000005.html |国立大学法人法
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