Academia e-Network

国立大学独立行政法人化の諸問題: 本の紹介


3/13 「たくさんの言い訳」イラク戦争 , 荒廃の諸相 , 本の紹介
2/18 成果主義が産み出す「手配師型技術者」荒廃の諸相 , 人事 , 本の紹介
8/26 在日アメリカ人学者による大学批判の本荒廃の諸相 , 大学の自治 , 不当な介入 , 本の紹介
7/27 官僚裁判官制度における裁判官弾圧の実態司法制度の形骸化 , 本の紹介
7/22 黒田清「批判ができない新聞」メディアの情報操作 , 荒廃の諸相 , 国会審議の形骸化 , 天下り , 本の紹介
7/21 宮脇磊介「騙されやすい日本人」よりメディアの情報操作 , 荒廃の諸相 , 本の紹介

2004年03月13日

「たくさんの言い訳」

「茶色の朝」
物語/フランク・パヴロフ(藤本一勇訳)、絵/ヴィンセント・ギャロ、メッセージ/高橋哲哉
Publicity No 877 2004.3.13で紹介。

▼本文中に、「政府の動きはすばやかったし、/俺には仕事があるし、/毎日やらなきゃならないこばごましたことも多い。/他の人たちだって、/ごたごたはごめんだから、/おとなしくしているんじゃないか?」という一言がある。
「『行きすぎはまずいよ』/とシャルリーは言った」という一言と対照的で、我が身に堪えるねえ。

Publicity で紹介されているプレスリリースより:

<原書・フランス語版について>たった11ページしかないこの寓話は、著者が印税を放棄し、1998年、1ユーロで発売された。・・・・・・2002年4月下旬に行われたフランス大統領選挙の第1回投票で、移民排斥などを訴える極右政党国民戦線党首のジャン=マリ・ルペンが18%の支持を得た時、フランス国営ラジオFrance Interがルペンのインタビューを流す直前に紹介。それを期に、ベストセラー入り。以来、「現象」、「センセーショナルな本」、「引っ張りだこの小さな本」と形容されたこの本は、2002年の年間ベストセラー2位、2003年は1位に輝いている。・・・・・・

東京新聞2/14「フランス寓話が問いかけるもの」

「筋書きはこうだ。主人公はごく普通の男性市民。ある日、遊び仲間の友人から飼い犬を安楽死させたと知らされる。理由は、政府が毛が茶色以外の犬や猫はペットにできないという法律を定めたためだ。その後も日常に小さな変化が起きる。このペット制限を批判した新聞が廃刊され、その系列出版社の本も消えていく。しかし、「(政府の認めた)『茶色新報』も競馬とスポーツネタはましだから」と、さして不自由のない生活に主人公はまだ、声を上げない。だが、ある日、友人をはじめ、多くの人々が逮捕され始める。過去に茶色以外の動物を飼っていたことを犯罪と見なす法律ができたためだ。「茶色の朝」、主人公にも危険が迫る−。」

宮台真司氏が「(多くの日本人は)周囲に少数派に属する友人がおらず、異質な人間と接触することがほとんどない結果、自分は多数派、あるいは勝ち馬に乗っていられると信じている」とコメント。

ウェブログ Better Days より

白と黒のぶちの猫を飼っている「俺」
『ペット特別措置法』という法律が出来る。

街には『茶色の法律』を守ろうとする自警団が現れ、ペットを殺すための毒入り餌も無料で配られる。

茶色以外の猫を飼ってはいけない事になる。
猫を安楽死させて、一段落する「俺」。
(少しだけ胸が痛んだがすぐに忘れる)

法律が『茶色ではない犬も飼ってはいけない』事になる。
黒いラブラドールを飼っている、友人のシャルリ−がペットを安楽死させる。
お互いペットを安楽死させた「俺」とシャルリ−。
(少しだけ胸が傷んだ。すっきりしない。しかし、ごたごたに巻き込まれるのは嫌だ。仕
事はあるし…他にもいろんなことをしなくちゃならない。)

いつも読んでいる新聞が廃刊になった。
茶色でない事を書いたからだ。いつも茶色を批判する事を書いていた。
(『茶色の新聞』を読むしかないとあきらめる「俺」とシャルリ−)

図書館から日常の本が強制撤去される。
いつも言い表わす時、「茶色」をつけなくっちゃならなくなった。
「茶色の猫」「茶色の犬」「茶色のコーヒー」「茶色の記念日」

茶色の他、日常は存在してはいけなくなった…

でも、慣れてしまった。

「俺」とシャルリ−は茶色のペットを手に入れ、茶色に囲まれた生活を始める。
(流れに逆らわない生活は悪くはないと「俺」)

自警団の摘発がエスカレートする。
『以前に茶色以外のペットを飼っていたものも逮捕』

そのために、シャルリ−が逮捕される!!

そんな事考えもしなかった「俺」後悔する「俺」
「嫌だと言うべきだった」「抵抗すべきだった」と「俺」
気づくのが遅かった「俺」が迎えた茶色の朝…。。。
以上が、フランス寓話「茶色の朝」の話しの進行です。・・・・・・

amazon.com 書評欄に「今の子達は、日本が戦争をしている時、全部の日本人が好戦的なテンションでいた、と勘違いしている」という言葉が紹介されている。戦前の日本の人々の大多数が、今の人たちと同じように軍隊や軍人が嫌いで軍事について無知・無関心であったことは知られているのだろうか。

2004年02月18日

成果主義が産み出す「手配師型技術者」

虚妄の成果主義−日本型年功制復活のススメ(目次)
高橋伸夫2004.1.19発行1600円 日経BP社
日経BP社ホームページより:

・・・・・著者は、経営学・経営組織論を専門とする気鋭の東大経済学研究科教授の高橋伸夫氏。精力的な企業フィールドワーク、実態調査に基づく実証的な研究、鋭利な理論構築で知られる。その高橋教授が、学問としての経営組織論の最新の定説を踏まえながら、様々な企業現場でのエピソードもまじえつつ、軽妙な語り口で「成果主義」の無惨で愚かしい正体を解き明かす。・・・・・

楽しい職場みんなのF2サイト>会社に頼らず生きるための書籍一挙公開より

日経BPが贈る”成果主義完全粉砕”の理論書・・・・・著者は成果主義的な考え方が人材を育てず、自社製品に触れたこともない「手配師型技術者」を出現させたといいます。手配師型技術者の事例として、自分の大学での大型サーバ発注の時の経験談を挙げています。・・・・・
Posted by tjst at 02月18日
URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000528.html
他の分類:荒廃の諸相 , 人事 , 本の紹介

2003年08月26日

在日アメリカ人学者による大学批判の本

http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/bookofBMcV.html
より:

「佐賀大学の豊島です.

在日アメリカ人の学者Brian McVeighという人の, "Japanese Higher Education as Myth"という本を紹介します.昨年出版されたもので,私もまだ一部分しか読んでいませんが,日本の大学について大変厳しい分析をしています.でもその内容は,行法化反対運動にコミットして来た人々の考え方と非常に共通しているように思われます.少しですが行法化にも触れています.「制度化された虚偽」(institutional mendacity)という言葉など, ウオルフレンの高等教育版といった感じがします.最後の章の一つの節のタイトルは,「改革のありかたの改革」となっていますが,これはまさに私が12年前から言い続けたことです(「日本の科学者」1991年5月号掲載の拙文参照).

 Brian McVeigh, "Japanese Higher Education as Myth"
 Armonk, New York: M.E. Sharpe, 2002. ISBN 0-7656-0925-8

・・・・・」

2003年07月27日

官僚裁判官制度における裁判官弾圧の実態

安部晴彦 著「犬になれなかった裁判官--司法官僚統制に抗して36年」 
(NHK出版2001.5 ISBN 4-14-080609-5)

p57 「人間の生活は、真剣に自分や他人の幸福追求をはかっていけばいくほど、
必然的に社会的に、そして思想的・政治的にならざるを得ない。ある場合には、
それが一部の他人との対立関係をもたらすこともあるのであろう。しかし、そ
れが、「歴史」に責任を持つ「人間」の「家畜」とは違うところではないか。
そこでは、市民の生活をまもり、平和を求め、幸せを求める能動的な「動き」
の中に、「自分も」参加し、いっしょに苦労することが重要なのではないだろ
うか。」

p214 「これまで述べてきたとおり、裁判所・裁判官の問題に限定してみても、
現実の事態は深刻である。現在、日本の裁判官の置かれている状況について整理
して言及してみる。

現在の官僚統制は、有無をいわせぬ転勤制度と小刻みな昇給制度を
武器として、「公正らしさ」という意味不明の理屈を振りかざし、
裁判官の市民との接触の場を失わせている。その結果、裁判官たち
を、自主的な考えのできない、もの言わぬ裁判官に育てあげている。
裁判官自治は後退し、最高裁に集中させた管理権限を行使して、職
務の指定・配分を行い、裁判内容も含めて、一定方向へ向けて統制
された裁判所・裁判官にしていく。これが、日本の裁判官統制の方
向である。

そして、その方向が、政治勢力の望む方向にただ従うのみで、とも
すれば、憲法を護り、平和と民主主義を前進させ、人権を擁護しよ
うという動きに背を向げていることが気がかりなのである。

映画『日独裁判官物語』の中で、梶田英雄元裁判官は、裁判官に対
する人事上の処遇についての質問に対して、次のように答えている。

「具体的にいえば、一応三つあるのですがね。一つは任地ですね。
任地上の差別があります。これはやはり希望する所へなかなか行け
ない。それから二つ目は給料ですね。それから三つ目は部総括裁判
長の指名を受けられない。部総括裁判官というのは裁判長になるこ
とですね、合議体の裁判長。裁判官としては非常にやりがいのある
仕事なんですけれど、こういうポストになかなか就けさせてもらえ
ない。この三つが人事上の差別の非常に大きな要素になっているわ
けですね」。

裁判所は全国にあり、何処でも、いい裁判を受けることを期待して
いる人たち、国民がいる。裁判官それぞれには希望もあり、個人的
事情もあるが、誰もが希望どおりの仕事やポストに就けるものでは
ない。このことは誰でも理解している。

しかし、転勤、昇給、そして職務配分というような司法行政上の方
法手段を最大限に利用して、ある裁判官には極端な冷遇を、ある裁
判官には論功行賞的な厚遇を、意識的に、露骨に、あるいは巧妙に
もっていく「司法官僚統制」が進められてきたのが、残念ながら現
実の経過といってよいであろう。場合によっては「裁判官をやめよ」
といわんばかりの、狙いはそうとしか考えられない処遇を受ける裁
判官もいるのである。

2003年07月22日

黒田清「批判ができない新聞」

日本との対話:不服の諸相 ロナルド・ドーア編 岩波書店 94年


黒田清
「(p.298〜 批判ができない新聞)日本のメディアは(中略)本来は現実
批判がもとにあったと思うんですが、気がついたら、批判できないよう
になっている。非常に大きいのは、政治についての批判がぎりぎりのと
ころでできなくなったことです。不幸なことに高度成長で日本の新聞社
は読者も増える、ページ数も増えるなど、いろいろなことで社屋を大き
くしなければならなくなって、特に東京で社屋の土地が無かったから、
自民党に頼んで国有地を安く売ってもらった。読売、朝日、毎日、産
経、みんなそうです。とても大きな借りを作ってしまった。だから新聞
記者が一生懸命何かを書こうと思っても、中枢のところで握手をしてい
ますから、突破できない。もう一つは、日本の新聞社の経営は、自己資
金が少ない。たとえば朝日や読売にしても、資本金は一億か一億五千
万、いま増資して三億とか五億とか、せいぜいその程度でしょう。そし
て銀行は、新聞社と手を結んでおいたらいいということで、ずっと貸し
ていた。この10年ほどで、その借入金が一桁か二桁、また増えたわけで
す。これはご存知のようにコンピュータシステムをとりいれたからで
す。そうなると金融機関に対するチェックは非常に甘くなりますね。だ
から、そのあと、土地問題、不動産問題、銀行の不正融資と、表に出て
いるのは知れたもので、さらにひどいことが金融機関をめぐってはやら
れていますよ。けれども、新聞はさわっていませんね」

(p.303)「はずかしいけれど、そう言われてもしかたないと思いますよ。
特に私は読売新聞にいましたから。読売新聞の幹部がどういう考えで新
聞をつくっているかというのは、社内に発表される社内報で知っていま
すから。それに私自身が辞める前は編集局次長で首脳会議に何年か出席
していたわけですからね。その時に驚いたのは、新聞記者、ジャーナリ
スト、マスコミの役割は−−あの人たちにはジャーナリストもマスコミ
もみんな一緒です−−政府が行政を行うのをサポートすることだ、と言
われたことです。私は三十年以上政府権力をチェックするという考え方
だったんですけれど、最後の数年は、サポートするんだとトップは考え
て紙面を作るようになっていた」

2003年07月21日

宮脇磊介「騙されやすい日本人」より

新潮文庫, 2003.3.1 発行、ISBN 4-10-116421-5
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4101164215

#(主張の全体的方向性には、ある種の危惧を感じたが、政府の中枢近くにいた著者による、現代日本の構造的問題の全貌についての貴重な証言になっている。以下、国会運営とマスメディアに関する部分だけ紹介。)

p23 「国民の目を永田町の実態から隔離してきたカベは、いわゆる
55年体制下において限りなく有効に機能してきた。それは、与党
自民党の中での密室政治にとどまらず、与野党間の密室談合によっ
て作られたシナリオに沿った国会運営をもたらすことで、その真骨
頂を発揮する。これがいわゆる国対型国会運営、「国対政治」とい
われるものである。そして、政治記者はシナリオーー国会対策委員
会のいわゆるウラ国対で、党利党略の調整の結果まとめたシナリ
オーーを尊重して、そのシナリオにあった記事作り、紙面構成をし
てきた。・・・自民党は国会対策上、重要法案を最終的に会期内に
可決するために、いかにも野党の立場を尊重して五分五分の与野党
対決をしているかのようなシナリオを、野党と談合の上で作る。国
対委員長が、そのシナリオライターであった。政治記者は、そのシ
ナリオを作成する経緯がわかっていても、紙面で暴露するようなこ
とはしない。むしろ、時にはシナリオ作りに加担することさえあっ
たといわれる。このシナリオには、必ず、「審議拒否」が重要な意
味を有する。つまり、白熱シナリオのクライマックスである。・・・
野党は審議に復帰し、法案成立のタイムリミットにぎりぎりで間に
合う。・・・与野党談合、政治記者黙認の共同作業が生んだお決り
の展開が繰り返されていく。」
#(国立大学法人法案の審議では、与野党間は談合はなかったと信
じたいが、参議院文教科学委員会の最後2回の審議では、民主党議
員の質疑内容と態度に、その疑念を抱かせるものがあった。)

p186「 行政とジャーナリズムのとの癒着の最大の場は、つとにそ
の弊害が指摘されている記者クラブ制であろう。記者クラブは、政・
官・業いずれとの間にも存在するが、政治家と番記者との関係に次
いで癒着度が高いのは、官庁記者クラブであるといわれる。長年の
記者クラブと行政官庁との間の歴史の中で、次第に記者の独自取材
や調査報道の力が削がれ、行政官庁のいわゆる「発表もの」に依存
するようになってしまった。「新聞の官報化」は、かねてから指摘
されているところである。」

p192 「癒着によりジャーナリズムが書かないこと、ジャーナリズ
ムの腐敗である。マスメディア自身も国民も「癒着は腐敗である」
との厳しい見方で臨まないと、マスメディアのモラルハザードが進
行する。日本のマスメディアの場合には、ニュースソースとの関係
において、意識的・理性的に選択されたポリシーとしてのオープン
な協力関係と、こうした癒着とがはっきり区別して意識されていな
いために、緊張感が欠けて腐敗を生んでいるのであろう。」

p194 「私が内閣広報官の仕事をしている間に自分自身で感得した
言葉に、"毒をまわす"という語がある。・・・「魂を奪う」とか
「肝を抜く」という言葉は承知していた。「毒をまわす」とは、丁
寧に言えば「ご理解いただき、ご協力を賜る」ということであ
る。・・・毒をまわす手法は、・・・システムとしても形成されて
いる。・・・その最も有効なシステムが「叙勲」をエサに魂を奪い
虜にすることである。そのシステムの典型は、政・官が特に役所を
窓口として、政・官においてこれから実現しようとする政策に対し
て批判勢力になりかねないマスメディアの関係者・評論家・学者や
財界人などを懐柔するための段階的システムである。・・・新聞関
係では、特定の新聞社の社長が新聞協会の会長を順に務めるとになっ
ているが、会長経験者には、勲章、それも勲一等瑞宝章が授与され
るとが慣行として定着しつつある。新聞人にあっては、叙勲を辞退
した人がどれだけいるであろうか。・・・」