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国立大学独立行政法人化の諸問題: 不当な支配に直面する横浜市立大学


3/06 横浜市大数理科学科から学長への質問状2/25不当な支配に直面する横浜市立大学
3/02 3・28講演とシンポジウム「任期制・年俸制導入と評価制度は大学と教育をどう変えるか」大学評価 , 東京都の大学支配問題 , 任期制の諸問題 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
3/01 2/15意見広告「なんかヘンだ ! 横浜市立大学「改革」」不当な支配に直面する横浜市立大学
2/29 横浜市会:公立大学法人定款を3月11日に審議24日に議決予定不当な支配に直面する横浜市立大学
2/20 「公立大学法人横浜市大定款」の審議日程不当な支配に直面する横浜市立大学
2/20 「横浜市大の解体を許すな!〜市民の集い2/14」速報不当な支配に直面する横浜市立大学
2/15 2月14日「市大解体を許すな!市民の集い 」アピール不当な支配に直面する横浜市立大学
2/07 横浜市大と附属2病院の存続・発展を求める市民の集い2/14不当な支配に直面する横浜市立大学
2/07 横浜市大理事長予定者の孫福氏の講演記録への永嶺氏のコメント抜粋不当な支配に直面する横浜市立大学
2/07 横浜市大大学改革推進本部設置1/30不当な支配に直面する横浜市立大学
1/14 横浜市立大学:伊豆名誉教授・小川学長間の電子往復書簡不当な支配に直面する横浜市立大学
12/27 横浜市立大学長に辞職を勧める手紙noblesse oblige , 大学の使命 , 大学の自治 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
12/25 横浜市立大学でも役所が踏み絵を用意不当な支配に直面する横浜市立大学
12/20 横浜市立大学の推薦入学受験者数が激減不当な支配に直面する横浜市立大学
12/11 非公式会議の宿命か不当な支配に直面する横浜市立大学
12/07 横浜市立大学名誉教授・教授等有志声明:「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う研究者から社会へ , 大学の自治 , 大学界の自治 , 任期制の諸問題 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
12/05 横浜市大改革ーー市の「自作自演の茶番劇」不当な支配に直面する横浜市立大学
11/26 「横浜市立大学の新たな大学像について」に関する大学人の声明不当な支配に直面する横浜市立大学
11/02 学長の背任を批判ーー横浜市立大学国際文化学部教授会10/28学長の権限 , 大学界の自治 , 地方独立行政法人制度 , 不当な介入 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
10/31 横浜市立大学学長、評議会審議を無視学長の権限 , 大学の自治 , 地方独立行政法人制度 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
10/27 横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』大学の自治 , 不当な支配に直面する横浜市立大学 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
10/27 横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』大学の自治 , 不当な支配に直面する横浜市立大学 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
10/23 神奈川新聞社への横浜市立大学教員組合書簡メディアの情報操作 , 地方独立行政法人制度 , 任期制の諸問題 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
10/07 大学改革案における教員任期制の導入に関する横浜市立大学商学部教授会意見大学の自治 , 大学の労使関係 , 地方独立行政法人制度 , 任期制の諸問題 , 不当な介入 , 不当な支配に直面する横浜市立大学
8/30 横浜市立大学を考える市民の会の発言地方独立行政法人制度 , 不当な支配に直面する横浜市立大学

2004年03月06日

横浜市大数理科学科から学長への質問状2/25

横浜市大数理科学科から学長への質問状より

2004年2月25日
小川惠一学長様

理学部数理科学科教室

・・・・・我々は(上で述べたことと重複しますが)以下のことを学長に問いたいと思います.学長の考えをお聞かせください.

(1) 少数の行政側の大学改革担当者と教員で,長期間かけて作った「大学像」の各コース案(国際教養学府4コース,理工学府3コース,総合経営学府5コース)を,僅か2,3回の審議で大幅に減らしたコース部会の審議の進め方をどのように考えますか.市民・学生の視点,全学的視点,経営的視点からコース案を慎重に検討し審議したとは思えません.

(2) 理工学府の2コース(ナノ科学技術コースと環境生命コース)の選定は横浜市中期政策プランの産業政策の観点のみから決められています.このようなコース選定では,数学のような基礎学科は大学から消えてしまうことになります.本学で数学を学びたいという学生が多いという事実を考慮していません.このことについて,学長はどのように考えますか.

(3) 大学改革推進本部が最終的に決めたコースとカリキュラムを学長は大学として認めるのでしょうか.またこのことについて評議会はどのように対処しようとしているのでしょうか.設置者の過剰ともいえる大学教育への介入を,ただ座視するだけなのでしょうか.

2004年03月02日

3・28講演とシンポジウム「任期制・年俸制導入と評価制度は大学と教育をどう変えるか」

横浜市大問題を考える大学人の会主催

市大・都立大「改革案」、民間企業・前国公立研究所の経験、国立大学独法化の検討、外国の大学での経験、からの報告と討論日 時:3月28日(日) 13時20分−16時30分 (開場:13時)
場 所:情報文化センターホール (6階、Tel.045-664-3737)
1.開 会(13:20)
2.講 演(13:25−14:25)

(1) 阿部泰隆(神戸大学大学院法学研究科教授)
「大学教員任期制の法的政策的検討」

(2)永井隆雄(AGF行動科学分析研究所所長)
「成果主義賃金と大学」 

3.シンポジウム(14:30−15:30)
 松井道昭(横浜市立大学商学部教授)
 田代伸一(東京都立科学技術大学教授)
 廣渡清吾(東京大学社会科学研究所教授、前副学長、ドイツ法)
 平野信之(独立行政法人研究機関研究室長)
 日下部禧代子(跡見学園女子大学教授、前参議院議員・元文部政務次官)
 福井直樹(上智大学教授、元カリフォルニア大学教授)

4.討 論(15:40−16:20)
5.閉 会(16:30)

主催:「横浜市立大学問題を考える大学人の会」
連絡先:関東学院大学経済学部久保研究室、
 Tel:045-786-7071, e-mail: UGN14301@nifty.com
共催:横浜市立大学を考える市民の会、都立の大学を考える都民の会、横浜市立大学教員組合、東京都立大学・短期大学教職員組合

横浜市立大学と東京都立大学の「改革案」で示された、新しい大学の人事制度(任期制、年俸制、学外者が入った人事委員会、教員の評価制度、理事長職の新設等)は全国の大学や教育に影響を及ぼすように思われます。これらの人事のあり方について、知の生産のあり方や研究・教育の自由との関連で検討する講演とシンポジウムの会を開催します。

民間企業の実情や前国公立研究所の経験、国立大学独立法人化に際しての検討、 外国の大学の経験等の話題も提供し総合的に議論します。市大学長、都立大総 長他当事者もお招きする予定です。大学と研究・教育の将来にとってまだ議論 が尽くされていない重要な問題です。是非ご出席の上討論にご参加下さい。

2004年03月01日

2/15意見広告「なんかヘンだ ! 横浜市立大学「改革」」

朝日新聞2004.2.15朝刊、神奈川全県版
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/shiryo/k040215-1.pdf

なんかヘンだ ! 横浜市立大学「改革」

  • 優秀な人材を社会に輩出してきた75年の伝統と利点を生かせる改革でしょうか?
  • 学部の統合・吸収は教育・研究の切りつめにならないか心配です。
  • 大学の将来を憂い、多くの異論が出ています。
  • 全教員への任期制の導入は教育と研究の質を低下させます。
  • 独立行政法人化に当たって全教員に任期制を導入することは法律にも違反しています。

横浜市立大学教員組合

全文:

なんかヘンだ ! 横浜市立大学「改革」

優秀な人材を社会に輩出してきた75年の伝統と利点を生かせる改革でしょうか?

横浜市立大学の前身は1928年設立の横浜市立商業専門学校(通称 Y専)です。大学の少ない当時、商業専門学校として有名で、全国から学生が集まり、ビジネス界に優れた人材を送り出し続けてきました。また、神奈川県には医学部を持つ国立大学がなく横浜市立大学は国立大学の医学部の役割を果たし、看護短期大学部とともに市民医療の中核の役割を担って来ました。9年前には、文理学部が国際文化学部と理学部という2学部に改組され、専門性に裏付けられた高度な教育と研究が行なわれてきました。

また、商、国際文化、理、医の全ての学部には大学院の博士後期課程が設置されています。全学部に博士後期課程を置いている公立大学として全国的に高い評価を受けてきました。

学部の統合・吸収は教育・研究の切りつめにならないか心配です。

このような伝統と実績がある横浜市立大学において、現在の商、国際文化、理の3学部を1学部に統合し、看護短大を医学部に吸収するという、教育・研究を切りつめる大学改革案が検討されています。同時に、独立行政法人にするための定款が2月の市議会にかけられることになっています。

多くの問題を孕んだこのような改革案がこのまま実行されれば、国際港都として世界に知られ、日本で最大の市である横浜における学問・文化の発信拠点を失うことになります。市議会での慎重な審議を求めます。

大学の将来を憂い、多くの異論が出ています。

改革案は学部の統合や独立行政法人化だけではなく、原則的に研究費を支給しない、現職のすべての教員に任期制を導入する等々多くの問題点を含んでいます。こうした改革案の出発点・原型となったのが、市長の諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」が昨年2月に出した最終答申です。この「あり方懇」は学外者だけで構成され市大の関係者はその委員になっていません。

この最終答申を原型として作られてきた諸改革案について、学内の教授会や教員、学生、市民から不満の声があげ続けられてきました。学部教授会、大学院研究科委員会、研究所教授会などでは、昨年2月の「あり方懇」答申以来、それらに対して20件近くの反対決議、遺憾表明、教授会意見、要望などが出されているにもかかわらず、改革案においてこれらの多くは無視されてきました。このことは、教授会が「重要な事項を審議する」としている学校教育法第59条第1項の精神に反するものです。

全教員への任期制の導入は教育と研究の質を低下させます。

今度の改革案には現職の全教員に一律に任期制を導入することが含まれています。言うまでもなく学生の教育には系統性と継続性が不可欠です。しかし、任期つきの教員ばかりの大学になると、学生の勉学の途上で転出する教員が出てきて学生の教育が中断されるなどの不都合が生じます。

現在、横浜市立大学では少人数教育を重視していますが、なかでもゼミナールは学生が成長する大変重要な場となっています。ゼミナールでは学生一人一人に充分な目配りをしつつ、系統的に教育することが必要ですが、全教員への任期制の導入はゼミナールの継続性という点において障害が生じます。

横浜市立大学は環境ホルモン研究の成果でよく知られていますが、これは数十年におよぶ地道な基礎研究の結果だったのです。このような研究においてはすぐには成果に結びつかない長期的な研究が重要なのですが、任期制の下では短期的に成果の上がる研究に流れていく危険性があります。

独立行政法人化に当たって全教員に任期制を導入することは法律にも違反しています。

地方独立行政法人法第59条第2項は、「当該移行型地方独立行政法人の成立の日において、当該移行型一般地方独立行政法人の職員となるものとする」としています。また、国会答弁でも次のように述べられています。「これは、設立団体の業務と同一の業務に従事する者につきましては、当該地方独立行政法人の職員として引き続いて身分を自動的に保有し続けることができるという形を法律上措置したものでございます」(参議院法務委員会 2003年7月1日 森清総務省自治行政局公務部長)。

ですから、独立行政法人化に際して現職の全教員に任期制を導入し、身分を有期雇用に変更することは、法律違反です。

市民,学生、教員、一般職員の要望を反映した改革案を作るべきです。

横浜市立大学教員組合
横浜市金沢区瀬戸22-2 横浜市立大学  
電話/FAX 045-787-2320

教員組合ホームページ
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

*横浜市立大学教員組合は、統合が予定されている3学部の教員の87%が加入
している組合です。

2004年02月29日

横浜市会:公立大学法人定款を3月11日に審議24日に議決予定

横浜市立大学を考える市民の会の呼びかけ:横浜市にみなさんの意見を送ってください!

現在開かれている横浜市会では、横浜市立大学の独立法人化にむけて、その定款が審議(3月11日に集中審議の予定)され、議決(3月24日の予定)されようとしています。
 市大改革の「問題点」からお分かりのようにこの定款がそのまま市会で認められれば、横浜市立大学は行政の意のままに操られ、経営ばかりが優先する大学になってしまいます。これは何としても阻止しなければなりません。このため「市民の会」は、横浜市会大学教育委員会および横浜市長にあてて、定款に関する意見を送る運動を展開中です。
 メール、FAX、手紙、何でも結構です。定款(案)は横浜市大教員組合HPで、改革案については横浜市立大学HPでご覧頂けます。

ご協力をお願い致します!

定款のここがおかしいというご意見が助かります。独法化に反対でも結構です。
(まずは定款に関してのご意見を! 改革案に対するご意見ももちろん大歓迎です。
  改革案に関するご意見は横浜市大にもお送り下さい)《ご意見の送付先はこちら》

2004年02月20日

「公立大学法人横浜市大定款」の審議日程

横浜市大を考える横浜市民の会 から

横浜市会で市大問題が(定款等)取りあげられるのは、以下の日程と思われます。開始はすべて午前10時です。

2月25日(水)本会議(第2日)一般議案議決、予算代表質疑
党によっては代表質問の中に定款に関する質問を行う可能性あり

2月26日(木)本会議(第3日)予算関連質疑、予算特別委員会設置・付託
党によっては代表質問の中に定款に関する質問を行う可能性あり

3月2日(火)予算第一・第二特別委員会連合審査会(総合審査)
党によっては定款に関する質問を行う可能性あり

3月11日(木)予算第一特別委員会(局別審査)第4日
定款について集中的に審議される模様

3月17日(水)大学教育委員会(予算議案等審査)
11日の審議に漏れた点などを検討する模様

3月19日(金)大学教育委員会(予算議案等審査)(市会HP未掲載)
11日の審議に漏れた点などを検討する模様

3月24日(水)本会議(第4日)予算議決
最終的に議決

お時間のある方は、是非傍聴にお出かけ下さい。

「横浜市大の解体を許すな!〜市民の集い2/14」速報

04-02-14「市大の解体を許すな!市民の集い」ダイジェスト版

2月14日(土)県立近代文学館ホールにて「市大の解体を許すな!〜市民の集い」が開催されました。6月、9月の集会に続いて多くのOB、現役市大生、市民の皆様にご参加、ご発言を頂き大変有意義な場とすることができました。取り急ぎ写真をメインに速報掲載致します。・・・・・

2004年02月15日

2月14日「市大解体を許すな!市民の集い 」アピール

横浜市立大学を考える市民の会2004年2月14日アピールより

・・・・・横浜市民のみなさま、全国の市民のみなさま、私たちは、今、横浜市で行われようとしている蛮行が、日本の高等教育を歪ませる悪しき前例となる恐れを是非知っていただきたいのです。市民が知から遠ざけられ、奴隷状態に貶められ、近代的民主主義が機能しなくなる危険が現実のものとなろうとしています。昨年横浜から発信せられた危険信号は、今や救難信号に変わりつつあります。横浜市民のみなさま、全国の市民のみなさま、今こそ、その連帯と支援の手を私たちにさしのべていただけるようお願いいたします。

2004年02月07日

横浜市大と附属2病院の存続・発展を求める市民の集い2/14

「市大の解体を許すな! 横浜市大と附属2病院の存続・発展を求める市民の集い」
主催:横浜市立大学を考える市民の会

2004.2.14(土)13:00〜16:30(12:30開場)
ところ:県立神奈川近代文学館

講演 仮題「国立大学独法化の現況と諸問題」
 小沢弘明氏 (千葉大学教授)

特別報告 仮題「都立大の現状」
 講演者未定(都立大学教授を予定)

・横浜市大「改革」の問題点 及びこれまでの「市民の会」の活動報告と今後の運動方針発表
・ご来賓挨拶
・各団体からの発言
・「都立の大学を考える都民の会」より連帯の呼びかけ
・会場からの発言・討論
・アピール発表等を予定

横浜市大「改革」の現状と集会の趣旨:

みなさまの篤いご支援に支えられ、「横浜市立大学を考える市民の会」も結成以来1年を迎えました。この間、5回にのぼる集会の開催、署名活動、市民および学生へのアンケート調査、それらにもとづく市および大学への要請・提言・陳情等の活動を行って参りましたが、これらの活動を振り返り、見直すとともに、今年4月から独法化される国立大学の現状、さらに東京都における都立大学「改革」の現状と比較しながら横浜市大「改革」の問題点を再度確認することで、今後の活動への足場を固め、2月18日から開催される市議会において横浜市大「改革」問題が市民の声を反映する形で充分に審議されるようアピールするという趣旨で、今回の集会を企画いたしました。

 昨年2月の「あり方懇」答申以来(さらに遡れば、一昨年9月の「あり方懇」設置以来)、市長ならびに行政のタイムテーブルに従って進められてきた横浜市大「改革」は、いまや大詰めを迎えつつあります。

 まず、地方独立行政法人化については、来る2月18日からの市議会で、独法化にともなう評価委員会の設置と定款が審議されます。この定款が定まれば、横浜市大は平成17年度より、市の設置する大学から一地方独立行政法人(名称は未定)の設置する大学へと変わることになります。

 次に、大学の内容については、昨年10月末に大学から市長に宛てて提出された「横浜市立大学の新たな大学像について」が市によって承認されましたが、この「大学像」は「あり方懇」答申に沿って策定されたのですから、市民の意見を反映するものとは言い難いものです。「市民の会」では、この「大学像」について批判的見解を発表し、市長に宛てて陳情を行うとともに、見解の趣旨に関して記者会見を行いましたが、市はあいかわらず拙速な「改革」を見直す気配すらありません。それどころか、独法化が市議会で決議される以前に、慶應大学教授(元慶應大学SFC 事務局長)孫福氏を理事長予定者として記者発表するなど、相変わらず「予め結論ありき」の「改革」路線をひた走っています。

 一方、これも行政主導で作られた(市が12月に横浜市立大学改革推進本部に設置し、教員に対してこれへの「参加申込書」が送付された)「コース案等検討プロジェクト部会」は文部科学省への申請(6月頃か)に向けた作業を進めつつあり、3月中にはコース案が作られます。学内では商学部および国際文化学部教授会が「(学内)カリキュラム検討委員会」設置を決めて各5名ずつの委員を選出し、前述の「コース案等検討プロジェクト部会」に対抗しようとしていますが、はたしてこの「学内委員会」がオーソライズされるかどうか危ぶまれる状況です。

 こうした状況の中、「市民の会」としては、行政主導の大学「改革」(という名の大学解体)、学問の自由・大学の自治を無視し、横浜市大を矮小化する改悪に歯止めをかけ、市民の声を反映し、真に市民に貢献する大学として横浜市大が改革され、発展・充実することを要求するため、新たな力を奮い起こさねばならない時を迎えていると認識しております。 みなさまのご参加で、市民のための大学は決してお上に都合の良い大学ではないことをお示しいただけるよう心よりお願い申し上げます。

2004年1月28日 横浜市立大学を考える市民の会

横浜市大理事長予定者の孫福氏の講演記録への永嶺氏のコメント抜粋

孫福氏(横浜市大理事長予定)の講演記録「コース等検討に当たっての理念・基本的な考え方について」(2004.1.13)についての永岑氏大学改革日誌2/4のコメント抜粋

・・・・・・主体(教員と学生)の双方が、真の自由人たり得ているかどうか、これこそが決定的問題である。ここでわれわれが主体的に問題とし、熟慮再検討しなければならないのはもちろんまず第一に教員の精神構造である。批判の斧がまずはみずからに振り下ろされなければならないことはいうまでもない。それは一番難しいことではある。

孫福氏はいう。「実は、現代は精神的な意味での奴隷社会といっていい状況を呈している」と。(現代人は何の奴隷に、だれの奴隷になっているか?) この孫福氏の現実認識は、一般認識として現在の危機状況において妥当すると同時に、本学におけるこれまでの改革の進め方・現状を振りかえるとき、まさに多くの点であたっているように感じられるが、どうだろうか? その「改革」の進め方の最終段階に、市長(行政の長)によって「上から」ないし「外から」任命されて登場した孫福氏が直面する大学人は、どのような人々であろうか? どこまで自由人たり得ているか? 目配りは広く全体にすべきであろう。「部分最適」と「全体最適」を判断するには、全体への目配りが欠かせないであろう。直接目にする人々(「部分」)だけを「全体」と見るのならば、大きな過ちを犯すであろう。

「現代における奴隷とは何か。現代の奴隷とは、自分になりきれない、自由な可能性としての自分から逃げてしまうということに象徴される人の精神構造を言い当てているのだ」とすれば、まさにその現代において「改革」を進めている本学とその構成員一人一人は、どのような精神構造と社会全体のなかでの位置関係にあるか?一般論は誰でも言える。「総論賛成」はよくあることだ。あたりさわりのないことですませることも可能だからである。他人の説の受け売りは多くの人がやっていることである。一番困難な問題は具体的事例・具体的個人・具体的組織に即しての解明である。それはまだだれもやっていないことに属するからである。それはある意味で血を見ることになるような厳しいことだからである。

「現代は奴隷に満ち溢れている社会だ」とすれば、本学はそれに無関係か?

それとも、本学がそれに多かれ少なかれ関係しているとすれば、それはどのような理由と背景においてか?

・・・・・・

ともあれ、本学の大学人は一度はこの孫福氏の文書を本学の歴史、本学の「改革」問題の経過、現到達段階、現在進められつつあるコース等検討のありかたなどのすべてに照らして、評議会、教授会の議事録、それに反映されていない各方面の意見などもつぶさに調べて、検証してみる必要があろう。「商品」呼ばわりした事務局責任者がいたこともあらためて想起される[4] 。学外から高踏的な本学評価を下した人物もいた。

本学の「改革」の進め方に「自由」はあったか?

自由な討論はあったか(あるか)?

少なくとも私には、意見を自由に公開することを抑制される雰囲気がある。いいたいことをいうことができないという圧迫を感じている。少なくともその圧迫を感じつつ、なお可能なことを歴史的記録としてここに書き記している。書きつけておかないと、すぐに忘れるからである。

孫福氏は横浜市当局の強引な大学改革を、真の大学改革にしてしまうだけの力量と見識を持つ人である可能性はないだろうか。
孫福氏の講演全文:

http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/projectbukai/shiyo1.pdf
> 第一回コース案等検討プロジェクト部会議事概要 平成16年1月13日(火)

はじめに

昨年、中田市長からのご指名を受けまして、法人化される新生「横浜市立大学」理事長の大役をお引き受けすることになりました、孫福でございます。私自身横浜市民でありまして、新しい市立大学のために全力を挙げて貢献できることを大変光栄に感じております。関係者の皆様方のご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。

まだ3月までは慶應義塾大学に籍をおきながらではありますが、早速本年1月から横浜市大学改革推進本部顧問として、大学改革と法人化のための準備作業に多くの時間を投入し始めており、それとあわせて横浜市立大学の実態についても目下学習中であります。

市立大学としての経営は、財政面をはじめとしてきわめて厳しい環境下に置かれていることは申すまでもありませんが、それらの制約のなかでなおかつ、納税者である横浜市民の要請にこたえることのできる大学、第一義的には学生のための大学として、いかに理想を実現するかという命題に立ち向かわなければなりません。

この「コース案等検討プロジェクト部会」の位置づけについてはただいま大学改革推進本部長職務代理である大学事務局長から説明がありました通りですが、今申し上げた意味でのこの部会の役割はきわめて重要であります。

その初回にあたりまして、アドバイザーとしての立場から議論の方向性についての私の考えを述べさせていただく機会を頂戴しました。理事長予定者として私自身が「大学教育のあり方」に関してどういう考えを持った人間なのかをぜひ知っていただきたいという意味合いがまずございます。そのうえで、議論の内容そのものについては大いに闊達な意見を出し合っていただきながら結論にたどり着くことを願っておりますが、その前提としての「コース、カリキュラムの開発」にあたっての基本的な事項、大枠のコンセプトについても私の見解を述べさせていただき、皆様方と考えを共有するところから議論がスタートできれば大変嬉しいと考えております。

1.討議の前提条件

まず、話の構成を簡単に述べておきますが、「討議の前提条件」ということと、「誰のために議論するのか」ということ、「どんな人づくりをイメージするのか」、それから、そのためには「どんな教育をイメージするのか」。そして、それらを踏まえて「リベラルアーツ」と「専門教育」の関係について考えを申し述べ、「コースとカリキュラム」を議論するに際しての考え方に触れたいと考えております。

最後には、結局突き詰めて考えると、これらを総合して「パラダイムの転換」をやる必要があるのではないか、横浜市立大学でなければできないような教育のあり方、大学のあり方を我々は目指すことが望ましいのではないかということで、「横浜市立大学モデル」を提示できれば、という想いを述べたいと思っております。

では最初に議論の前提を一言だけ申したいと思います。これは言ってみればもう常識に過ぎませんが、「部分最適」と「全体最適」ということです。

大学での議論の場合、よく批判の対象になるのが「学部のエゴ」とか「学科のエゴ」「専攻のエゴ」あるいは「個人のエゴ」などです。発言する本人は中には意図して「エゴ」の主張をしているつもりはないのだけれど、どうしても部分しか見えないために、部分の最適を主張してしまう結果、「部分の最適」は「部分の増殖」の論理になって「全体最適」をもたらさない。大学という組織の全体が存続し発展していくためには組織全体としての「最適」を常に求めなければならないのに、それを却って阻害してしまう結果になる。したがって、議論にあたっては常に「全体最適」を判断の基準にして、横浜市立大学の理想形を考える姿勢を貫くということを、共通意思としていただきたい、ということであります。そのためにはここにあるように「広い視野」「オープンマインド」が前提となり、できるだけ情報やものの考え方を共有する努力とか、フェアな議論とか、他の人の立場を理解するという気持ちとか、協調・協働・協創と書いてありますが、こういう姿勢が基本でなくてはならないと考えます。繰り返しますがこれは言わずもがなのことであって、余計な発言であったらお許しをいただきたい。

もう一つ、「全体最適」ということも内向きに考えていては、いつまでたっても望ましい結論にはたどり着けない。組織論の常識から言えば、外部環境の中の組織というとらえ方で、外部環境に組織がいかに適合していくかを考えなければならない。内向きでなく外向きに考えていかなければならない。それが、「戦略的思考」ということであります。外部環境の変化とその方向性を睨みながら、戦略的に環境への最適合を考える。その中には外部環境そのものを変えるという戦略発想をも含むのでありますが、いずれにしてもそういった外部環境との相互作用を戦略的にやっていかなければならないわけで、そういう視点をぜひ取り込んで議論をしていただきたいということであります。その場合にも、横浜というLocalな地域、日本全体、たとえば全国的なレベルでの産業界との関係など、National な範囲、さらにはGlobalな範囲での外部環境などをそれぞれ念頭に置きながら戦略的な対応をしていく、そういう考え方をぜひ入れ込んでほしいと考えます。

2.誰のために議論するのか

次に、誰のために議論するのか。それは、学習者としての「学生」のためでなければならない。「教員」のためであったり、「職員」のためであったり、あるいは「経営者」「管理者」のためであってはならないということです。ついつい我々大学人は、無意識のうちに「大学は教員のためにある」と思ってしまいがちで、「大学の教員は天動説の人種だ」と皮肉られたりするわけです。もちろん大学の機能の一つである「研究」は教員が担っており、それを通じて社会に貢献するという意味での大学の存在は大きいのですが、少なくとも教育面に関していえば学生(学習者)がいないと教育は存在し得ないわけで、学生を中心において大学のあり方を考えることが大前提だと思います。 この点に関してすこし歴史的視点で見てみましょう。戦前・戦後・21世紀という時代の大きな括りで比較をして見ますと、戦前は明らかに大学は「国家」のためのもの、国家の必要とする人材を養成するというのが帝国大学の目的であったわけで、国家が大学を作り、国家のために教育をするという考え方が支配していた。これに対して戦後は「社会」というものが登場する。戦後の「学校教育法」の大学の条項は、条文からは「国家」が消え、それに代わって「社会」が背景にある。これが法律の条文から「フォーマル」な次元で読み取ることができる思想ですが、実際に大学は誰のために存在したかと見てみると、現場のレベルで見る限り明らかに「教員」のためであり、大学の中心(主役)は教員であったということである。これも徐々に変わりつつあるが、まだまだこの思想は支配的なままである。それに対して21世紀、これからの時代は、学ぶ側を中心にすえた大学というものを実現していく必要があると思う。

実際に世界の大学の歴史を見てみると、12世紀のヨーロッパに誕生したウニヴェルシタスという中世型の大学が原型であるわけですが、最も早く成立したのがボローニャ、続いてパリ大学です。ボローニャは学ぶ側(学生)が組合(ウニヴェルシタス)を作って大学を運営し、教師を連れてきて教えさせる。そして評価によって契約も決めるシステムをとっていた。パリのほうは逆に教える側(教師)が組合を作って運営していた。したがって、今まで学生が大学の主役であった時代がなかったわけではない。というか、学びの原点に立ち返ってみると、学生を中心にすえるという大学論があってしかるべきだと思うし、これからはその方向に向かっていくのが大きな方向性だと考えます。実際に世界の大学を見てみると、この方向に一番近いのがアメリカで、最も遠いのが日本、ヨーロッパはその中間だと思いますが、そのヨーロッパも急速に変わりつつあるという印象です。

さて次に、どんな人づくりをイメージするのかという問題です。横浜市立大学の抱えている知的・人的資源、物的資源、財政的な資源について詳しく細部にわたって理解しているわけではありませんので、一般論のレベルで議論しておきたいと思います。

3.どんな人づくりをイメージするのか

どんな卒業生を横浜市立大学として輩出したいのか、どういう人づくりをしたいのかということですが、まず、卒業生が生きていくのは21世紀の未来社会ということですね。これが大前提。未来社会の中でどういう生き方をする人間を育てたいのか。第1には、ある意味で最低ラインの要請だと思いますが、個人の自己実現が達成できる人物ということですね。そのためには、自己の確立、思考力、表現技法がなければ自己実現はできないと思います。論理的な思考力とものの考え方の柔軟性、さらには二一世紀の未来社会における様々な形の表現形式を駆使できるスキルと能力が要求される。その上のレベルの要請になると、21世紀の社会で役割を担って活躍できる人物ということになります。自己実現ができて自分が人間として充分生きたなあという満足感を持てるということは基本ですが、更にその生き方自体が社会に貢献をもたらして社会から評価される、そういう活躍ができるということです。そういう意味でいうと価値観の確立にとっての基本軸を構成する要素としてのリベラルアーツとか、21世紀社会に必須のスキルとか専門知識、さらにはそれらを成果につなげる力としてのコンビテンシーという要素が付け加わってくるのではないか。更に上のレベルの要請としては、21世紀の社会を先導していける人物、大きなスケールでのリーダーといえると思いますが、そういう人物が輩出されるのが望ましいのではないか。これはやはり、リーダーになる以上、コンセプト・メイキングの能力、つまり概念構築力を持つ必要がある。それに加えてリーダーシップ、使命感、それに倫理観、世界観がバックにないと社会の先導はできないと思います。それから、更にその上のレベルの要請にいくと、21世紀を創造していく人物を輩出したい。これは一番大変な役割ですが、そんなに沢山いるわけではないので、こういう人が出てくれるといいなと思います。こういう人物に要求されるのはまさに、ヴィジョン、イマジネーションとソーシャルデザイン(社会をデザインしていく)力、文明観というものだと思います。こういうふうに下から上へいくほど難しくなっていくわけですが、こういうあたりが輩出したい卒業生、少なくとも学士課程の成果としてこういう卒業生を輩出したいということではないかと思います。したがって、言わずもがなですが、学者を再生産することは学士課程の目的ではない。また、フォロアー、つまり一般大衆を育てるものでもないということです。今の大学というのは、高等教育への進学率が50%近くになっており、2人に1人は大学や短大に行くという時代である。そういう大学進学者のニーズに応えるということからすれば、リーダーや社会を引っ張っていく人物を育てることを目的としていない大学がたくさんなければならない。日本の大学でも実際に一般大衆といいますか、普通に「良き市民」を養成することを大学の目的としている大学が沢山あります。そういった大学の存在価値は大きいし、その観点からの大学論は大いに傾聴しなければならない。しかしながら、横浜市立大学はそれを目指すのではないというのが、教育機関としての使命の特色なのではないかと思います。ある意味でエリート的な教育機関という分類をされることになるかもしれませんが、その場合には従来型のエリート教育との間での「エリート」の意味の違いを、明確にしておくことが必要だと思います。ここではこれ以上深くは触れませんが、ここで大きな役割を果たすのがリベラルアーツのもつ意味だろうと思っております。

4.どんな教育をイメージするのか

さて、そうすると、こういう人間を育成したいとなるとどんな教育にしたらいいかということになるわけです。大学が掲げる目的と使命をいま一度考えてみたいと思うのですが、これは、つきつめると「4年間の学習効果を最大化する」ということだと思います。大体どこの大学でも入学式、卒業式では学長が話しをしますが、その中に出てくるのは、「我が大学の使命は、我が大学の目的は、教育と研究にある」というわけです。教育と研究が大学の目的だろうか。研究はさておいて、教育は必ずしも目的ではないと私は思います。教育は手段である、目的とは「学生の学習」である。学生が学習を行わない限り、教育があってもその教育は効果を発揮しないわけです。教育が目的であれば大学の教員は、「教師の良心にかけて恥じない教育をやっている。だから、私は大学の教師としての使命を果たしている。大学の目的を果たしている。それについてこられない学生がだめなんだ。こういうだめな学生をとっているからこの大学はだめなんだ。」というふうにいえるわけですね。だけど、教育は目的ではない。教育は学生の4年間の学習効果を最大にするために必要な手段である。そしてそう位置づけられた途端に、教師が自分の考えに基づいて理想的な教育をやっているといっても、学生の学習に結びついていない限りそれは手段として失格なんですね。というふうに考えるべきだと私は思います。

そう考えていくと、「学習」が最重要な位置づけとなるわけです。大学の教育活動はすべて学生の学習を中心に考えることになるのですが、そうなると学習のあり方を分析・考察する必要が出てくる。

まず経験と観察から学習のスタイルは能動的学習と受動的学習とに分けられる。学習の効果を最大にするという点からみると、学習のスタイルと学習効果には非常に深い関係があって、能動的な学習というのは学習効果につながるわけでして、受動的学習というのはなかなか学習効果があがらないということです。学習スタイルとモチベーションの関係はきわめて大きくて、モチベーションがどのくらい高いかということと能動的学習か受動的学習かというのは決定的に繋がっている。そうすると、モチベーションをどうやって起こさせるかということが、非常に重要になってくるわけでありまして、学習の中心的テーマになるわけです。そこで、自分と何らかの点で深くかかわる問題意識、いわば自分のテーマを見つける、最近では「問題発見・問題解決」という言い方をしますが、個々の一人一人の学習者にとっての固有のテーマ、そういうものを学習者自らが見つけるということが、モチベーションと深い関係にある。その場合、「問題発見」というのは「自己発見」とイコールといってもいいかもしれません。自分自身が何者であるかということを確立していくこと、個として独立していくこと、そういうことがないと本当の意味での自分固有の問題を発見できないと思います。大学4年間は自分探しの期間だいわれることがあります。我々の世代の感覚からすると大学の4年間が自分探しというのはちょっと情けない感じがしないでもありませんが、今の時代、自分を確立してから大学にはいってくる若者はそんなに多くない。トップエリートといわれる大学であってもそのようです。やはり、自分が本当は何に興味があるのかが分からなくて4年間探しに探しているという人も多い。その人たちには自分探しというのをいかに支援してやるかということですね。これは教育を通じて気づきを与える、気づくきっかけを与えるというということ、それから価値観の確立。自己発見というのは価値観そのものですが、価値観の確立をサポートするということが大学の教育の中で大きなウエイトを占めるということかもしれません。学習の成果を最大化するということは、自分自身のテーマを確立し、モチベーションを高く維持して学習するというスタイルを持てる学生をなんとかつくりたい、あるいは学生をそういうタイプの学習者にして学習の成果を最大にしたいということであります。

ここでそれに関連して、「教育理念と入学選抜方法のベスト・マッチング」と書いてあります。初・中等教育を通じて、早い段階で自己を確立しているといいますか、そういう人間を、教育を受けるに相応しい対象ということで、入学選抜の段階で選んでいくということが大事である。必ずしも偏差値が高いとか低いとかいうこととは別の次元の話として、もう一つの選抜の基準というものがあるのではないかと思います。私が現在所属している慶応義塾大学(SFC)の場合でも1990年に日本の大学で初めてAO入試を導入したわけですけれども、AO入試の考え方というのは、一つにはこういう思想に基づいている、AO入試で入った人の4年間の学習パフォーマンスが非常に高いということですね。モチベーションの高さ、自己発見というものを経てきてているというのが非常に強いと思います。

そういうことを考えると、教育というものについて少し既成の常識を変えてみる必要があると思います。それは、一つは、教育の行われる「空間」・「舞台」、もう一つは、教育の「主役」は誰かということです。

まず、教育の現場としての空間、舞台を、それは当然「教室」に決まっている、というのがこれまでの常識です。それに対して、いやいや、本当の教育の現場はキャンパス全体に、さらにはキャンパスを超えて街に広がっているという考え方が対立している。一方、教育の主役は教師であるというのと、学生が主役であるという2つのベクトルの対立項で考えてみることができる。そうすると二つの座標軸で4つの象限が表現される。

教師が主役で教室が舞台であるというのが、初・中・高等教育を含めて我々にとって最もなじみのある伝統的な教育観です。このタイプの教育スタイルを「知識伝授型」と名づけることにしましょう。明治以来の日本の近代教育の典型的な姿としての究めつけは、明治終わり頃の東京帝国大学法学部の授業です。教授が一字一句読み上げる内容を一時間まるまる筆記するというのがそのスタイルです。それほどまででないとしても、現在もこのタイプの授業というのは主流である。それに対して、「創造性開発型」、言い方を変えて「能力開発型」としてもいいのですが、授業で問題意識のきっかけを与えられ、あるいは基礎的な知識等も与えられるかもしれないけれども、それをきっかけにして学生が自分のテーマをもって、「問題発見問題解決型」「自学自修型」と言われておりますが、自分で自らのテーマを追求するという形で自学自修するというプロセスですね。舞台は必ずしも教室ではなくて、図書館であるとかデータベースのようなインターネットのバーチャル空間など、キャンパス内の空間全体を使って学習する。それだけじゃなくてキャンパスを越えて街へ出て生きた学習を進める。最近はインターンシップが流行ですが、インターンシップを単独で議論するのではなく、こういう全体的なコンセプトの中で位置づけられているというのが大事だと思います。また、これまでの座学中心から現場重視、実践学的志向とか、これからは、暗黙知、身体知というものも含めて広く知ととらえるということが必要だと思います。

そう考えると、教育から学習へ、教育支援から学習支援へ、というパラダイムのシフトが重要になると思います。大学の目的や使命がもし教育だとすると、大学の政策として、教育をいかに支援していったらいいかということになる。そうすると、教室の環境や教授の教育のための支援について考える。一方、学生の学習が大学の中心だとすると、教育は学習に最大の効果を得るためになくてはならない中心的な手段ということになる。手段になったからといって、別に教育の価値が落ちるということではなくて、これまで以上に教育の役割というのは大事になるわけですが、ただ目的ではないということははっきりしている。それから同時に学習の効果を最大化するためには、教育だけでは限界があるんですね。教育だけではだめで、「学習支援」という機能が、教育にプラスして存在しなければならない。キャンパスの様々なところに学習行為を支援するしかけというものが、沢山つくられなければならない。日本では、ここのところが一番欠けている。ですから、日本の大学の仕組みというのは、教師が教室で教育をする、授業をするのが教師ということになる。

それから、一方事務職員は窓口の業務をやったり、経営のほうをやったり、割り当てられ決まりきったことをするということになっている。そうすると教室での授業と窓口業務や経営業務の境界領域である中間的なものがない。こういうことがアメリカではかなり進んでいる。アメリカの多くの大学では、例えばセンター・フォー・ティーチング・アンド・ラーニングというような名前の機構があり、教育を支援する役割と同時に、学生のラーニング(学習)を支援するという役割を機能として持っている。実際に論文の書き方、文章の書き方の指導や添削は授業でもやるのですが、学習支援の機能としてキャンパスの中にそういう機能を持った組織が活動している。そういうふうな形で開発していかなければいけない最も重要な機能が、日本の大学ではいまだ処女地として手付かずの状態であると思います。

5.リベラルアーツと専門教育

つぎに、リベラルアーツと専門教育について話します。

そもそも、リベラルアーツの内容は「七自由科」と言われています。これはローマ時代まではさかのぼれる話のようでして、ワルロ(前116-27)という人の『訓練論』で、教養の基礎について論じています。この中で、基礎三学芸「トリウィウム」、高等四学芸「クァドリウィウム」から構成される「七自由科」が提示されているのがどうやら確認できる一番古い話のようです。基礎三学芸とは文法、論理学、修辞学、高等四学芸とは、算術、幾何、音楽、天文学。これは西洋の学問の一番基本のところと考えることができます。東洋(中国)の学問との本質的な違いとは「論理学」で、東洋の古い学問には「論理学」がなくその代わりに「歴史」がある。東洋では歴史観が学問の基本的なところとしておさえられているが、西洋は学問の基本に論理学がある。それが、中世大学にいくと、教養学部(これがリベラルアーツを学ぶ学部)が基本になりまして、その上に神学、法学、医学、の専門学部があって、基礎を終えた人達がそこに進む。この専門学部は今でいうとみなプロフェッショナルコースになっていますね。それぞれがプロフェッションになるわけです。この4 つの学部がないと中世大学は完成形ではない。このパターンがアメリカのリベラルアーツカレッジになっていったわけだし、日本の戦後の大学の構造で、最初の2年間は教養で、後2年は専門という区分けになっている。アメリカの場合、この教養学部というのが4年のリベラルアーツの課程で、その上がプロフェッショナルスクールの課程です。

リベラルアーツとはこのように古い概念ですから、そのまま現代に生かすというのは難しいわけで、その意味で現代版リベラルアーツというのをどのように考えたらいいかということが重要な問題です。私の個人的な解釈でありますが、もともとローマ時代ですから、奴隷社会の中で、奴隷でない自由人の学芸という意味がリベラルアーツという言葉には含まれている。奴隷のための技術ではない。だから、論理学がはいってくる。では、現代は奴隷社会などではないから、「リベラル」という言葉自体が意味を成さないのではないかとお考えかもしれません。しかし実は、現代は精神的な意味での奴隷社会と言っていい状況を呈しているのではないでしょうか。では、現代における奴隷とは何か。現代の奴隷とは、自分になりきれない、自由な可能性としての自分から逃げてしまうということに象徴される人の精神構造を言い当てているのだと思います。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』などはその問題をテーマにしている。そういう意味で、現代は奴隷に満ち溢れている社会だといえるかもしれません。先ほど話したリーダーシップをとっているとか、未来社会を創造していくということまで考えると、リベラルアーツの一番基本的なところは、自分になる、自分から逃げない、自分探し、自己確立、自己表現、自己実現だと思います。その意味で教養というのは、アクセサリー(ディレッタント)としてのそれではなく、「よりよく生きる」ための必須要素ということで、生き方そのものということが出来ると思います。それから、20世紀前半の哲学者であるオルテガ・イ・ガセットの口調を模して言うならば、人の知性の統一体を維持するものがリベラルアーツとしての教養で、これがないと人は先端的知識を深めれば深めるほど破片的専門人に成り下がる。昭和40年代に大学紛争で学生達がいみじくも指摘した「専門馬鹿」ということになりかねない。まさに、知のインテグレーションという役割がリベラルアーツの要素としては大きいのではないか。そしてそれは、最終的には人の価値観、世界観、死生観を形成するものだと思います。それを大学教育の中にどういうふうにきちんと入れ込んでいくかということだと思います。 さて次に、「プラクティカルなリベラルアーツ」をどのように解釈したらよいか、ということです。私の解釈はリベラルアーツ教育の場合、一つの流れとして「グレート・
ブックス運動」というのがシカゴ大学などであり、それは古典を徹底的に読み、古典の中にある英知といったものを現代に生かすというタイプのリベラルアーツである。プラクティカルなリベラルアーツは多分そうではない。そういう方法論ではなく、むしろ、「虚学」というよりは「実学」であり、「座学」的ではなく「行動・実践学」的であることが、一つ特徴として言えるのではないか。もう一つは、21世紀の社会というのは、昔のリベラルアーツの時代の知的な人の共通の知性より、はるかに深い専門的な知識を要求されるような時代になってきている。非常に深くかつ多様な分野・領域で、自分の生き方に直接役立てていくことを要求される時代である。そういう意味では、プラクティカルなというのは、プロフェッショナルな世界、21世紀を生きていくためのプロフェッショナルな世界における教養を意識するものが特徴的にあるということですね。私的にいえば、21世紀のリベラルアーツという言い方をすれば、それがすなわちプラクティカルなリベラルアーツのことであると思っています。そしてそれは、古典に帰れ、ではなく、現代に生きていく現場に重きを置いて、実践的、行動的な手法とプロセスを活用して、知のインテグレーションを習得していくタイプのリベラルアーツであると言いたい。

つぎに、リベラルアーツと専門教育の関係について述べてみたいと思います。

従来の日本の大学においては、1・2年で教養教育があり、3・4年で専門をやるという、いわば専門教育をする前提としての教養教育であった。専門対教養のバランス論に立った議論がよく行われていましたが、リベラルアーツ教育と専門教育の関係とは、やはり専門教育がリベラルアーツを意識した専門教育である必要がある。どういうことかというと、専門教育はある程度深く掘り下げていかなければいけない、そういう知識を教育しなければいけないが、それが他の分野との関係を意識しない専門のための専門という感じになってしまっていると、先ほどのような断片的で排他的な小世界を作り上げることになるので、その意味で全体性、統一性ということを常に意識した専門教育をする必要がある。それと同時に、リベラルアーツとの相互関係が工夫されなければならない。そういう意味で、リベラルアーツ教育は専門教育の基礎ともなるが、専門教育はより包括的なリベラルアーツ教育の部分を構成するという、相互に「入れ子」のような関係にあると言えます。

6.コースとカリキュラム

続いて、コースとカリキュラムについてですが、これはこれからこの部会で議論をしていくことなので私から最初にあまり枠をはめることはするべきではないし、現在の学部を構成している教員の方の人的構成というものをきちんと認識しているわけではありませんので、深入りはしないことにします。ただ、概念的な意味で少し私自身の考えを述べたいと思います。

一つは、コースは教員の現住所ではない。これが大前提です。「研究院」が所在地となる。

「研究院」についての構造等は、教員の方々の意見を反映させる形で別途考えなければなりません。教育に関していえば、“学生のための”という視点で考えていただきたい。コースはカリキュラム上のカテゴリー(分類)と位置づけるべきだと考えます。コースを縦割りの研究分野の排他的世界、いわゆる「蛸壺」にしない。これは大前提。学部があり学科があり、あるいはコースがあり専攻があるという形で細分化していくと昔ながらの帝国大学時代と変わらない。学者を養成するならそれでもいいかもしれないが、そうではないので、学生(学習者)がどれだけ学習効果をあげて、自分の将来の生き方にどう繋がっていくかを考えてコースをつくっていく必要があるわけです。そういう意味からいうとコースに定員を定める必要は必ずしもない。これは、コースの集団が多すぎて教室からはみ出してしまうという場合には考えなければいけないが、従来型の学部、学科の定員と同じ発想をコースにも適用するというのは、本末転倒だと思います。それからもう一つは、改革案の中にあって非常にいいと思うのですが、リベラルアーツ的な自己のテーマを決め、自分自身を追求するという意味からいうと、メジャーとマイナーを活用することによって本当の意味でのリベラルアーツができるのではないか。ダブル・メジャーあるいはデュアル・メジャーという形のものも考えられるわけですから、これをうまく使えるのではないかと思います。それから、コース制というと学部とか学科とか縦割りのことを考えて壁が厚い感じがするんですが、例えば慶應(SFC)では「クラスター制」といいまして、ぶどうの房みたいなものをクラスターというんですが、たくさんの専門科目をある基準でもって分類して学生の履修の際の目安を示すということをやっています。学生に強制的にどこかのクラスターに入れというのではなく、学生が自分でテーマを選び、4年間で学習する。そういう意味でのクラスター制である。自分自身のクラスターをつくる。だから、自分はこのクラスターからこの科目を取り、こちらのクラスターからはこの科目を選択するというように、クラスターを横断的に選択することもまったく自由である。そういう柔軟性があってもいいのではないか。そのように考えると、「コース長」というネーミングは、「蛸壺」的な縦割りの壁が厚い感じがするので、「コーディネーター役」くらいやわらか
いものでもよいのではないか。学生側からみると「カリキュラム主任」といったネーミングがいいのではないかと思っています。いずれにしろ、学生の自主的選択の幅をできるだけ広げる方向で、「履修モデル」あるいは「ガイドライン」としての「コース」を考えてみてもよいのではないか。日本の大学改革の典型的な方向としては、学生の自主選択の幅を設ける動きが大きなトレンドとしてある。2003年11月にこの分野の本格的な研究書として出版された『大学教育学』(京都大学高等教育研究開発推進センター)の「大学カリキュラム論」でもそのことについて論じている。カリキュラム上で自主選択を促し、学生が自分の学習の型を作るトレーニングをする。はじめから枠にはめてしまうと、学生にとって貴重な自己形成の機会を逃してしまうので、狭いコースに囲い込み必修科目を押しつけてしまうことはしないほうがよいだろうとしている。その意味で、従来型のコースについても変えてきている大学が増えている。ハーバードでも70年代にコア・カリキュラムを導入しましたが、その場合にもそういう弊害がでないようにしている。

コース、クラスターの分類も、概念のレベルだけで語るのもなんですが、横浜市立大学じゃなければできない、成功しないことは何かということを考えてみてはどうかと思います。

一つは「横浜」というブランドです。それは何かというと、まず国際性―文明開化の時代から横浜が国際的な面で一番すすんでいたという、そのイメージを活用する。つぎは先端性−明治時代以来、日本の社会現象の最先端の多くは横浜から起こってきた。そういう意味で先端性を伝統として横浜は持っている。横浜市立大学でも先端性、先進性というブランドを生かすことをやるべきだ。産業・文化−横浜の産業と文化という伝統は、市立大学の大学づくりに生かしていきたい。そういう意味でのポジショニングを考えていく必要がある。それから二つ目は「市立」という特典ですね。横浜市が設置者であるという特典、私立大学ではどう逆立ちしてもこの特典は利用できない。市立大学が持っている圧倒的なアドバンテイジなので、行政との連携などは独壇場だと思います。もう一つは、都市型の社会、コミュニティーということです。こういうところに立地している、立地環境もいいと思います。ただ、「横浜」というポジショニングだけを前提に新生市立大学のアイデンティティーを構築すればいいということではなくて、同時に学生や社会のニーズに立脚するというのが大事で、それに大学がうまく対応していくことが大事である。もう一つは、限られた資源(人的・物的・財政的)を最大活用することが大前提である。その意味では、戦略性と重点的投資をどこにするかということは非常に大事である。資源を考えるとき、学部は3学部をあわせた新しいコース、カリキュラムの検討ですが、資源はいろいろなところにある。隣の学部である医学部との連携を考えれば、有効な資源を引っ張り込むことになるので考えてみてもいいのではないか。外部資源の活用も視野にいれて考えればもう少し可能性が広がるのではないでしょうか。

7.パラダイムの転換とオンリーワンの大学を求めて

今まで私がお話したことは従来の日本の大学世界で常識的に考えてきたこととは違うわけですが、1990年にSFCを立ち上げたときの経験がベースになっております。その後いろいろな大学での講演やそれをベースとした様々な議論をふまえて、それなりの確信を持って今回の新しい考え方の提示をしてきたわけです。そして最終的には「パラダイムの変換」と「オンリーワン」ということをいいたいのです。大学の序列というのは、ずっと戦前からできあがっているわけで、旧帝大や、私学でいうと慶應・早稲田というところをトップにして、入り口のところは偏差値で序列ができあがり、出口はなんとなく評判というものができあがっている。世の中では、様々なランキングというもので序列を形成している。そういう序列というのは、一つの指標をもとにして作り上げたものであって、それがいわばハロー効果で全体の評価にまで拡大されてしまっているというわけです。そういった金縛りから抜け出して我が道を行くというやり方を、日本の大学はそれぞれがしていかなければだめなんだと思います。そういう意味で東大、旧帝大モデルから脱却しようと言うのが主張です。旧帝大のモデルである狭い専門の縦割り構造をやめよう。学生の自己編成の能力を信じよう。このためには、授業をするだけではなくて、学習支援というもののしかけをきちんとつくっていくことが必要です。個性化・ユニークさを競う時代になっているので序列の中の第何位か、4年生大学の中の何番かという強迫観念から脱却し、オンリーワンを目指すということをやったほうがいい。

護送船団の横並びではなく、日本の大学の中の横浜市立大学モデルというものをつくりたい、つくれたらいいという意気込みでやっていきたいと私は考えています。ぜひ皆様方と一緒にすばらしい新生横浜市立大学を創造して行きたいと思っておりますので、ご協力、ご尽力をお願い申し上げます。

横浜市大大学改革推進本部設置1/30

(全国国公私立大学の事件情報ウェブログ 1/31)神奈川新聞2004年1月30日付「横浜市大、改革で専門委員会を設置」 についての佐藤真彦氏(横浜市立大学)のコメント:『自作自演の茶番劇・2』 2004.2.3

2004年01月14日

横浜市立大学:伊豆名誉教授・小川学長間の電子往復書簡

横浜市立大学名誉教授伊豆利彦氏と小川学長の往復電子書簡:
佐藤真彦教授による横浜市大「改革」問題解説
伊豆氏から小川学長へ 03-12-25
小川学長から伊豆氏へ 03-12-27
伊豆氏から小川学長へ 04-01-08

2003年12月27日

横浜市立大学長に辞職を勧める手紙

横浜市立大学理学部 一楽重雄教授 から小川恵一学長への手紙2003.12.22
http://edmath.sci.yokohama-cu.ac.jp/ogawa1222.pdf

小川恵一先生

先日は、総合理学での「対話集会」ご苦労様でした。実質的に先生の辞任を求める声明の署名者は、現時点で、名誉教授等21名、教授等24名となりましたので、ご報告致します。これからも、徐々にではあっても、増えてゆくものと思います。

さて、伝え聞くところによると、先日の大学改革推進本部の動きを小川先生には評議会当日まで知らされていなかったとのこと。市は学長をまったく軽視しているのではないでしょうか。教育の中味までを市が決定するということ、これは「大学の自治の侵害」そのものではないでしょうか。先日の対話集会で、「自治の侵害には、身を挺して守る」とおっしゃたのはどなただったでしょうか。ぜひとも、実行して頂きたいと思います。

今、先生が「身を挺する」とは「辞職」しかありません。

これが恐らく先生のお名前が後世に恥辱にまみれたものとならない最後のチャンスかと思います。もちろん、先生が自分の意志を貫けないのは心残りと思いますが、このままでは市は小川先生の立場もまったく考えず、どんどん、突っ走るだけであることは明白です。

多少の抵抗をしても、貪欲な権力者には意味はありません。「身を挺する」ことが必要なときが来たのです。

どうか、ご家族ともご相談され、賢明な判断をされることをお願い致します。

理学部一楽重雄

「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う声明

平成15 年11 月28 日

去る10 月29 日小川学長は、中田市長に対して「横浜市立大学の新たな大学像」を提出した。この案は大学案の形を取っているものの、その作成は教員7名、事務局員7名というごく少数の委員からなる「横浜市立大学改革推進・プラン策定委員会幹事会」で秘密裏に行われたものであり、大学の総意によるものではない。このことは、改革推進・プラン策定委員会や評議会で多くの反対意見が出され紛糾を重ねたことや、各教授会、あるいは、教員組合や教員有志の度重なる意見表明から明白である。

そもそも大学の将来という重要な事柄が、教授会の関与を排して進められたこと自体学校教育法に抵触しかねないものであり、民主主義の原則に反するものである。

行政と大学との協調と緊張という正しい関係が採れず、管理職職員とごく一部の教員によって非民主的に作成された今回の案は、いずれ大学の解体につながるものであり、この案の作成過程と内容が「学問の自由」、「大学の自治」を否定した悪例として全国に残ることを自覚しなければならない。

この案の内容自身もあまりに問題が多いと言わざるを得ない。そもそも、この案の立脚している「プラクティカルなリベラルアーツ」なる概念が不明確であり、むしろ、形容矛盾である。この案は、単に「あり方懇」の答申を精査し具体化しただけであって、まったく大学の主体性にかけるものである。

しかも、あり方懇答申の出発点となった財政上の問題の解決につながるものとも、とうてい思われない。その理由は、

1. 理学部を理工学府に改組することは、むしろ費用の増加につながる。
2. 教員全員に任期をつけ、年俸制とすることは、人件費の大幅な増加を意味する。

教員は、等価な報酬であれば、任期のない大学、研究費の保証される大学に転職するのは当然であるから、この大学像による大学では通常を大幅に上回る給与を支給しなければならない。また、直接に教員の待遇や年俸を決定するに耐えるような公正な評価を行うためには、広い専門にわたる教員に対して複数の評価委員を委嘱する必要が生じ、その費用は相当な額になる。

その一方で、わずかな出費を押さえることにしかならない、

1. 一部を除いての博士課程の廃止
2. 教職課程などの廃止
3. 個人研究費の廃止
4. 研究所の廃止

などが謳われているが、これらは大学の魅力を大きく殺ぐものであり、市民の要望にも合致しない。大学の教育が研究を基盤としていることを忘れては、魅力ある大学どころか、凡庸な大学にすらなりえない。

3学部を1学部に統合することも、学部間の垣根を低くすることが目的であるとされているが、それは3学部のままでも十分可能なことであり、本来の狙いは別なところにあるのではないかと思われる。すなわち、大幅な縮小である。学生数や教員数の規模について、触れられていないこの案では、この点も明らかにならず憶測を生むばかりである。また、そのカリキュラム・コース案は、理工系を「IT」、「バイオ」、「ナノテク」とするとした点に見られるように、近視眼的な実用主義教育であり、総合的な基礎教育と基礎研究を軽視している。

このように時代の流行のみを考慮したコース設定は、それゆえにすぐに時代遅れとなり社会の要請に応えるものともならない。基礎研究があってこそ応用研究が有り得ることは、「環境ホルモン」の問題において市大自身が身を持って体験したことであった。

長い歴史によって得られて来た「学問の自由」、「大学の自治」は、変化の激しい現在の社会であっても、大学が大学であることの根幹をなすものであることに変わりはない。もちろん、このことは現在の大学の自治に問題がないことを意味するのではなく、問題解決に向けた改革を進めることは当然である。しかし、「あり方懇」座長の特異な考え方に基づいて、教員人事システムを専門家集団である教授会から取り上げ、案の言う人事委員会にゆだねるようなことは、別の大きな弊害を生む恐れが強い。すなわち、権力による大学支配である。理事長と学長を分離することによって、市長が直接理事長を任命し、その理事長が理事を任命し、その理事会で人事委員を決定するということになると、現実の人事が政治的な要因で左右されることさえ懸念される。

また,教員評価制度の項では「「大学から求められた役割をきちんとはたしているか」という視点が重要」とされているが,これは「学問の自由」を否定するものであり,大学が大学であり続けるために必要欠くべからざる「批判的精神」を自ら放棄することを意味する。これらの観点から、私たちは今回学長から市長に提出された「横浜市立大学の新たな大学像」に強く反対する。この案の作成責任者である小川学長は、まず教職員学生に対して、そして市民に対して、この案によって本当に市民の求める「魅力ある大学」が創られることになるのか、納得できる説明をする義務がある。

くしくも、創立75周年を迎えたこの時期に、大学破壊とも言えるような大学改革案を作成した小川学長は、その責任を明確にすべきものと考える。

横浜市立大学名誉教授・教授等有志代表:名誉教授 伊豆利彦, 教授 矢吹晋

呼びかけ人:中川淑郎,田中正司,蟹澤成好,一楽重雄,永岑三千輝,鈴木正夫

賛同者(12 月18 日現在):

名誉教授等(21 名) 石井安憲,吉川智教,平塚久裕,宮崎忠克,相原光,森俊夫, 多賀保志,内山守常,神田文人,佐藤経明,伊東昭雄,岩波洋造,山極晃,秋枝茂夫, 今井清一,中神祥臣,浅野洋,

教授等(24 名) 吉岡直人,笹隈哲夫,佐藤真彦,三谷邦明,松井道昭,川浦康至,市田良輔,石川幸志,山根徹也,桑江一洋,上杉忍,倉持和雄,影山摩子弥,唐澤一友,加固理一郎,本宮一男,古川隆久,平智之,今谷明,藤川芳朗

2003年12月25日

横浜市立大学でも役所が踏み絵を用意

8月に、東京都の役所が、石原都知事の改革案に協力することを約束する文書への署名を各教員に個別に要求した。同じことを横浜市が市立大学で行った。都立大学の場合は全学で問題となり学長が抗議し、ほぼ全員がボイコットしたが、横浜市立大学では学長が役所に取り込まれてしまっているので心配であるが、12月17日に教職員組合が警告し、学長に要望書を出している。

以下は、横浜市立大学教員有志から横浜市大学改革推進本部本部長への緊急抗議声明(2003.12.23)

緊急抗議声明

横浜市大学改革推進本部
本部長 前田正子殿
2003年12月23日
横浜市立大学教員有志

 去る12月17日、貴職は「市立大学教員の皆様へ」と題する文書を私どもに直接配布されました。その文書には大学が市に対して提出した「横浜市立大学の新たな大学像について(以下、大学像と略)」とこれを受けて市が発表した「市立大学改革案に対する設置者の基本的な考え方」に沿って新しい大学づくりに参加・協力する教員を募集する旨が記載されています。しかしながら、この文書の意図するところには、憲法に保障された学問の自由と基本的人権の観点から看過できない重大な問題が含まれています。

 まず第一にこの文書は、これからの大学における教育・研究の内容を大学自身ではなく外部組織である設置者が決定するということを公言しているという点です。これは憲法で保障された「学問の自由」と、それを担保する「大学の自治」を根底から否定するものであると言わざるを得ません。

 第二に、この文書が持つ「踏み絵」的性格です。文書では12月24日までに参加・協力を申し出ること、また、期限後についても随時受けつけることとし、10名程度からなる「プロジェクト部会」のメンバーに採用された者の名前以外の応募者の名前は公表しないとしています。これは、これからの大学づくりを「大学像」に賛成するものとそうでない者とを選別することにより、賛成するもののみにより、市主導で大学の研究教育の内容を決定しようとするものです。多くの人から、そして、直接の現場である現教員から広く意見を聞くことがよい大学を作るために必要なことは、7月に大学主催で行われたシンポジウムで清成法政大学理事長が強調したことでした。また、各教授会の決議等で示されているように、市大教員の大部分は新たな大学像に反対の意見を持っています。一方で、これからの大学改革に向けては自分の経験や専門知識を生かしたいと考えています。教員個人個人に取って、この文書はまさに”踏み絵”です。

私たちは横浜市立大学を心から愛し、今大学が置かれている現状を憂い、よりよい大学ができることを真に望むものです。改革自体に反対し、現状を維持すればそれでよい、と考えているものでは決してありません。大学を愛すればこそ貴職が示された民主主義の原則に反するやり方に断固反対するものです。

即刻、「コース案等検討プロジェクト部会参加者申し込み書」を白紙撤回することを要求します。

 大学構成員一人一人の意見を尊重し、市民に対しても白日晴天のもとで大学改革が行われるのであれば、私たちは改革の主体としてその努力をいささかも惜しむものでないことを申し添えます。


横浜市立大学学長 小川恵一殿
2003年12月24日
横浜市立大学教員組合
執行委員長 藤山嘉夫

小川学長は、大学の自主性・自立性を守るべく、態度を今こそ鮮明にすべきである
 
12月17日、横浜市大学改革推進本部は「市立大学教員の皆様へ」を教員に配布した。横浜市の横浜市立大学改革推進本部に「コース案等検討プロジェクト部会」を設置し、これに教員が参加することを呼びかけ、「参加申込書」を添付している。「部会」員の構成の内3名は学長推薦とし、また、大学改革推進本部が選考する「公募」4名程度については、選考にあたっては学長の意見を聞くものとされている。このような形での学長の関与を前提とする「プロジェクト部会」の設置にもかかわらず、学長が評議会において「今日初めて聞いた」と発言しているように、学長への事前相談もないままに17日の評議会でこのことが報告された。このような推進本部のやり方自体が、行政権力が大学の自立性を不当に侵害・介入する異常な事態である。学長は、このような不当な介入に対して即刻に抗議すべき立場にあるにも拘わらず、この点を曖昧にしていることは極めて遺憾である。

また、「プロジェクト部会」が案を作りそれを「横浜市としての意志決定を行ないます」としていることは、本来大学が自主的自立的に具体化すべき教育・研究の構想を、学外の設置者が決定することになる。これは、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」とする教育基本法第10条に違反する。文部科学省が、法人化に際しては「大学の教育・研究の自主性を配慮しているかを、細に渡って聴取する」とし、「大学の自主性・自律性に十分に配慮されておらず、また、大学関係者と合意を得られずに地方公共団体から一方的に申請されたものであれば認可できない。審議された経過についても、聴取したい」(全大教と文部科学省との公立大学法人化問題での会見。2003年11月13日)としているのもこのことを根拠としている。

さらに、「参加申込書」には、「平成15年12月1日発表の『市立大学改革案に対する設置者の基本的な考え方』に沿って、新しい大学づくりに参加・協力します」と記されている。「申込」に際してこのような前提を立てることは、「設置者の基本的な考え方」についての<踏み絵>を教員に対して設定するものとなっている。本「参加申込書」は大学のあり方を根底から破壊する異常な性格のものである。

さらに注意したいことは、「横浜市大学改革推進本部 コース案等検討プロジェクト部会設置要領(要旨)」があくまでも「要旨」であり、「設置要領」自体は公表されていないことである。従って、「要旨」には記載されずに「設置要領」には記載されているはずの内容が全く知らされていないのである。何を課題とするいかなる組織形態であるかを詳細に明確にせぬままに教員に参加を求め、このような組織で改革案の具体化を進めることは、あらゆる恣意的な案の具体化が可能となる余地がある。このことが杞憂ではないであろうことは以下のことからも明確であろう。1)「コース案等検討プロジェクト」とされていてこの「等」の示す内容がいかようにも解釈されうる余地を残している。2)さらにまた、「設置要領(要旨)」の「2 検討内容及び検討体制」においては「国際総合科学部(仮称)を構成するコースや大学院の専攻、コース、文系博士後期課程などについて検討を行ないます」とされているにも拘わらず、「参加申込書」を含む関連書類が医学部、看護短期大学部の教員にも配布されていること。3)「設置要領」それ自体を公表しないいかなる理由がないであろうにも拘わらず、これが公表されていない事実こそその意図が詮索されざるを得ない根拠である。このような不明瞭な組織への教員の参加を求めること自体きわめて不当である。

都立大学総長の茂木俊彦氏は、日本の大学の歴史に後世語り継がれるであろう歴史的文書において次のように述べている。「教員組織は、単に抽象化された員数の集団にすぎないのではない。それは、憲法・教育基本法をはじめとする関係法規に従い、学生ないし都民に対し直接に責任を負って大学教育サービスを提供することを責務とする主体の集団であり、また長年にわたって研究を推進し、今後それをさらに発展させようとする主体の集団である。それゆえ既存大学からの移行、新大学設置を実りあるものにするには、教員がその基本構想の策定から詳細設計にいたるまで、その知識と経験を生かし、自らの責任を自覚しつつ、自由に意見を述べる機会が保障されなければならない」(「大学設置準備体制の速やかな再構築を求める」2003年10月7日)。このように述べて茂木氏は、都の大学管理本部が詳細設計への教員の参加を求めた「同意書」の撤回を管理本部に対して毅然として要求している。

このような態度こそが、今こそ小川学長に求められる大学人としての歴史的な責務であると考える。具体的に以下の事項を小川学長に要望する。

1 横浜市大学改革推進本部に対して「プロジェクト部会設置要領」「プロジェクト部会設置要項(要旨)」「市立大学教員の皆様へ」「参加申込書」の撤回を直ちに要請すること。

2 横浜市大学改革推進本に対して「コース案等検討プロジェクト部会設置要領」そのものの公開を要求すること。

3 「プロジェクト部会」の部会員について、学長の推薦を行なわないこと。

4 「参加申込書」を提出した教員と提出しない教員を不当に差別的な処遇をしないこと。

5 コースやカリキュラム案に関する学内組織を直ちに立ち上げてその具体化を急ぐこと。

6 コースやカリキュラム案の具体化にあたっては、現職の全教員がきちんと位置づけられるように設定すること。

 

2003年12月20日

横浜市立大学の推薦入学受験者数が激減

横浜市立大学名誉教授等、教授等有志の会、2003年12月18日記者会見 報告 (伊豆利彦横浜市立大学名誉教授)
「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う声明
記者会見趣旨

・・・・・大学内部の教員にもよく分からないこの改革が、市民や高校教師や受験生に理解しがたいのは当然であります。今年の推薦入学の受験者は商学部、国際文化学部が30%減、理学部が10%減ということになりました。

 推薦入学とは市内の高校に在学する市民の子弟に対する制度です。この推薦入学の受験者が激減したということは、この「大学像」を市民が支持していないことを示すものであると思います。・・・・・

 納得していないのは市民や受験生ばかりではありません。教員のあいだにも市大の未来に絶望して、辞職して行く者が相次いでいます。・・・・・

私たちは、このような結果をまねいた学長の責任をきびしく問うものであります。いま、大学を解体と破滅から救うためには、学長が自己の責任を明かにして、「大学像」を無効化し、学内のエネルギーを結集して、新しい大学の可能性を探るしか道はないと思います。

 市大の危機は民主主義の危機であります。私たちは単に意見を述べているのではありません。はっきりと学長の責任を問い、「大学像」の無効化を求めて、この問題に関心を持つ学内外の方々に広く訴えるものであります。

 これが、このような声明を発表し、記者会見をおこなった所以であります。

2003年12月11日

非公式会議の宿命か

永岑氏大学改革日誌 2003.12.11(2)

・・・・・「市長に出した改革案を実行するのが部局長の役割だ。部外者・市議などに情報を漏らすのなどは懲戒ものである。各自、決意を表明しろ」・・・・・

横浜市立大学部局長会議における事務局長発言だという。国立大学でも法的根拠のない「部局長会議」が実質的な意思決定の場となって、最高審議機関である評議会を形骸化してきた。大学運営の機動性という政治目的のために設けられた非公式会議が上意下達の装置に堕して、緊急事態ではこのような恫喝が横行するのは避けがたいのではなかろうか。

2003年12月07日

横浜市立大学名誉教授・教授等有志声明:「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う

いま横浜市立大学でなにが起こっているかYABUKI's China Watch Room 内)

「横浜市立大学の新たな大学像」に反対し小川学長の責任を問う声明

平成15年11月28日
横浜市立大学名誉教授・教授等有志
代表:名誉教授 伊豆利彦 教授 矢吹 晋

・・・・・そもそも大学の将来という重要な事柄が、教授会の関与を排して進められたこと自体学校教育法に抵触しかねないものであり、民主主義の原則に反するものである。行政と大学との協調と緊張という正しい関係が採れず、管理職職員とごく一部の教員によって非民主的に作成された今回の案は、いずれ大学の解体につながるものであり、この案の作成過程と内容が「学問の自由」、「大学の自治」を否定した悪例として全国に残ることを自覚しなければならない。・・・・・

2003年12月05日

横浜市大改革ーー市の「自作自演の茶番劇」

自作自演の茶番劇:03/12/01横浜市が“大学側”改革案の全面的受け入れを表明
2003年12月4日 大学院総合理学研究科 佐藤真彦

・・・・・“コワモテ”で鳴る石原慎太郎知事による,東京都立4大学に対する有無を言わさぬ強権的な“改革”(大学解体・破壊)[4]に比べると,“市民派”中田市長のソフトさ・寛容ぶりが際だっているように見えるが,この横浜市大改革も,その実態は,都立4大学の場合と同様の,凄まじい大学解体・破壊であり,市長と市大事務局が主導した“自作自演の茶番劇”であることが,その経緯を見れば歴然となる.・・・・・

2003年11月26日

2003年11月02日

学長の背任を批判ーー横浜市立大学国際文化学部教授会10/28

横浜市立大学国際文化学部臨時教授会10/28声明


小川学長殿

国際文化学部 臨時教授会
2003年10月28日

10月22日の臨時評議会の運営と大学改革案の策定に関して、国際文化学部としては以下のような理由で遺憾の意を表明したい。

 各評議員として納得できない人事委員会と任期制に対しての反対意見を、名前を付して議事録に残すことを拒否し、付帯意見を付けることにも採決にも反対し、評議会の終了を宣言した、評議会議長としての学長の議事運営は、民主的な本学の伝統に反する行為であり、誠に遺憾である。 

決議案の第1点の人事委員会と第2点の全教員に対する任期制の導入については、多少の修正が加わったものの、教授会の再三にわたる意見表明に反する内容になっており、大学の活性化と改革の推進をかえって阻害することが憂慮される。これまでにも学部の意見表明あるいは決議を殆ど省みない、大学改革案の策定過程そのものに対しても、国際文化学部教授会として遺憾の意を表明したい。

以上

8月22日に、横浜市立大学教員有志から小川学長辞任要求の声明 が出ている。

2003年10月31日

横浜市立大学学長、評議会審議を無視

「市立大学の新たな大学像について」に関する横浜市立大学教員組合声明2003.10.30

数年前、国立大学設置法改正で、国立大学では「衆議統裁」的大学運営が許容されるようになったが、学長によるこのような評議会無視は許されていなかった。横浜市立大学条例 には大学の運営組織については事務局以外の規定がないから、学校教育法の規定により教授会(・評議会)が最高意思決定機関となるのではないか。

・・・・・横浜市へ提出された本「大学像」は、10月17日の臨時評議会で初めて公表され、22日の臨時評議会においても検討の対象とした「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」(以下、「案」)に対して、この臨時評議会終了後に看過し得ない加筆や修正、削除などが施されたものとなっている(教員組合作成の「『横浜市立大学の大学像について(案)』と『横浜市立大学の大学像について』の異動」を参照のこと)。随所に変更が施されているが、とりわけ、「第5章 地域貢献」はほぼ3ページにわたって大幅なリライトがなされている。また、次の記述は看過しがたい。「案」では「国立大学法人法」と「地方独立行政法人法」の「特徴」として次のように記述している。「各大学が自ら定める中期目標、中期計画に沿ってその達成度が認証評価機関によって評価される」。然るに、市へ提出された「大学像」において、この部分は次のように変更されている。「設立団体が定める中期目標、及び各大学が自ら定める中期計画に沿ってその達成度が認証評価機関によって評価される」。

 国立大学法人法と地方独立行政法人法が、国や自治体が中期目標を定めるとしていることは、大学と教育研究の自立性を大きく侵害するものであり、これは、全国の大学人がこれらの法案を批判してきた本質的な問題点である。然るに、「案」ではこれを「各大学が自ら定める」と記述し、「大学像」では「設立団体が定める」と変更している。法人化の要諦をなすものであるので、「案」におけるこの記述の導入と「大学像」における変更は、意図的であると断じざるをえない。・・・・・

全文

「横浜市立大学の新たな大学像について」に関する声明

2003年10月30日
横浜市立大学教員組合

 10月29日、横浜市立大学の小川学長は、横浜市大学改革推進本部会議において「横浜市立大学の新たな大学像について」(以下、「大学像」)を提出した。

1)「大学像」を検討した10月22日の臨時評議会においては多くの評議員からの反対意見や疑問の表明が行われ、採決を求める提案がなされた。にも関わらず、「慣例にない」として採決がなされなかった。さらに、この評議会において反対・疑問が集中して議論に多くの時間を費やした人事委員会問題と全教員への任期制導入問題に関して、これに反対した者の氏名を議事録に残すべきであるとする評議員からの提案をも小川学長は合理的な理由もなく拒絶した。本学の最高の意思決定機関としての評議会の議長たる小川学長は、評議会運営上の手続民主主義において重大な問題を犯している。評議会の民主主義的な運営と言う点においてきわめて遺憾である。10月28日の国際文化学部臨時教授会においても同趣旨の見解が表明されている。

2)10月22日の臨時評議会のみならず、本学代表、評議会議長、プラン策定委員会委員長としての小川学長のこの間の学内世論形成における非民主主義的な運営手法は看過し難い。大学改革推進・プラン策定委員会の幹事会委員には厳しい緘口令を敷き、教授会での決議を行うことを牽制するなど、その秘密主義、非民主主義、乱暴なトップ・ダウンは目に余るものがある。

 本「大学像」とその伏線となってきた諸案(「あり方懇」答申、「大学改革案の大枠の整理について」、「大枠(追加)」)に関して、それらの本質的な諸論点について学内で厳しい批判が相次いできた。本年のこの6ヶ月においてさえ、各学部の教授会、臨時教授会、付置研究所の教授会、評議会、臨時評議会、プラン策定委員会などにおいてそれらに対する極めて厳しい批判が続出した。事実、学部教授会、大学院研究科委員会においては都合9件の反対決議や教授会見解が表されてきているのである。教授会と多くの教員の意見表明にもかかわらず、小川学長の秘密主義と乱暴なトップダウンによってそれらはほとんど改革案に反映されずに来た。今回の改革案は決して学内の総意を結集したものとは認めがたく、今後さらに検討を要する事項を数多く残していると考える。

3)かつまた、横浜市へ提出された本「大学像」は、10月17日の臨時評議会で初めて公表され、22日の臨時評議会においても検討の対象とした「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」(以下、「案」)に対して、この臨時評議会終了後に看過し得ない加筆や修正、削除などが施されたものとなっている(教員組合作成の「『横浜市立大学の大学像について(案)』と『横浜市立大学の大学像について』の異動」を参照のこと)。随所に変更が施されているが、とりわけ、「第5章 地域貢献」はほぼ3ページにわたって大幅なリライトがなされている。また、次の記述は看過しがたい。「案」では「国立大学法人法」と「地方独立行政法人法」の「特徴」として次のように記述している。「各大学が自ら定める中期目標、中期計画に沿ってその達成度が認証評価機関によって評価される」。然るに、市へ提出された「大学像」において、この部分は次のように変更されている。「設立団体が定める中期目標、及び各大学が自ら定める中期計画に沿ってその達成度が認証評価機関によって評価される」。

 国立大学法人法と地方独立行政法人法が、国や自治体が中期目標を定めるとしていることは、大学と教育研究の自立性を大きく侵害するものであり、これは、全国の大学人がこれらの法案を批判してきた本質的な問題点である。然るに、「案」ではこれを「各大学が自ら定める」と記述し、「大学像」では「設立団体が定める」と変更している。法人化の要諦をなすものであるので、「案」におけるこの記述の導入と「大学像」における変更は、意図的であると断じざるをえない。

評議会で確認された字句修正に意図的と言えるさらなる重大な変更が加えられている。任期制に関する事項である。評議会では、「案」の文章を次のように訂正し確認した。「多様な知識や経験を有する教員などの交流の活性化をはかり、教育研究を進展させるため、任期を定めて任用する制度とする。原則として、全教員を対象に今後、関係法令を踏まえて具体的な制度設計をすることとする」。これが評議会で修正し確認された文言である。然るに、「大学像」では、次のように書き換えられている。「多様な知識や経験を有する教員等の交流の活性化を図り、教育研究を進展させるため、原則として全教員を対象に任期を定めて任用する制度とする。今後、関係法令を踏まえ、具体的な制度設計を行うこととする」。「大学像」の記述は明らかに評議会で確認された文言と異なり、「原則として全教員を対象に任期を定めて任用する制度とする」となっており、きわめて断定的である。評議会で確認した文言を一方的に修正することは許されない。

4)地方独立行政法人法は、教員身分の承継を明確にしているのであり、現職全教員への任期制の導入という有期雇用への不利益変更は断じて容認し得ないものである。

「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、「任期法」)は、「任期を定めることができる場合」を限定しているのであり、この法律によって任期制を無限定的に導入できるわけではない。現行「任期法」は限定的任期制であり、これを現職の全教員にまで拡大して無限定的任期制を採用することはこの法律に違反することになる。                     
さらに、この法律には、「任期制の導入によって、学問の自由及び大学の自治の尊重を担保している教員の身分保障の神が損なわれることがないよう充分配慮する」との附帯決議が付されており、その運用にあたって「身分保障」に関しての極めて厳しい条件が課されている。このことは、学問研究の特殊性に基づき「教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない」とする教育基本法第6条2項の規定に照らして厳密に履行されねばならない。したがって、現職の全教員への任期制、年俸制の導入は法的に不可能である。

5)「大学像」は、任期制はもとより、労働条件の変更に関わる重大事項を含んでいる。然るに、労働条件に関する事項にかんして独自に事前の労使交渉を行っていない。今後は、これらの諸課題の検討について教員組合との誠意ある協議に当たることを要求する。

以上、22日の臨時評議会の経緯、従来の学内の手続き民主主義の不徹底、「案」から「大学像」へ看過できない修正、法律上根拠を持たない現職全教員への任期制の導入、労使協議の必要性、これらに鑑み「大学像」は教授会、評議会などの全学の討議に付すべきものである。

 

2003年10月27日

横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』

横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』2003.10.21

・・・・・このように,今回の案は,少数の教員と事務局員(プロジェクトR幹事会幹事[2])により,一般教員の意向を無視して秘密裏に作成されたものであり,われわれはこの案に対して何の責任もないことは明らかである.一般教員の意向を一貫して無視することによりプロジェクトR幹事会をミスリードしてきた小川恵一学長は,したがって,われわれを代表する者として,もはや,認めることはできない.・・・・・

横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』

横浜市立大学総合理学研究科有志教員『声明』2003.10.21

・・・・・このように,今回の案は,少数の教員と事務局員(プロジェクトR幹事会幹事[2])により,一般教員の意向を無視して秘密裏に作成されたものであり,われわれはこの案に対して何の責任もないことは明らかである.一般教員の意向を一貫して無視することによりプロジェクトR幹事会をミスリードしてきた小川恵一学長は,したがって,われわれを代表する者として,もはや,認めることはできない.・・・・・

2003年10月23日

神奈川新聞社への横浜市立大学教員組合書簡

http://www5.big.or.jp/~s-yabuki/doc03/kana1011.pdf

神奈川新聞社
社長 水木初彦殿
報道部長殿
報道部 牧野昌智殿

10 月11 日朝刊記事に関して

10 月11 日貴社の朝刊が、その前日に開催された「横浜市会決算特別委員会」について、「横浜市大教員 受け持ち授業『週2日』」というセンセーショナルな見出しを付けて報道されました。この報道について横浜市立大学教員組合は、貴社に対して以下のような意思表明をいたします。

この報道は、学部での受け持ち授業数のみを強調していて、大学教員の職務の特殊性を反映しておらず、市民に対して誤解を与えかねないものです。大学教員は、卒業論文や修士論文、博士論文の指導、講義の準備、会議、各種委員会などの職務に加え、研究・論文執筆などの職務を行っているということに触れていない報道は不適切であるといわざるを得ません。横浜市民に対して多大な影響力を持つマスメディアである貴社が、このような不適切な報道を行ったことを大変遺憾に思います。

なお、この意思表明に対する何らかの回答を文書で頂けますようお願いいたします。

2003 年10 月17 日
横浜市立大学教員組合

2003年10月07日

大学改革案における教員任期制の導入に関する横浜市立大学商学部教授会意見

大学改革案における教員任期制の導入に関する商学部教授会意見
PDF:http://www5.big.or.jp/~s-yabuki/doc03/sho1002.pdf
           2003年10月2日

商学部教授会

 プロジェクトR委員会は、9月26日に提出した『大学改革案の大枠整理(追加)について』と題する文書において、全教員を対象とする任期制の導入を提案しているが、任期制を導入することのメリットおよびデメリットに関する議論はともかくとして、そもそも教員全員について任期制を導入することは、現行法上ほとんど不可能であり、大学改革案においてかかる提案を行うことは、現行法における公立大学教員の任用に関する規制に抵触すると考えられる。その理由は、次の通りである。

1.現行法上、大学(学校教育法第1条に規定する大学をいう)の教員(大学の教授、助教授、講師および助手をいう)について任期制を導入することに関して法的規制を設けているのは、「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、大学教員任期法と称する)である。この大学教員任期法は、平成9年に制定されたもので、その趣旨は、大学において多様な知識または経験を有する教員相互の学問的交流が不断に行われる状況を創出することが大学における教育研究の活性化にとって重要であることから、任期を定めることができる場合その他教員の任期について必要な事項を定めることにより、大学への多様な人材の受入れを図り、もって大学における教育研究の進展に寄与することにある、とされている(同法1条)。このような立法趣旨に鑑みれば、同法は、大学の教員について任期を定めない任用を行っている現行制度を前提としたうえで、以下に述べるような個別具体的な場合(大学教員任期法第4条1項1号〜3号)に限り、例外的に任期を定めた任用を行うことができることを明らかにしたものである(2003年5月16日衆議院における政府答弁)。

 2.大学教員任期法第3条によれば、公立の大学の学長は、教育公務員特例法第2条4項に規定する評議会の議に基づき、当該大学の教員(常時勤務の者に限る)について、次に述べる第4条の規定による任期を定めた任用を行う必要があると認めるときは、教員の任期に関する規則を定めなければならない。すなわち、任期制を導入しようとする場合には、まず、評議会の議に基づいて任期に関する規則を定めることが必要となるわけである。

そして、このような教員の任期に関する規則が定められた場合でも、任命権者が、教育公務員特例法第10条の規定に基づきその教員を任用するときは、次の3つの事由のいずれかに該当しない限り、任期を定めることができないのである。これは、すなわち、\菽偲、学際的または総合的な教育研究であることその他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野または方法の特性にかんがみ、多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき、⊇手の職で自ら研究目標を定めて研究を行うことをその職務の主たる内容とするものに就けるとき、B膤悗定め又は参画する特定の計画に基づき期間を定めて教育研究を行う職に就けるとき、である(大学教員任期法第4条1項)。また、任命権者は、このうちのいずれかの事由に該当するとして、任期を定めて教員を任用する場合には、当該任用される者の同意を得なければならない、とされている(同法4条2項)。

 以上の各規定から明らかなように、任命権者が公立の大学の教員について任期を定めるためには、前述のように評議会の議に基づき任期に関する規則を定めなければならないほか、さらに前記 銑の事由のいずれかに該当すること、および任用される者の個別的同意が必要であり、いずれの要件を欠いても、公立の大学の教員について任期を定めることができないことになっている。そして、前記 銑の各事由の内容の解釈からも明らかなように、大学の教員全員について任期を導入することは、ほとんど不可能であり、教員全員について任期を定めた任用を行うことは、任期を定めない任用を原則としつつ、例外的に任期を定めた任用を許容するという大学教員任期法における公立大学教員の任用に関する規制に反する。

3.大学の教員全員が前記 銑の事由のいずれかに該当し、かつ任期を定めることについて全員の同意が得られた場合には、大学全体について任期制を導入することは、理論的にはあり得る。しかし、現在ある学部または研究組織の全ての職を、例えば,了由に該当するとして、教員全員について任期制を導入するとすれば、それは、,了由の拡大解釈であり、このような拡大解釈は、「多様な人材の確保が特に求められる」という法文の趣旨に反するのみならず、任期を定めない任用を原則としつつ、例外的に任期を定めた任用を許容するという大学教員任期法の立法趣旨にも反することになる。また、,了由の拡大解釈は、任期制の導入によって教員の身分保障の精神が損なわれることがないよう充分配慮するとする衆参両院の付帯決議にも違反する。

 4.来年度以降、公立大学法人(地方独立行政法人法(平成15年法律第118号)第68条1項に規定する公立大学法人をいう)は、その設置する大学の教員についても、労働契約において任期を定めることができることになるが、その場合も、当該大学に係る教員の任期に関する規則を定める必要があるほか(大学教員任期法第5条2項)、前記第4条1項所定の 銑の各事由のいずれかに該当することが必要とされている(大学教員任期法第5条1項)。また、前述したのと同様の理由から、公立大学法人の設置する大学の教員の全員について任期を定めることは、ほとんど不可能であると解される。

 以上のように、プロジェクトR委員会が提案した横浜市立大学の全教員を対象とする任期制の導入は、現行法の解釈論としては認められないものである。もちろん、大学教員任期法第4条所定の3つの事由のいずれかに該当するときは、任期を定めることが可能であるが、これはいうまでもなく、当該3つの事由のいずれかに該当する教員について任期を定めることができるに過ぎず、プロジェクトR委員会の提案した教員全員を対象とする任期制の導入ではない。プロジェクトR委員会の提案は、公立の大学または公立大学法人の設置する大学の教員について任期を定めない任用を原則としつつ、例外的な場合にのみ任期を定めた任用を許容するという現行法上の規制に反するものと考えられる。よって、商学部教授会は、プロジェクトR委員会に対し、教員の任期制の導入に関して、関係する各法令をよく調査したうえで、慎重に検討するよう要望する。

2003年08月30日

横浜市立大学を考える市民の会の発言

プロジェクトR「大学改革案の大枠の整理について」を批判する
(8月27日に小川学長宛に以下の文書を提出)
「・・・・・「大枠」に描かれた「横浜市の有する意義のある新しい大学像」は、形態・内容ともに、少なくとも現在の市大より大幅に貧しくなっている。・・・・・」

「大学改革案の大枠の整理について」の質問書(40項目)
横浜市立大学学長 小川 惠一 殿
写し
横浜市長 中田 宏 殿
横浜市議会議長 相川 光正 殿
大学教育委員会委員長 飯沢 清人 殿