[AcNet Letter 98] 投稿「人質自己責任論の恣意性と危うさ」
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Academia e-Network Letter No 98 (2004.04.18 Sun)
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━┫AcNet Letter 98 目次┣━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━
【1】 白井厚氏「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」抜粋
http://ac-net.org/dgh/01/901-shirai.htm
日本経済評論社 1996.12.8 ISBN 4-8188-0903-9
□その精神状況というものは、大学としては自滅ではな
かったんだろうか。だから大学ははたして大学だったの
だろうかということです。□
【2】 転載:緊急共同声明の賛同呼かけ
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html
□このような世論形成は、人命を軽視した安易な武力行
使や実力行使を正当化させかねず、NGOなどによる海外
での活動を大きく制約しかねないという危機感を大変強
く持っています。□
【3】投稿「人質自己責任論の恣意性と危うさ」
Sat, 17 Apr 2004 03:14:11 +0900
□3人は自分自身の国境を超えた博愛の実践活動の実績
で自分の身を守ったといっても過言ではないのです。□
【4】「自己責任論」を巡る言説
【4-1】 Publicity 904 「陰惨なイジメ大国」ニッポンの本性を撃て
http://www.emaga.com/bn/?2004040047191840021235.7777
Publicity 登録ページ:http://www.emaga.com/info/7777.html
【4-1-1】 松沢呉一氏の意見
□戦地に取材に行って死んじゃった人たちはこれまでに
もいっぱいいますが、こういう人たちに「自業自得」な
んて言葉を投げつけるのなら、命がけでビデオを回し、
写真を撮り、記事を書いている人たちに失礼だから、二
度とニュースや雑誌を見なさんな。□
【4-1-2】 Publicity 編集者の意見
□“「いじめられる側にも理由がある」という「論理」
が「暴力」になる、という論理”を理解できない人のこ
とを、「日本人」と呼ぶのだ。それをどう変えるかとい
う問題だ。□
【4-2】ルモンド 2004.4.16 「日本:高揚する人道主義」(抄訳:橋本尚幸氏)
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/E2083218708/index.html
□この出来事は日本の若者の間において利他主義の価値
観が強まっていることを示すものである。・・・・本当
の日本の強みとか創造性は、経済指標には現れないこう
した市民活動にあるのである。□
【5】お便り紹介
【5-1】Fri, 16 Apr 2004 08:55:27 +0900
□ ”もっとも重要な正義の諸概念は,世界はいかに運
行すべきかに関する特定の公式から導出されるものでは
なく,誰の眼にも明々白々な根深い不正義(patent
injustice)を,一つ一つ暴いていくことに見出されるで
あろう(Amartya K. Sen (後藤玲子訳))”□
【5-2】Sat, 17 Apr 2004 11:33:24 +0900
□経営協議会学外委員の中から「もはや学問の府ではな
くなった」という発言があったと聞き驚いています。□
【6】 ネットからのクリップ
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━ AcNet Letter 98 【1】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
白井厚氏「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」抜粋
日本経済評論社 1996.12.8 ISBN 4-8188-0903-9
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818809039/hon-22/249-5420018-2114769
抜粋: http://ac-net.org/dgh/01/901-shirai.htm
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(2001.9.3 http://ac-net.org/wr/wr-66.html#[66-7-2] 再掲)
「・・・大学の目的は、こういった教育・研究を通じて、長期的に
人類の将来の幸福に貢献するものであると考えられます。このへん
が国の政府の目的とは違うわけです。国の政府ですと、関心は個人
の権力やナショナル・インタレストであります。今の政権がいつま
で続くか、次の議会をどうやって乗り切るか、今度の戦争をどうやっ
て勝かというような問題でありまして、常に短期的な利害というも
のを考えなければならない。しかし大学はそういう目的に奉仕する
のではなく、長い将来にわたって人類の幸福ということを考えなけ
ればならない。大学の目的と国家の目的は違う。基本的に矛盾しま
す。・・・・
□ 五十年目の大学評価 p27
大学というのは高等教育機関ですね。去年のわだつみ会の八・一五
の集まりの時だったかと思いますが、当時の日本人がみんなお国の
ために夢中になって戦争に協力をしていた。・・・それに対する疑
問をもった人は非常に少ない。それは教育の効果である、という話
があった。しかしそのときにどなたかが、しかし大学の教育として
は失敗ではないかと発言されて、私はなるほどなと思いました。
大学だけを特別視するのはおかしいけれども、もっとも批判的な精
神を涵養するところが大学であろうと思います。その大学の学生も
教授たちも、戦争目的に対する批判的な見解というものはほとんど
もたなかった。もったごく少数の人は牢獄に入れられた。しかしそ
れ以外の人はほとんどもたなかった。あるいはもとうとしなかった
という、その精神状況というものは、大学としては自滅ではなかっ
たんだろうか。だから大学ははたして大学だったのだろうかという
ことです。小学校なら国定教科書で教えるわけですから、やむをえ
ないと思います。しかし大学には国定教科書はありませんし、まが
りなりにも学問の自由とか言えるような時代に、しかも意外に敗戦
の間際までけっこう自由にしやべっていた人もいる。学生などもけっ
こう自由に動きまわっていた例も幾つもありました。そういうとき
に積極的にこの戦争目的に対する疑問がほとんどどこからも提起さ
れなかったということは、大学としての自滅ではないだろうか。そ
こで、記億に残る大学教員の発言リストをつくったのは、50年目
の大学評価ではないかというふうに思っています。
□ 大学の責任と反省
・・・政治に対する批判とか、真理の探求とか国際情勢の分析とか、
そういう本来大学がやるべき使命を完全に放棄してしまった責任、
そういうものをいったいどう考えるのであろうか。このことが戦後
行うべき大学の一つの仕事ではなかったかと思います。
・・・戦後二、三十年ぐらいで、落ち着いたところで大学は大学と
しての戦争責任というものを自分で整理をする作業をやるべきでは
なかったか。今となっては若干遅きに失した。しかし今からでも、
やらないよりはましかもしれません。大学によっては、かつては右
翼の大学として有名だった大学が、非常に反省して、がらりと内容
を入れ替えて、平和のために、戦争を二度と起こさないために努力
している大学もあります。全然そういうことを考えない大学もあり
ます。大学の評価というのは、いろんな点でなしうることだと思い
ますけれども、過去を正確に調査して、誤りを二度とくり返さない、
そういう決意をもつ、そのための手段をもつ、そういう大学が、将
来ともに生き残るべき優れた大学ではないだろうか。逆に言います
と、そういうことを一切行うつもりがない大学は、世の名声にも関
わらず、学生の偏差値にもかかわらず、大学としては、真理を追求
すべき社会的責任をもつ大学としては失格ではないかと思います。
戦争責任の前に社会的責任があります。・・・・」
(*1) 1994年8月15日、飯田橋の家の光会館ホールで開かれ
た日本戦没学生記念会〔わだつみ会〕主催の講演会記録。「きみと
語りたい、私の8・15−−日本人それぞれの戦争責任−ー」とい
う共通テーマの中で、大学の責任を論した。同年2月発行の『わだ
つみのこえ』No99に録音記録を掲載。)
━ AcNet Letter 98 【2】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
転載
緊急共同声明の賛同呼かけ
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html
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非政府組織(NGO)、市民運動団体、ジャーナリスト団体およびこれ
ら団体に携わっている多くの皆さんに呼かけます。イラクにおける
人質事件をきっかけに、政府やマスメディアの一部から「自己責任」
を問う声が非常に強くなっています。こうした動きは政府から独立
して活動する私たちにとって見過ごせないと考え、以下のような声
明を出しました。是非ともこの声明にご賛同ください。(賛同の方
法、現時点での呼かけ団体(個人)および賛同団体(個人)は末尾
にあります)
(お願い)共同声明の原案の段階で呼かけ・賛同団体(個人)にな
られた方で、リストにお名前がない方がいらしゃれば至急おしらせ
ください。お手数ですがよろしくお願いします。追加訂正はウエッ
ブ版で行います(集約係 小倉/呼かけ人)
(回覧をお願い致します。回覧期間 2004年4月21日)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■(共同声明) ■
■「自己責任」論による非政府組織(NGO)、市民団体、ジャーナリ ■
■スト等の活動への批判に憂慮します ■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
わたしたちは、世界中の人々との草の根の交流、人びとの生活や人
権などへの支援活動、ジャーナリストとしての活動などをおこなっ
ている非政府組織(NGO)、市民団体やこれらに関わる個人です。わ
たしたちは、イラクにおける人質事件以降、政府および一部のマス
メディアが今回の人質事件の原因を危険なイラクに出向いた被害者
たちにあると批判し、事態の責任を「自己責任」の名のもとに、現
地で活動しているNGOや個人に転嫁しようとしていることに大きな
憤りと悲しみを感じています。(注)
このような「自己責任」論は、NGO等として紛争地域などで活動す
る人たちの人命が危険にさらされるような事態になったとしても、
それは当事者の責任であると考えるあやまった世論をつくり出して
しまいます。このような世論形成は、人命を軽視した安易な武力行
使や実力行使を正当化させかねず、NGOなどによる海外での活動を
大きく制約しかねないという危機感を大変強く持っています。
政府や一部マスメディアが主張する「自己責任」論は、自律した個
人が自らの責任で社会活動をすることの意義を意味するという、そ
の本来の意味をすりかえにしています。そして、人質の人たちとそ
の家族を、そのようなまちがった「自己責任」論によって批判する
ようなことはすべきではないということを強く訴えたいと思います。
紛争地域などでのNGO活動には多かれ少なかれリスクは伴います。
このことは、海外で活動する人びとにとっては十分理解されていま
す。武器をもたずに、どこかの国家の組織に属することもなく、イ
ラクの人びとの安全や人権を守り、真実を伝えるために危険な地域
におもむいた人びととその行動を「自己責任」論を持ち出して批判
することはできません。ところが、現在、政府や一部のマスメディ
アが批判のために持ち出している「自己責任」論は、紛争地域での
NGOやジャーナリストなどの活動を萎縮させて閉め出し、その独立
性を失わせ、ますます地域の不安定を助長することになりかねない
のです。
はたして自衛隊や日本の政府がNGOにかわって劣化ウラン弾の被害
の調査を行ったり、貧しい子どもたちを支援するといった活動を行っ
てきたでしょうか。また、政治的な理由に左右されることのない人
道支援を行えるでしょうか。戦争の被害を当事国の利害や国益にと
らわれずに正確に把握することが果たして戦争の当事国にできるも
のなのでしょうか。国連のガイドラインでも、人道および軍事活動
間の明確な区別を維持するために、軍事組織は直接的な人道支援を
すべきではないという基準を設けており、紛争地域で中立な立場で
人道支援できるのはNGOだということが確認されています。これに
反して、「自己責任」論は、人道支援の軍事化を促し、人びとの安
全をますます損なう結果となることに強い危惧を持つものです。
NGO や市民団体は、政府や軍隊には出来ない多くの分野で支援の実
績を達成してきました。この事実は正当に評価されるべきことであっ
ても、「自己責任」の名において批判されるべきではありません。
あるいは、戦時のマスメディアがどれほど戦争の真実を伝えてきた
でしょうか。軍隊や政府の庇護を受けないフリーのジャーナリスト
の報道は不要だといえるでしょうか。検閲や自主規制にとらわれな
いフリーのジャーナリストが戦争の真実を伝えるために、報道の自
由に果たした役割ははかり知れません。
私たちは、政府や一部マスメディアによる「自己責任」論に基づく
人質とその家族の皆さんへの批判はいわれのないものであって間違
いであり、これを撤回することを強く望むものです。そして、現在
のイラクの状況から、人道支援の最大の障害は軍隊なのだというこ
とがあらためて明らかになっているということを強調したいと思い
ます。日本政府が自衛隊をいち早く撤退させ、米国や連合国にも軍
隊の撤退を働きかけかけることこそが、イラクの人びとの生活と生
命の安全を保障し、NGOなどの援助活動、人権監視活動、ジャーナ
リストとしての活動の安全を確保するもっとも確実な方法なのです。
(注)「自己責任」論についての政府、報道機関の言及の一例
外務省の竹内行夫事務次官の発言「非政府組織(NGO)メンバー
によるイラク国内での活動について「自己責任の原則を自覚して、
自らの安全を自らで守るということを考えてもらいたい」
『日経』4月13日社説 「自己責任がイラクにおける基本的な行動原
則である」
『読売』4月13日社説 「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任
な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。
深刻に反省すべき問題」
=======切り取り線=======
「(共同声明) 「自己責任」論による非政府組織(NGO)、市民団体、
ジャーナリスト等の活動への批判に憂慮します」に賛同します。
お名前
所属
連絡先(メールかファックスをお書き下さい)
なお、いただいた賛同署名については、お名前と肩書きを公表いた
します。連絡先は公表されません。
===================
●賛同署名の送り先および問合わせ先は下記です。
賛同署名の送り先
電子メール jikosekinin@freeml.com
ファックス(ピープルズプラン研究所)03-5273-8362
電話での問合わせ先
070-5553-5495 (小倉/WSF連絡会)
メールでの問合わせ先
ウエッブ上でのアクセス((WSF連絡会ウエッブサイト内)
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html
呼かけ団体/個人および賛同団体/個人のリストはこちら:
http://www.jca.apc.org/wsf_support/list.html
━ AcNet Letter 98 【3】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
投稿「人質自己責任論の恣意性と危うさ」
Sat, 17 Apr 2004 03:14:11 +0900
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人質自己責任論の恣意性と危うさ
3人が解放されるや、政府、一部の政党・マスコミから「人質自己
責任」論が沸騰し、救出費用自己負担論さえ台頭しています。私も
今回の3人のイラク入りが状況判断において問題なしとは思いませ
ん。
しかし、議論をそこに収斂させ、今回の人質事件をより大局的見地
から見ようとしない論調には政治的恣意性と危うさを感じます。
3人が解放されたのは、ご家族の献身的な訴え、内外の救出支援活
動、聖職者協会をはじめとするイラクの各界の方々の尽力によると
ころ大であったのはいうまでもありません。
と同時に、忘れてならないのは郡山さん、高遠さん、今井君がアメ
リカによる占領統治への協力者ではなく、逆に戦禍にあえぐイラク
国民の悲惨な実態を世界に伝え、支援の手をさしのべようとした日
本人であったことが正しく先方に理解されたこと―――このことが
3人の解放につながる大きな要因になったということです。この意
味で、3人は自分自身の国境を超えた博愛の実践活動の実績で自分
の身を守ったといっても過言ではないのです。
さらに背景を辿れば、こうした日本人の善意でさえも危険にさらさ
れる状況になった真因は、日本国政府が国連の枠組みでイラク復興
支援をという国際世論に背を向け、卑屈にもアメリカからの要請に
応える形で自衛隊をイラクへ派遣したこと、そのことがイラク国民
に、自衛隊、ひいては日本はアメリカによる占領統治への協力者と
みなされてしまったこと、にあります。
3人解放後のマスコミの世論調査によれば、自衛隊の撤退を拒否し
た政府の方針を7割以上の回答者が支持したと伝えられています。
その背景には自衛隊はあくまでも人道支援のために出かけたのだか
ら、という意識があるようです。
しかし、こうした国内世論を知るにつけ、私は今回の3人の解放に
尽力したイラク聖職者協会のメンバーが語った、「私たちの方が日
本の小泉さんよりも人質の方々を大切にした」という言葉の重みを
感じずにはいられません。さらに、3人が解放された今もファルー
ジャはアメリカ軍によって封鎖され、再攻撃の恐怖と電気、水道が
断絶した生活環境のなかにおかれていること、そして、ほかでもな
い日本国政府は一貫してこうしたアメリ主導の占領統治に世界有数
の支持を表明してきたこと、を忘れてはならないのです。前記の聖
職者協会メンバーが解放された3人に対して、ファルージャの実態
をぜひ日本の皆さんに伝えてほしいと託した言葉の重みを私たち日
本人が感受できないとしたら、あまりに悲しいことです。
実際問題でいえば、10日ほど前のテレビでサマワのある部族長が
自衛隊の今の活動について、「彼らは基地の中ばかりにいて何も支
援活動をしてくれない。12月まで待つが、そのときになっても今
のままなら、我々は黙っていない」と語っていました。これは、自
衛隊派遣の政治的経緯が人道支援の妨げになっていることの証左と
思われます。
人道支援をいうなら、自衛隊ではなく、電気、水道、建設といった
社会インフラの整備に通じた民間の専門家を派遣するべきでしょう。
彼らであれば、イラク国民に歓迎され、円滑に任務をまっとうでき
るはずです。それでも日本国政府が自衛隊にこだわるとしたら、そ
れは派遣の真の目的が人道支援にあるのではなく、アメリカへの忠
誠のアリバイ作りにあるのだというほかありません。
そこで、提案です。
次のようなことを訴える意見公告を全国紙に掲載することはできな
いでしょうか?
1.自衛隊は人道支援のために出かけたといわれるが、本当か?
現地でその任務をどれほど果たせているのか?
人道支援を実効的に行うための提案
2.人質自己責任論の国家主義的危険性と問題のすり替え
3.ファルージャをはじめとするイラク国内の恐怖と貧困の実態
掲載料が莫大であることは承知していますが、多くの賛同者を募る
ことは可能ではないでしょうか?
━ AcNet Letter 98 【4】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
「自己責任論」を巡る言説より
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【4-1】Publicity 904 Sat, 17 Apr 2004 04:26:08 +0900 (JST)
「陰惨なイジメ大国」ニッポンの本性を撃て より
http://www.emaga.com/bn/?2004040047191840021235.7777
Publicity 登録ページ:http://www.emaga.com/info/7777.html
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【4-1-1】 松沢呉一氏の意見
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Pubilicity編集者「そのなかに、胸打たれる一文があった。ぜひ全
文を読んでいただきたいが、一部引用する。」
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040416_687.html
まさに高遠さんは危険を承知しながらイラクに行かないではい
られない立場にあった人でしょ。
彼女を救出するために、イラクの人たちまでがビラ配りをやり
、「彼女の身代わりになる」と少年が言うくらいに信頼関係が
あったわけです。
彼女を「おかあさん」と慕って、写真を持って待っている子供
がいるのをわかっていて、「危険だから、もうイラクには行か
ない」で済むわけ?
済む人もいるんでしょうし、その判断に対して私がとやかく言
う立場にはないですけど、「危険があるのに」ではなくて、「
危険があるからこそ」、いてもたってもいられずに出かけて行
かないではいられない人がいることくらいどうしてわからんか
な。
冷酷と自覚する私ですけど、自分を「おかあさん」と呼ぶ子供
らを自分の子供のように感じる人に「死ねばいい」などと言う
ことはどうしてもできんです。
(中略)
高遠さんと同じ立場になってさえ「あんたたちは危険の中で生
きていってね。私は安全な国に帰るから。日本の自衛隊があん
たたちの家族を殺した米軍の手伝いに来ているからよろしくね
ー」って子供たちに言い残して日本に帰り、安全が来るまで家
でケツをかきながら寝ころんでテレビを眺めている人がいても
いいけど、そうはできない人の足を引っ張りなさんな。
「自業自得」なんてことは、家でポテトチップスを食いながら
テレビを観ているだけだから言えること、イラクにただ一人待
っている人がいないから言えること、イラクの人たちはその危
険を長期間強いられていることを実感できていないから言える
ことでしかないでしょ。
で、「自業自得」なんて言っている人々が屁をこきながらテレ
ビで観ているニュース映像はいったい誰が撮り、雑誌の記事は
誰が書いていると思っているわけ?
ロボットか。イヌとかネコか。それとも亀か。カメラマンや記
者が、危険なことをわかっていても現地に行っているからでし
ょうが。
そういった報道があるから、ファルージャで何が起きているの
かを不十分ながら知り、北朝鮮がどうなっているのかをさらに
一層不十分ながら知ることができるわけです。
テレビニュースの映像、雑誌の記事や写真の手前に人がいるこ
とくらい想像しましょうよ。危険を顧みない報道が、私らが考
え、行動することに、どれだけ役に立っているのかくらい想像
しましょうよ。
そういえば、「東京トップレス」(http://tokyotopless.com/)
の工藤君との対談で、「写真の被写体のことは考えても、写真
を撮っている存在については考えられない人たち」についての
話が出てましたが、この程度のことさえも想像できないくらい
に想像力が欠如している人たちって本当にいるみたいですね。
どうやればそこまで鈍感になれるのかについては、私の想像力
も及びません。
ずっと前に書きましたけど、あえて戦場に行く人たちにも当然
功名心はありましょうし、一般的な日本人より自分の死に鈍感
な人たちでもあるのでしょうが、そうであってもやっぱり私は
「ありがたい」「偉い」と素直に思えます。
戦地に取材に行って死んじゃった人たちはこれまでにもいっぱ
いいますが、こういう人たちに「自業自得」なんて言葉を投げ
つけるのなら、命がけでビデオを回し、写真を撮り、記事を書
いている人たちに失礼だから、二度とニュースや雑誌を見なさ
んな。
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【4-1-2】 Publicity 編集者の意見
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▼まもなく起こる情況に備え、少しでも3人とその家族を守る
防波堤になればと思い、ぼくは「いじめの問題は、いじめる側
に全責任がある」という、予め立っている立場を、再び書いて
おこうと思う。
「イジメは、いじめる側が100パーセント悪い」という意見
に対して、「はあ?いじめられる側にも、いじめられる何らか
の原因があるから、いじめられるんじゃないの?仕方ないよ。
いじめられる側にも悪いところがあるんだよ。なに言ってんだ
よ」と思った人がいるかもしれない。
少しでもそう思っている人に借問しよう。いじめられている子
に、「いじめられる何らかの原因」とやらがあったとしよう。
ならばあなたは、その子を「いじめる理由」「いじめる正当性
」を持っているのか?
「いや、私がどうするかという話じゃなくて、一般論としての
話だよ。私はいじめないよ」と言うか? 違う。これは「あな
た」の問題であり、「わたし」の問題だ。
“「いじめられる側にも理由がある」という「論理」が「暴力
」になる、という論理”を理解できない人のことを、「日本人
」と呼ぶのだ。それをどう変えるかという問題だ。
3人に対するだけの問題ではない。在日外国人に対して、難民
に対して、社会的に弱い立場に立っている人々に対して、えと
せとら、これは普遍的な問題だ。
「自衛隊派遣に反対」を表現した国民の自由を、国策のために
封じる自由を国家は持っていないし、持たせてはいけない。
「非国民」を容赦なく密告し糾弾した戦前の雰囲気を、ぼくは
知らないが、こういう雰囲気だったのかな、と思う。年配の読
者からの投稿をいただきたいところである。・・・・・・
▼「人でなし」は、自分が「人でなし」だと自覚しないから、
人でなしなのだ。
この状況下において、解放された3人とその家族に「自己責任
」を問う輩は、想像力が徹底的に欠如した「人でなし」だ。
老若男女問わず、「自己責任」狂いの愚を撃て!
それがニッポンという「イジメ大国」を、「共生の大国」へと
変える第一歩であり、橋頭堡であると信じる。
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【4-2】ルモンド 2004.4.16 (抄訳:橋本尚幸氏)
「日本:高揚する人道主義」
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/E2083218708/index.html
───────────────────────────────
「・・・阪神大震災以降、日本の高度経済成長期に生まれた子供た
ちは、日に日に人道活動やボランティアに数多く従事するようになっ
た。イラクで人質になった彼等の仲間もそうだ。
イラクで人質になった若い日本の三人は、イラクの泥沼の中で、善
意だけを頼りにいったい何をしようとしていたのか? 自覚がない
のか、それともナイーブなのか? 彼等以外に拘束されたと見られ
る二人の若者についても言えることだが、この出来事は日本の若者
の間において利他主義の価値観が強まっていることを示すものであ
る。・・・・・・
1970年から80年にかけて、日本人の若者でアジアの各地をル
ンペン旅行するものが居たが、彼等はごく少数派にしか過ぎなかっ
た。今日、日本では男女を問わず多くの若者たちが無数のNGO活
動に携わって海外に出かける。アフリカやアジアのとんでもない奥
地へである。大学生が夏休みに出かけるのもいるがフルタイムでそ
んなことをする若者の方がずっと多い。日本の世間は、三人の向こ
う見ずな錯乱した行いを執拗に非難して三人の家族を責めるが、多
くの親たちはいつなんどき彼等の子供たちが同じような行動に出な
いとは限らないことを良く知っているのだ。
すべての若者が夢を実現できるとは限らないが、日本列島は、こと
世界的な人道主義の高まりという動きの中で決してマージナルな存
在ではないのである。日本ではさらに高年者たちまでがNGO活動
に参入を始めている。それぞれ個別の活動は地味で小さいものの、
確実に日本で市民社会が形成されつつあることを物語っている。
世界第二の経済大国とかが世界の新聞の見出しをにぎわすが、本当
の日本の強みとか創造性は、経済指標には現れないこうした市民活
動にあるのである。
日本のNGO組織は欧米のものと較べると規模が小さくバラバラで
ある。地域性が強いのが特徴だ。規模が小さいからこそ多様性があ
り、それが強みともなっている。多様性があるからこそ連帯の精神
も生まれる。
・・・・・・日本が苦しんでいる長い経済不況は、生産性と経済発
展という60年代から80年代にかけて日本を支配した神話をうち
砕いた。おかげでその期間は端っこに押しやられていた市民社会と
いうものが息を吹き返したのである。
・・・・・・彼等は一般的に地味で、あまり目立たず、理屈をこね
たり大風呂敷の議論をするよりは実践を重んじる人たちである。彼
等の資本は有り余るほどの善意だけだ。組織は弱体で要員の質もそ
れほど高くはない。お金がないので小さいプロジェクトしかできな
い。多くは個人の献金で成り立っている。日本の慈善活動は、20
03年に発表された報告書によると寄付金額全体では世界でも高い
方である。しかし多くの日本のお金は大きな国際機関に流れ、日本
の零細NGOには資金を集める能力がない。
活動家の最初の世代は60-70年代の学生運動家だった。しかし
いまは違う。もっと若い世代で組織だったものではない。でも阪神
大震災の時、未だかってみられなかったような連帯を示した。13
0万人ものボランティアが集まったのだ。まさに国家の影が薄くな
り「市民社会」が出現している。もちろん混乱はあったが、彼等は
巨大な動員力を示した。以来、NGOは急速に増えてきた。
1998年の法律でNGOの設立が、欧米の基準からすると税制面
などで不十分な子のではあるが、認められるようになった。効率が
悪いODAにかわる活動も組織的にできるようになった。政府はN
GOが日本の国際イメージの改善に繋がることを知りNGOのある
ものについては政府か支援するようになった。しかしほとんどのN
GOは独自性を維持するために政府からお金を貰っていない。
日本がいま其の平和ドクトリンを捨て去ろうとしているとき、NG
Oがいま新しい戦争反対の推進者となろうとしている。イラクで捕
まったこの三人はこの理想を共有していた若者である。ボランティ
ア運動の常として、彼等の平和運動も一つにまとまったものではな
い。ヨーロッパに老いてみられるような大規模なデモもない。しか
しいったんこのバラバラな運動に火がつくと大きな運動に結びつく
可能性がある。阪神大震災では、これが可能だと云うことが示され
ているのである。 」
━ AcNet Letter 98 【5】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
お便り紹介
───────────────────────────────
【5-1】Fri, 16 Apr 2004 08:55:27 +0900
───────────────────────────────
「・・・・・・以前はあまりマスメディアに疑問を持つようなこ
とはなかったのですが,独法化の過程を経験することにより,やっ
と,世の中の動きが理解できてきたように思います.また,以前
は英語では,論文以外は読んだこともなかったのに,海外メディ
アのHPの記事をよませていただきました.その中でアルジャジー
ラのHP に天秤の絵がありました.やはりジャーナリズムとは,
すべての立場から中立でなければならないと思います.このとこ
ろ,”社会貢献する”という掛声のもとに,中立でない報道が内
外でみられるようですが,よく考えると大学だって似たような状
況のような気がします.そう考えると,ジャーナリズムと学問に
は通じるところがあると思われます.わたし自身は,工学部の中
で制御理論を研究していますが,その分野の中に,ロバスト制御
というものがあり,それは,「最悪なものを抑える」という考え
方からきています.それと以下の経済学者であるセンの言葉は共
通するのではないかとも考えています.
”もっとも重要な正義の諸概念は,世界はいかに運行すべき
かに関する特定の公式から導出されるものではなく,誰の眼
にも明々白々な根深い不正義(patent injustice)を,一つ一
つ暴いていくことに見出されるであろう(Amartya K. Sen
(後藤玲子訳))”
今,イラクで起きていることを考えると,我々はこの言葉の重み
をかみしめる必要があると思っています.かといって,家族を持
つ身でなかなか無謀なこともできませんが...」
───────────────────────────────
【5-2】Sat, 17 Apr 2004 11:33:24 +0900
───────────────────────────────
「イラクの3人の人質が解放され、まるで知り合いの事のように
喜びました(まだ2人の方、および他の国の方々が人質になって
いらっしゃいますが)。ところが日本政府の談話を聞いていると、
まるで自分たちが助けてやったんだ、という高飛車な態度で驚い
てしまいました。日本の政府は日本の政府のために働いているだ
けで、国際貢献などは行っていないのに(少なくとも政府の中枢
で働いている人たちは)、本物の国際貢献をしている人たちに余
計なことをするなというのにはあきれてしまいます。そして、そ
の政府を支持する人が多いことにがっかりします。一方で、危険
を顧みずに行動を起こす人たちを誇りに思いますし、その人たち
を支えている人も多いと思います。
**大学では経営協議会学外委員の中から「もはや学問の府では
なくなった」という発言があったと聞き驚いています。大学法人
になったとはいえ、株式会社になったわけではなく、「大学」で
あるからには学問の府でなくてなんなのでしょう?「産学連携な
どを進めると同時に、学問の府であることをこれまで以上に強く
認識して」というのが当たり前の考え方だと思います。法人化を
進めてきた流れに立ち向かう強い意志と行動力がますます必要に
なってきたと思っています。」
━ AcNet Letter 98 【6】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
ネットからのクリップ
───────────────────────────────
【6-1】http://www.asaikuniomi.com/JapaneseHostages.htm
浅井久仁臣氏『解放された後、「イラクに残りたい」「また戻って
来たい」と彼らが発言したからといって何が悪いのか私には分かり
ません。人質にされた恐怖から「もう二度とイラクに戻りたくない」
「イラク人の顔を見たくない」と言ったとしたら、私は彼らのイラ
クに入国する前の覚悟や想いを逆に疑ってしまいます。』
【6-2】http://www.fujiwarashinya.com/talk/2004_0413.html
藤原新也氏『日本という国が企業と同じような利潤追求を国家命題
とする「企業国家」であるというのなら、自衛隊のイラク派兵は十
分に意義のあるところのものであり、そのためには10人や100
人の善良な日本人を見殺ししてもそれは知ったことではないだろ
う。』
【6-3】http://www.jca.apc.org/~toshi/blog/no_more_cap/archives/000020.html
No More Capitalism 『「民主主義社会」の言論弾圧は、こうした
抑圧を秘密警察が強権的に民衆を押えつける独裁国家のやり口では
なく、自主規制として内面化したり、道徳や倫理などで縛り、それ
でもダメな場合は、経済的不利益(雇用差別や昇進差別)で対応する。』
【6-4】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040417-00000136-kyodo-pol
共同通信『航空機、健診は本人負担 外務省、イラクの日本人人質
事件で解放された3人に請求へ』
( Publicity 906 / Sat, 17 Apr 2004 23:51:06 +0900 (JST)
http://www.emaga.com/bn/?2004040049362781010182.7777
「そもそも、チャーター便に乗るときに「自己負担ですよ」と話し
たのか? 病院で検査する時に、「自己負担ですよ」と話したのか?
勝手に飛行機に乗せて、勝手に病院で検査を受けさせて、それで後
から「自己負担ですよ」なんてことはないのでしょうナ。
そういうふうに段取りがついていたのなら、話はわかる。すべて
「自己責任」なのだから、チャーター機に乗らずに勝手に帰ってく
るのも自由、検査を受けないのも自由だからだ。
・・・おそらく、すべて後から「自己負担」と通知するのだろう。
これは、合法的なイジメではないか? これが日本という国の姿で
ある。」)
【6-5】http://www.asahi.com/international/update/0417/019.html
asahi.com: スンニ派宗教指導者アブドルサラム・アルクベイシ師
『日本大使館は委員会に謝意を伝えてこなかった。日本の首相も委員
会について言及しなかった』
【6-6】http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/peace/crimefornote.html
豊島耕一氏『NHKによる犯罪容認報道について』
【6-7】http://videonews.jp/?itemid=24
神保哲生氏『年金だの公共事業だので何百兆単位の無駄をしている
政府が、逢沢副大臣の渡航費を人質家族に請求すべしと発言してい
ることに強い違和感を感じている』
【6-8】http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040415ic05.htm
(人質攻撃を続ける政府広報紙)
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横浜市立大学長に辞職を勧める手紙
横浜市立大学理学部 一楽重雄教授 から小川恵一学長への手紙2003.12.22
http://edmath.sci.yokohama-cu.ac.jp/ogawa1222.pdf
小川恵一先生先日は、総合理学での「対話集会」ご苦労様でした。実質的に先生の辞任を求める声明の署名者は、現時点で、名誉教授等21名、教授等24名となりましたので、ご報告致します。これからも、徐々にではあっても、増えてゆくものと思います。
さて、伝え聞くところによると、先日の大学改革推進本部の動きを小川先生には評議会当日まで知らされていなかったとのこと。市は学長をまったく軽視しているのではないでしょうか。教育の中味までを市が決定するということ、これは「大学の自治の侵害」そのものではないでしょうか。先日の対話集会で、「自治の侵害には、身を挺して守る」とおっしゃたのはどなただったでしょうか。ぜひとも、実行して頂きたいと思います。
今、先生が「身を挺する」とは「辞職」しかありません。
これが恐らく先生のお名前が後世に恥辱にまみれたものとならない最後のチャンスかと思います。もちろん、先生が自分の意志を貫けないのは心残りと思いますが、このままでは市は小川先生の立場もまったく考えず、どんどん、突っ走るだけであることは明白です。
多少の抵抗をしても、貪欲な権力者には意味はありません。「身を挺する」ことが必要なときが来たのです。
どうか、ご家族ともご相談され、賢明な判断をされることをお願い致します。
理学部一楽重雄
「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う声明平成15 年11 月28 日
去る10 月29 日小川学長は、中田市長に対して「横浜市立大学の新たな大学像」を提出した。この案は大学案の形を取っているものの、その作成は教員7名、事務局員7名というごく少数の委員からなる「横浜市立大学改革推進・プラン策定委員会幹事会」で秘密裏に行われたものであり、大学の総意によるものではない。このことは、改革推進・プラン策定委員会や評議会で多くの反対意見が出され紛糾を重ねたことや、各教授会、あるいは、教員組合や教員有志の度重なる意見表明から明白である。
そもそも大学の将来という重要な事柄が、教授会の関与を排して進められたこと自体学校教育法に抵触しかねないものであり、民主主義の原則に反するものである。
行政と大学との協調と緊張という正しい関係が採れず、管理職職員とごく一部の教員によって非民主的に作成された今回の案は、いずれ大学の解体につながるものであり、この案の作成過程と内容が「学問の自由」、「大学の自治」を否定した悪例として全国に残ることを自覚しなければならない。
この案の内容自身もあまりに問題が多いと言わざるを得ない。そもそも、この案の立脚している「プラクティカルなリベラルアーツ」なる概念が不明確であり、むしろ、形容矛盾である。この案は、単に「あり方懇」の答申を精査し具体化しただけであって、まったく大学の主体性にかけるものである。
しかも、あり方懇答申の出発点となった財政上の問題の解決につながるものとも、とうてい思われない。その理由は、
1. 理学部を理工学府に改組することは、むしろ費用の増加につながる。
2. 教員全員に任期をつけ、年俸制とすることは、人件費の大幅な増加を意味する。
教員は、等価な報酬であれば、任期のない大学、研究費の保証される大学に転職するのは当然であるから、この大学像による大学では通常を大幅に上回る給与を支給しなければならない。また、直接に教員の待遇や年俸を決定するに耐えるような公正な評価を行うためには、広い専門にわたる教員に対して複数の評価委員を委嘱する必要が生じ、その費用は相当な額になる。
その一方で、わずかな出費を押さえることにしかならない、
1. 一部を除いての博士課程の廃止
2. 教職課程などの廃止
3. 個人研究費の廃止
4. 研究所の廃止
などが謳われているが、これらは大学の魅力を大きく殺ぐものであり、市民の要望にも合致しない。大学の教育が研究を基盤としていることを忘れては、魅力ある大学どころか、凡庸な大学にすらなりえない。
3学部を1学部に統合することも、学部間の垣根を低くすることが目的であるとされているが、それは3学部のままでも十分可能なことであり、本来の狙いは別なところにあるのではないかと思われる。すなわち、大幅な縮小である。学生数や教員数の規模について、触れられていないこの案では、この点も明らかにならず憶測を生むばかりである。また、そのカリキュラム・コース案は、理工系を「IT」、「バイオ」、「ナノテク」とするとした点に見られるように、近視眼的な実用主義教育であり、総合的な基礎教育と基礎研究を軽視している。
このように時代の流行のみを考慮したコース設定は、それゆえにすぐに時代遅れとなり社会の要請に応えるものともならない。基礎研究があってこそ応用研究が有り得ることは、「環境ホルモン」の問題において市大自身が身を持って体験したことであった。
長い歴史によって得られて来た「学問の自由」、「大学の自治」は、変化の激しい現在の社会であっても、大学が大学であることの根幹をなすものであることに変わりはない。もちろん、このことは現在の大学の自治に問題がないことを意味するのではなく、問題解決に向けた改革を進めることは当然である。しかし、「あり方懇」座長の特異な考え方に基づいて、教員人事システムを専門家集団である教授会から取り上げ、案の言う人事委員会にゆだねるようなことは、別の大きな弊害を生む恐れが強い。すなわち、権力による大学支配である。理事長と学長を分離することによって、市長が直接理事長を任命し、その理事長が理事を任命し、その理事会で人事委員を決定するということになると、現実の人事が政治的な要因で左右されることさえ懸念される。
また,教員評価制度の項では「「大学から求められた役割をきちんとはたしているか」という視点が重要」とされているが,これは「学問の自由」を否定するものであり,大学が大学であり続けるために必要欠くべからざる「批判的精神」を自ら放棄することを意味する。これらの観点から、私たちは今回学長から市長に提出された「横浜市立大学の新たな大学像」に強く反対する。この案の作成責任者である小川学長は、まず教職員学生に対して、そして市民に対して、この案によって本当に市民の求める「魅力ある大学」が創られることになるのか、納得できる説明をする義務がある。
くしくも、創立75周年を迎えたこの時期に、大学破壊とも言えるような大学改革案を作成した小川学長は、その責任を明確にすべきものと考える。
横浜市立大学名誉教授・教授等有志代表:名誉教授 伊豆利彦, 教授 矢吹晋
呼びかけ人:中川淑郎,田中正司,蟹澤成好,一楽重雄,永岑三千輝,鈴木正夫
賛同者(12 月18 日現在):
名誉教授等(21 名) 石井安憲,吉川智教,平塚久裕,宮崎忠克,相原光,森俊夫, 多賀保志,内山守常,神田文人,佐藤経明,伊東昭雄,岩波洋造,山極晃,秋枝茂夫, 今井清一,中神祥臣,浅野洋,
教授等(24 名) 吉岡直人,笹隈哲夫,佐藤真彦,三谷邦明,松井道昭,川浦康至,市田良輔,石川幸志,山根徹也,桑江一洋,上杉忍,倉持和雄,影山摩子弥,唐澤一友,加固理一郎,本宮一男,古川隆久,平智之,今谷明,藤川芳朗
国際政治学者と国際法学者の違い
[mathfp 939] (2003.12.22) より転載
イラク戦争と国際法 講師 明治大学法学部 小倉康久 記録 柳原二郎
2003年9月24日(水) 17:15‐19:00 千葉大学総合研究棟6階609号室
・・・・・私たちが、イラク戦争・アフガン戦争・9.11テロ などについて情報を入手する場合、テレビ、新聞などのメディアを通すことがほとんどだと思う。メディアに登場する学者や専門家のほとんどは国際政治学の方々が多く、国際法学の専門家はほとんどいない。そこでまず、国際法学と国際政治学の違いについてお話する。
端的に言って、国際法学では「合法か違法か」を問題とするが、国際政治学では「妥当かどうか」を問題にする。
たとえば、日米同盟があるから、北朝鮮の脅威があるから、あるいはフセイン政権が独裁的で人権を侵害しているからなどの理由から、イラク攻撃に賛成するのは妥当だったとか、妥当でないと、というのが国際政治学の観点である。
これに対して、国際法学の観点では、米英のイラク攻撃が合法か違法かという問題になる。妥当性を強調しても、違法な行為が合法な行為に変わるものではない。もっとも、合法だからすべて妥当だというわけではないし、違法だからすべて不当だというのでもない。例外的に、法的には違法でも人権の立場から妥当だと見る場合もある。・・・・・
詳細:
小倉さんからのメッセージ自衛隊のイラクへの派遣(派兵)が、現実のものとなってきましたが、
どちらの勢力(右にとっても、左にとっても)にとっても、
重大なことだと思います。
後に日本の歴史の転換点と位置づけられかもしれません。
そういうつもりで、日本国民は行動していかなければならないと思います。
追伸:記録を取って頂いた柳原先生には、よろしくおつたえください。
明治大学法学部 小倉 康久
############### 秋の数学会での講演録 ###############
イラク戦争と国際法
講師 明治大学法学部 小倉康久
2003年9月24日(水) 17:15‐19:00 千葉大学総合研究棟6階609号室はじめに:イラク戦争の考え方と国際法の特殊性
私たちが、イラク戦争・アフガン戦争・9.11テロ などについて情報を入手する場合、テレビ、新聞などのメディアを通すことがほとんどだと思う。メディアに登場する学者や専門家のほとんどは国際政治学の方々が多く、国際法学の専門家はほとんどいない。そこでまず、国際法学と国際政治学の違いについてお話する。
端的に言って、国際法学では「合法か違法か」を問題とするが、国際政治学では「妥当かどうか」を問題にする。
たとえば、日米同盟があるから、北朝鮮の脅威があるから、あるいはフセイン政権が独裁的で人権を侵害しているからなどの理由から、イラク攻撃に賛成するのは妥当だったとか、妥当でないと、というのが国際政治学の観点である。
これに対して、国際法学の観点では、米英のイラク攻撃が合法か違法かという問題になる。妥当性を強調しても、違法な行為が合法な行為に変わるものではない。もっとも、合法だからすべて妥当だというわけではないし、違法だからすべて不当だというのでもない。例外的に、法的には違法でも人権の立場から妥当だと見る場合もある。
次に、国際法の特殊性に注意しなければならない。国内法では違法行為があれば警察が介入し裁判を経て処罰される。これに対して国際法では各国家は平等に主権を持ち、それらの上位に君臨し支配する超国家的機関がない。裁判制度も不備であり、国際司法裁判所もあるが、それが機能するのは関係双方が提訴に合意したときだけであり、裁判になることは少ない。さらに、裁判があって違法と認定されたとしても、処罰などの、法の執行は難しい。国内法と対比すれば、処罰などの規定のないのは法ではないという批判もあり、国際法は、法体系としてまだまだ未熟だと言わざるを得ない。
このように国際法は、なお甚だ不備なものではあるが、従来国家の権利とされていた戦争が、現在の国際法では禁止されているように、国際法をもっと発展させることが国際平和のために重要だと思われる。
イラク戦争に適用される国際法には、大きく分けて (1) jus ad bellum(ラテン語:ユス アド ベルム)、 (2) jus in bello(ユス イン ベロ)という2つのカテゴリーがある。
(1) jus ad bellum は武力行使に訴えることの規制であり、どういう場合に戦争(あるいは武力行使)が合法であるかを定めている。具体的には、国連憲章が該当する。この観点からイラク戦争の合法性が問題となる。
(2) jus in bello は、武力行使の方法の規制であり、国際人道法(International Humanitarian Law)(捕虜を虐待してはならないとか、一般市民を攻撃してはならないなど、武力紛争に際して残虐さを軽減し、人間としての尊厳を保護するために設けられた一連の国際法規の総称。1971年赤十字国際委員会がこの名称を使い始めた)、具体的にはハーグ陸戦条約、ジュネーブ諸条約、1977年のジュネーブ諸条約及び1977年の2つの追加議定書、対人地雷禁止条約などが該当する。毒ガスなどの化学兵器使用禁止(害敵手段)、放送局への攻撃規制(攻撃目標)、捕虜の扱いなどを規制する。 (1) による武力行使の合法性に拘りなく、(2) は守られなければならない。
I なぜイラクは大量破壊兵器(核兵器、化学兵器、生物兵器)の保有が禁じられているのか?
1 核拡散防止条約(Treaty on the Non-proliferation of Nuclear Weapons: NPT)
加盟国 188カ国(含イラク)、 非加盟は インド、パキスタン、イスラエル、(北朝鮮)など。
内容は
・米英仏露中以外の国の核兵器の保有・開発を禁じる。
・非核兵器保有国には、原子力の平和利用について技術支援が行われる。
・非核兵器保有国は原子力国際機関 IAEAの査察を受け入れる。
・核兵器保有国には、核軍縮交渉を誠実に行う義務がかせられる。
NPT6条 各締約国は、核軍備競争の早期停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下に於ける全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する。
2 国連決議
・安保理決議687(1990) 湾岸戦争の停戦条件として、大量破壊兵器(核兵器、化学兵器、生物兵器)の保有、開発を全面的に禁止する。
以上のように二つの理由から、イラクは核兵器の保有が禁止されているのである。しかし、NPT や国連決議に違反したからと言って、即、武力行使が容認されるわけではない。
II イラク戦争の合法性 … jus ad bellum からの検討
1 国際法は戦争に関してどのように規定しているか?
(1) 基本原則 戦争を含めあらゆる武力行使及び威嚇の禁止(国連憲章2条4項)
国連憲章2条4項すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
(2) 武力行使禁止の例外
a. 個別的・集団的自衛権(国連憲章51条)
国連憲章51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。またこの措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く機能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
イラク戦争に関していえば、国連憲章は、武力攻撃の発生(an armed attack occurs)を要件としていることが重要である。潜在的な武力攻撃の可能性に対して、自衛権を発動するという、いわゆる先制的自衛(pre-emptive self-defence)は認められない。そのような例として、1981年のイスラエルによるイラク原子炉攻撃や、2002年9月に発表された米国国家安全保障戦略(テロには抑止がきかないから予め攻撃しておく、ということ)があるが、これらはいずれも合法とは認められない。
ただし、武力攻撃発生という要件は、損害の発生を意味するものではないから、損害が発生しなくても、攻撃の着手があった段階で自衛権を発動することができる。
自衛権行使の要件としては、国連憲章の規定に加えて、慣習法や判例によって認められたものがある。それがその状況下で必要なものであること(必要性)、相手の武力に対し均衡しており、過度に大きな反撃ではないこと(均衡性)、攻撃された時点での措置であること(即時性)、従って、以前攻撃されたからと言って10年後に攻撃することは認められない。
b.軍事的強制措置(国連憲章7章)
安全保障理事会は、軍事力の行使を決定する権限を有している。
国連憲章39条 安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。国連憲章41条(経済制裁などの非軍事的措置)国連憲章42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟の空軍、海軍、又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
・軍事的強制措置が行われるまでの手順はつぎのようになっている
安保理による侵略行為の存在の決定→軍事的強制措置の決定→国連軍の創設→国連が軍事的強制措置を発動
☆朝鮮国連軍や国連平和維持軍などは、これに該当しない。
・湾岸戦争以降の慣行としては、安全保障理事会は個々の加盟国に武力行使を許可する権限を有するという説が主張されている。
c. その他の例外
・旧敵国条項(国連憲章53条1項後段、107条)、民族解放闘争、国内問題
・人道的介入【humanitarian intervention】… NATO 軍によるコソボ空爆
2 アメリカ・イギリスの主張(イラク戦争をどのように合法化しているのか?)
(1) アメリカの主張: 安保理決議678(1990)、687(1990)+自衛権に基づいて合法だという(フライシャー報道官の言明)。
(2) イギリスの主張: 安保理決議678(1990)、687(1990)、1441(2002) に基づくという(ゴールドスミス法務長官の言明)。1441の最後に「この問題に引き続き取り組むことを決定する」となっており、武力行使の決定は行われていないといえる。これが根拠薄弱なことはアメリカでさえも、この1441に依拠していないことからもわかる。
・これら米英の主張がいずれも根拠薄弱なことは、米英スが武力行使を認める新決議の採択を求めていたことからも明らかである。
※ ここで述べたことに関係する安保理決議について:
・安保理決議678(1990) … 湾岸戦争における武力容認決議 「その地域における国の平和と安全を回復するために、必要なあらゆる手段をとる権限を与える」
・安保理決議687(1990) … 停戦決議
・安保理決議1441(2002) … イラクの安保理決議の不履行を認定。
III jus in bello からの検討
1 国際人道法の概要
(1) 基本原則
a. 無差別攻撃の禁止
・無差別的効果を有する兵器の使用禁止
・戦闘員と非戦闘員を区別できないような戦闘方法の禁止
・軍事目標主義 … 攻撃目標は軍事目標に限定される(しかし軍事目標とは何かの定 義がなく、リストもない。放送局やダム、原発などは攻撃目標から除外されるべきだと思われるが必ずしも明白ではない。日本はジュネーブ議定書に加入していないが、危険な原発の多い日本は加入して欲しい、と私は思う)。
b. 不必要な苦痛を与えることの禁止
「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト(ハーグ規則23条e)」は禁止されている。ここで不必要な苦痛というのは、兵器の使用によりもたらされる軍事的効果に比較して、その使用によって引き起こされる苦痛が大きいことである。
戦争の目的は、敵の軍事力を弱めることにあるから、その必要を超えて苦痛を与えたり、また将来に亘って苦痛を与えることは禁止されているのである。例えば、劣化ウラン弾は放射能が残って将来に亘って苦痛・損害を与えるものであり、またレントゲンでも見えないような材料で人を傷付けるものや、クラスター爆弾のように多くの不発弾をばらまくものもこの立場からは禁止される可能性がある。
兵器の許容性の判断は
i 人道法の基本原則と
ii 特定の兵器を禁止する条約(対人地雷禁止条約、生物毒素兵器禁止条約、化学兵器禁止条約、ダムダム弾禁止宣言など)
に則ってなされる。
(2) 国際人道法に違反した場合
・国家の責任
ハーグ条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約) 3条 前記規制ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。
・個人の処罰 国際刑事裁判所(ICC)、国内裁判所、国連の設置するアド・ホック裁判所(旧ユーゴ国際刑事裁判所、ルワンダ国際刑事裁判所)、戦勝国の設置する国際裁判所(東京裁判、ニュウルンベルグ裁判)などによって裁かれる可能性がある。
2 アメリカ・イギリス軍の戦闘行動
(1) クラスター爆弾、燃料気化爆弾、劣化ウラン弾等の使用
・これらの兵器の使用を明示的に禁止する条約はない。国際人道法の基本原則に照らして兵器の許容性が判断される。空中から広い範囲に爆弾を浴びせ、不発弾も多くて後々まで危険が残るクラスター爆弾(無差別的効果)、破壊力の巨大な燃料気化爆弾(無差別的効果)、後々まで放射能被害の残る劣化ウラン弾(不必要な苦痛)等は国際人道法に抵触する可能性がある。
(2) 民間人に対する損害
・軍事目標だけを狙うべきである。放送局しかも外国のそれ(アルジャジーラ)を攻撃するのは違法である。
・付随的被害 軍事目標のまわりの被害はある程度は許容される。
攻撃される側も、軍事目標のまわりの住民を避難させるなどの義務がある。
(3) 自爆攻撃
・戦闘員が戦闘中に敵兵士に対して自爆攻撃を行うのは違法ではない。しかし民間人に
扮して自爆攻撃するのは違法である。
(4) 捕虜のテレビ放映
ジュネーブ第3条約13条 捕虜は常に人道的に待遇しなければならない。抑留国の不法の作為又は不作為で抑留している捕虜を死に至らしめ、又はその健康に重大な危険を及ぼすことは禁止し、かつこの条約の重大な違反と認める。特に捕虜に対して、身体の切断又はあらゆる種類の医学的若しくは科学的実験で、その者の医療上正当と認められず、かつ、その者の利益のために行われるものでないものを行ってはならない。(2) また捕虜は、常に保護しなければならず、特に、暴行又は脅迫並びに侮辱及び公衆の好奇心から保護しなければならない。(3) 捕虜に対する報復措置は禁止する。
アフガン戦争で、連行されるタリバン兵士の映像が放映されたことはジュネーブ条約に違反する可能性がある。
(5) フセイン大統領の暗殺を目指す攻撃(個人の暗殺を目指すのは違法ではないか?)
フセイン大統領は、軍の最高司令官であるから軍事目標であり合法である。
2 戦闘終結後の米英軍のプレゼンス(駐留) 戦闘終結宣言後も米英軍はイラク領内に駐留し続けているが、国際法的に評価するとどうなるか?
・国際法的には、jus in bello の規定する問題で、軍事占領に該当する(ハーグ規則42条)。jus in belloはjus ad bellumにおける武力行使の合法性を前提としないのであるから、イラク戦争の合法性は前提としない。軍事占領は、武力行使の一形態として位置づけられる。
・軍事占領の場合、占領国にも法的義務が課せられる(ハーグ規則43条、ジュネーブュネーブ第4条約55条1項など)。占領地域の法令遵守、秩序維持、医療や食料の提供義務など。
ハーグ規則42条 一地方ニシテ事実上敵軍ノ権力内ニ帰シタルトキハ、占領セラレタルモノトス。占領ハ右権力ヲ樹立シタル且之ヲ行使シ得ル地域ヲ以テ限トス。 43条 国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。ジュネーブ第4条約 55条1項 占領国は、利用することができるすべての手段をもって、住民の食糧及び医療品の供給を確保する義務を負う。特に、占領国は、占領地域の資源が不十分である場合には、必要な食糧、医療品その他の物品を輸入しなければならない。
IV イラク特別措置法、我が国の対応について
1 イラク戦争の合法性
特措法1条では、イラク戦争を「安保理決議678、687、1441 に基き国連加盟国が行った行為」として国連決議に基づく合法的なものとしている(米英とほぼ同様の理由)。
2 自衛隊派遣の法的根拠
受入れ国の同意なしに軍隊を派遣することはできない、のが国際法の原則である。しかし現段階では暫定政権も自衛隊受入れを表明してはいない。政府は安保理決議1483 を根拠としているが、これは米英軍を占領軍と認め、国際法上の義務、責任を果すよう要請したもので武力行使の合法性を承認したものではない(ジュネーブ諸条約、ハーグ規則の遵守を要請)。
3 自衛隊の武器使用
・旧政府残存勢力が自衛隊を攻撃することは、合法的な戦闘行為であり、これに反撃することは自衛あるいは正当防衛ではなく、同格の戦闘行為にあたる。
4 非戦闘地域と戦闘地域
・国際人道法上、旧政府残存勢力がイラク全土において戦闘行為を行うことは合法である。従って、非戦闘地域と戦闘地域の区別は、国際法上の概念ではない。
最後に、自然科学と法律について
私は核兵器、核軍縮の問題を扱っているが、兵器の性能などを考えるには自然科学者のご協力が不可欠である。また自然科学者も法律の枠内で生活しておられるのだから、法学者と自然科学者が緊密な関係を持つことは大切だと考えている。
参考文献
国際法学会編『国際関係法辞典』三省堂
藤田久一『新版 国際人道法(再増補)』有信堂高文社
藤田久一『戦争犯罪とはなにか』(岩波新書)
最上敏樹『人道介入 −正義の武力行使はあるか−』(岩波新書)
松井芳郎『テロ、戦争、自衛 −米国等のアフガニスタン攻撃を考える−』東信堂
質疑応答(質問に対する講演者の回答をまとめて書きました)
1(国連は無力だ、ということについて)
国連は無力だ、役に立たない、とよく言われるが、しかし何も無かった頃に比べれば僅かでも弱小国の意見が強大国の行動を掣肘するようになっている。国連を育てて行くことが現実的だと思う。
2(米英は、イラク攻撃は戦争ではないからにハーグ条約など国際法の制約を受けないと言っているがどうか、またイラク人の自爆攻撃が非難されるが法的にはどうか)
国連憲章では、戦争という言葉は使わず、「武力行使」という言葉を用いており、実際の武力行使を禁止しており、宣戦布告などなくても適用される。
3(イスラエル軍の自治区への侵攻と、パレスチナ側の反撃テロについてはどうか)
イスラエルの侵攻は明かに違法であり、パレスチナ側の民間人へのテロも違法だ。
4(違法な武力行使にも国際人道法は適用されるのか)
たとえ、国際法上違法な戦争であっても、武力行使である以上、人道法は適用される。
5(違法な戦争で被害を受けた場合、戦争を起した者に賠償請求できるか)
原爆は違法な兵器だとしてアメリカを訴えた人がいたが、日本の裁判所は「個人が他国を相手に賠償請求訴訟を起すことはできない。訴えはもっともだが、それは日本国政府がが代って請求する事項だ」として却下した(下田事件判決)。しかし、個人が戦争被害について国を相手に訴えられるかどうかについては、それを認める学説も存在している。
6(戦争裁判について)
戦争犯罪が、すべて裁かれるとは限らない。特に、自国の兵士を、自国政府が裁くことは難しい。しかし、ベトナム戦争のときのソンミ村事件の裁判があるように、不可能なことではない。世論やジャーナリズムが重要になってくる。
7(劣化ウラン弾について訴えることはできるか)
国際刑事裁判所には、メールなどでいろいろ訴えが来ているようだ。この問題は、可能性としては、国際保健機関(WHO) が国際司法裁判所に訴えることもできるだろう。
8(国連軍の行動について)
平和維持軍は軍事的強制措置ではない。受入れ国が同意してはじめて派遣できるのだ。
記録:柳原二郎
ユネスコ高等教育会議2003.6.23-25:ブラジル教育大臣のアピールより
UNESCO
Meeting of Higher Education Partners Paris, 23-25 June 2003
The Seven Appeals of Education Minister Cristovam Buarque
Concluding his address to the World Conference on Higher Education - 23 June 2003
The university is the gateway of hope in terms of understanding the
crossroads we are facing in the middle of our civilization
process. One road represents a united world and the other represents a
socially divided world. We must form ideas for a better future that
will improve mankind's situation with globalization that does not
include social exclusion. I would like to conclude by making seven
appeals.
An appeal to the universities in the richest countries.
This is in appeal to universities in countries with the highest per
capita income. These are the so-called rich countries. The appeal is
to assume globalization in practice. Please do this not only by
exporting products and ideas but also by importing concerns. Do more
than just develop techniques. Develop ways of making ethics an
essential part of a commitment to a better world. Become familiar with
the reality of African universities and the universities of poorer
indebted countries. Collaborate with these universities' survival and
training and collaborate in creating a world consciousness that can
interrupt the barbarous march we are making towards a divided,
alienated society. This division will only end up placing human beings
in two tragically different camps.
An appeal to universities in emerging countries.
This is an appeal to universities in emerging countries that already
have a large amount of thinkers and important centers of higher
learning. Look at the poverty that surrounds you. Examine the risk
you face by forming divided, alienated societies in your
countries. Break the cycle of corporate claims and understand the
university as part of a social network of human beings searching for a
better future. Make a commitment to collaborating towards overcoming
poverty. Understand that even despite the crisis, there are many
universities that could use help and that are even poorer, especially,
in Africa.
An appeal to the universities in the poorest countries.
This is an appeal to the universities in the poorest countries,
especially in Africa and some Latin-American countries. Don't give up
hope. In spite of the tremendous difficulties that you face, there is
still the possibility of global integration in terms of knowledge and
links between universities. This process could compensate for your
individual difficulties by relying on mutual cooperation.
An appeal to the professors
This is an appeal to the professors. Realize that teaching methods
must incorporate the enormous possibilities of new equipment that will
allow the sheer number of students to increase dramatically,
independent of the countries they live in. Please accept the risk of
being professors at a point in time when knowledge changes every
second, demanding dedication in order to keep track of what is going
on. Accept the challenge boldly and move forward to create new ways of
knowing, as ephemeral as they may be.
An appeal to the young people
This is an appeal to the young people of today. Please take on the
role that has been with you throughout history. Be rebels. This is so
important, especially today in a world where globally, independent of
the countries you live in, you have become orphans of neo-
liberalism. You are the first generation that faces a future that is
less beneficial than the ones your parents looked forward to. You are
the first generation where a university diploma does not mean an
automatic passport to success. You are the first generation whose
diplomas will be obsolete long before you retire. You are the first
generation where the new world has become the current world. You are
the first generation that does not carry, the bright flags of
utopia. You are also the first generation where the young person seems
to be more selfish and conservative than his or her parents are. In
defending the interests of a generation, you have the right to be
rebellious. Demand changes in the universities you study in and
practice the traditional generosity of young people. You have the
obligation to be rebels in fighting the barbarity that is part of the
socio-economic global division model. University reform will not occur
without rebellious mobilization from you. You are the ones that can
mobilize for revolution or reform. We are celebrating 35 years after
1968 and the taste in our mouths is of something unfinished. We are
waiting for our youngest sons and daughters and grandchildren to
believe that some dreams can come true.
An appeal to governments
This is an appeal to the governments of rich
and poor countries alike. Understand the urgency in recuperating your
public universities. In spite of all of the current financial
limitations, you cannot sacrifice the future. The future of every
country depends directly on the university. Please don't let the
university turn into a factory. Don't let knowledge become a
marketable product. This is the practice of the technocrats in some
international organizations. If you do this you will betray the
noblest part of the human project.
An appeal to UNESCO
This is an appeal to UNESCO. Stay strong in your
fight for culture, science and education and transform this meeting
into a Permanent Forum for the Defense of Higher Education. Please
defend the university and cause it to change. Make it adapt to today’
s reality where knowledge drifts and learning gloats and there are
worthless diplomas flying around and the university is far away.
This appeal asks UNESCO to dedicate the year 2004 or 2005 as the Year
to the University to think about how the twenty-first-century
university should be. In 2003, please sponsor a day when universities
all over the world stop in order to reflect on their futures. Let this
day be one to think about new directions for humanity. This day could
allow discussion in universities on how to return to being on the
cutting edge of knowledge and how to help UNESCO establish the
Literacy Decade. Universities could think about ways of being tools
for eradicating hunger and making basic education universally
available. Universities could provide a day for discussions on
constructing peace and returning to the guarantee of success for their
students. They could think up ways of living with the new global and
virtual teaching methods. They could imagine the university of hope,
the university of the twenty- first century.