我々はなぜ学問の自由を守らなければならないのか
大学人に対して学問の自由の必要性を改めて説くのは、文字通り「釈迦に説法」のそしりを免れないことは十分に承知しています。しかしながらかつての「遠山プラン」に象徴される「社会のニーズ」という名のもとに為されてきた「大学批判」に対する大学人の時には迎合的な対応や、国立大学法人法に対する傍観者的態度は、大学は学問の自由を売り渡しても生き延びようとしているのではないかという疑いを起こさせるのに十分なものであり、それが典型的なポピュリストである石原都知事の今回の強引な試みを誘発する遠因となったと考えられるため、学問の自由の意味を再確認したいと思います。
ある社会が学問の自由を尊ぶとは、その社会が真理(事実)を自体的価値として尊重し、他のいかなる重要な価値にも従属させないということです。他の重要な価値とは、「正義」、「階級」、「民族」、「宗教」、「民主主義」、「国民の福祉」、「社会のニーズ」等様々です。それらは当の社会が「是」として合意している建前であり、看板です。社会が学問の自由を尊ぶとは、ある問題に関する事実が仮に社会的是にとって一時的な後退を意味するものであっても、それを事実として認めようということであり、それを事実として探求し、公開する人々の活動を社会全体で支援しようということです。いかなる問題に関しても、「本当の所はどうなのか」ということを決してないがしろにしないということです。「都合のよい事実」を決して捏造しない、許さないということです。逆に学問の自由を抑圧するとは、様々な大義のために、「都合の悪い事実」の公開や探求を禁じたり、妨害したり、あるいは「都合のよい事実」の捏造を強制したり誘引したりすることです。従って学問の自由は決してファシズムによってのみ踏みにじられるのではなく、「社会のニーズ」や「国民の福祉」に対する自発的
迎合や追従によっても踏みにじられるものです。
学問の自由は知の専門家である学者の集団としての学問共同体の自律的活動と評価によってのみ可能である
社会があらゆる判断の根底に真理を置き、「本当のところはどうなのか」を可能な限り追求しようとすれば、学者が探求を職業的に行う場としての大学と、ある事柄に関する真理が何なのかを判断する場としての学問共同体(学会)がどうしても必要です。例えば、ある歴史的事件の真相が何であるのかを知るためには、原資料へのアクセス、それを分析する能力、そうした活動を支える時間と資金が必要ですが、そうしたことは大学という探求の場を与えられた専門家としての歴史家にのみ可能であり、その問題に関して対立する様々な見解が存在する場合には、専門家集団の相互討議の場としての学会においてのみ最善の結論に達することが出来ます。そして本質的に発見的な学術活動はあくまでも学者個人の自発性に基づいてのみ可能であるため、大学で研究する学者の活動は当人の学問的関心、学問的価値観、学問的良心に基づいてのみ可能となります。言い換えるなら学者が自分で興味深く価値あると考える研究テーマを誰の評価も気にすることなく選び、自分の能力と良心にのみ基づき自分が最も真理に近いと考える結論をその根拠とともに社会に公表する、ことによってのみ可能です。他方、他の社会的に重要な価値のために学問の自由を破壊する最も典型的な手段とは、その価値を代弁する非専門家が社会を扇動し、学者の活動と判断を自らの支配下に置くことです。戦前の滝川事件、ソヴィエト・ロシアでのルイセンコ事件、そして中国の文化大革命、いずれにおいてもこの同じ手段が用いられています。そして今回の東京都の都立大再編計画も、本質的には社会をバックにしたかのような非専門家が「魅力ある大都市Tokyo」という(おそらく石原都知事以外の人間には)大して重要でも現実性もない価値に学者を従属させることにより学問の自由を破壊しようとする行動です。
石原都知事と東京都大学管理本部はどのようにして学問の自由を 破壊しようとしているのか
2003年8月1日に発表された東京都大学管理本部の報道資料「都立の新しい大学の構想について」第二項は次のように述べています。
「新しい大学は、大都市における人間社会の理想像を追及することを使命として、特に次の3点をキーワードに、大都市の現場に立脚した教育研究に取り組みます。
1) 都市環境の向上
2) ダイナミックな産業構造を持つ高度な知的社会の構築
3) 活力ある長寿社会の実現」
すでに様々な人によって指摘されているように、こうした大学像が現行の都立大全体の研究領域とあまりにも無関係で、ほとんどナンセンスなものですが、百歩譲ってこれが新設される大学であると仮定しましょう。その場合大学の設置者である都は大学がカバーする研究領域を自由に設定することは出来ます。例えば、大都市を多角的に研究対象とする、というように。しかしながら上記の文言は大都市の(よりはっきり言えば石原氏が知事を務める東京の)現実を肯定するような研究を暗に要求するものです。例えば大都市の環境が本質的に非人間的であり、都市はは出来るだけ小さくあるべきであり、従って首都機能も東京から移転すべきだ、という結論に研究の結果到達した社会学者がいたとして、その学者は上記の文言に何を感じるでしょうか。大学に残りたかったら研究テーマか結論のいずれかを変えろ、というメッセージでしょう。このメッセージこそが学問の自由の破壊の本体なのです。
しかし都立大が直面する現実はもっと深刻です。形式は何であれ、「新生」都立大は新設されるのではなく、すでに自分自身の研究領域とテーマを持った多くの学者を抱える現行都立大の再編でしかありません。大都市と何のかかわりも無い研究をしている学者の感じる当惑と圧力は想像に難くありません。それが学問の自由の破壊なのです。例えば大学管理本部自身がホームページに誇らしげに報告している雑誌「ネイチャー」に掲載された石井助教授と片浦助手らの論文題目は「カーボンナノチューブにおける低温での朝永ーラティンジャー液体状態の直接観察」です。これはいかなる意味においても上記の「新都立大」の理念と何の内容的関係も無いものです。石原都知事と大学管理本部は自らが大学の目玉として広報しているこの優秀な研究者達をどのように処遇しようというのでしょうか。スターリン時代、学術論文の冒頭には論文内容と無関係に、この論文が如何に社会主義にとって有益かということが力説されていたといいます。石原都知事は同様の屈辱を学者に強いることを欲しているのでしょうか。
このように学問の自由の破壊は常に学者に対する知的屈辱の強制という形をとって現れます。そして今回都によるそうした学問の自由の破壊を象徴するのが予備校への理念委託です。12月12日の東京都文教委員会で明らかになったように、都は再編される都立大の主要部分となる「都市教養学部」の理念設計を予備校の河合塾に3千万円で委託しました。大学で研究にたずさわる学者に対する知的屈辱としてこれより大きなものを想像するのは困難でしょう。明らかに石原都知事は都立大の学者に対して、プライドと学問的良心を捨てて自らの前にひざまづくことを要求しています。そして都立大における学問の自由の破壊を日本の社会と学者が容認するということは、早晩同様の運命が日本の大学全体を襲うことだといってもよいでしょう。
四教授の行動は「敵前逃亡」ではなく、「勇気ある命令拒否」だ
同じ12日の文教委員会で自民党の山本議員は法学部四教授の辞任を「敵前逃亡」と呼び、彼らの社会的孤立と石原知事の免責を図るような発言をしています。しかしながら軍隊にたとえるなら四教授の行動は敵前逃亡ではなく、無抵抗の非戦闘員を無差別に銃撃しろという上官の不当な命令に対する良心に基づいた勇気ある命令拒否です。彼らが直面したのは学者としての良心を捨て、学問の自由を殺せ、という不当な命令であり、彼らは職を賭してその命令を拒否したのです。我々すべての学者は彼らの行動を支持し、彼らを決して社会的に孤立させず、学問の自由を守る大学の意志を広く社会に示す必要があります。責任を問われるべきは都大学管理本部と石原都知事です。
これは団体行動の呼びかけではありません。一人一人の学問的良心に対する呼びかけであり、それぞれの身の回りで出来ることをする呼びかけです。彼らに対する応援のメール、東京都に対する抗議のメール、教室での学生への説明と呼びかけ、職を辞する決意をしなくとも我々に出来ることはたくさんあるはずです。ささやかであっても持続的な意思表示が最も大切ではないでしょうか。学問の自由は学者というカナリアにとっての酸素です。学者として命を保とうとするなれら、私たちは酸素を求める当然の声を上げなければなりません。
石原都知事による都立大再編に反対する人々への支援先
『都立の大学を考える市民の会』ホームぺージ
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/index.html
東京都への抗議先
都民の声総合窓口
https://aps.metro.tokyo.jp/tosei/aps/tosei/mail/koe.htm
大学管理本部の連絡先:
〒163-8001 東京都新宿区西新宿2−8−1
東京都大学管理本部長 山口 一久
03-5388-1615(fax番号)
メールアドレス:S0000677@section.metro.tokyo.jp