2003年08月03日

国公私立大学通信8月3日序

全文
大学関係者 各位

4月に西日本のある国立大学から私立大学に転勤した方
から「通信」の配信停止を求める連絡を頂きましたが、
私立大学の教育や雑用の責務の重さは国立大学の比では
ないが、様々な意味で国立大学にはない自由が有り、元
に戻りたいとはおもわない、と書いておられました。

これまでの国立大学に「自由」がなかったのか、なかっ
たとしても、どういう「自由」がなかったのか、それに
ついての認識は人によって様々のようです。法人化が、
国立大学に不足している自由をもたらす、と期待してい
た人、あるいは今なお期待している人、もおられるよう
ですが、少くとも、この方が、国立大学に不足している、
と考えている自由が「国立大学法人」化によって増すも
のでないことは、この方の身の振り方自身が示している
ように思いました。

一昨日の閣議で、主務省と総務省の2つの評価委員会に
よる独立行政法人の評価でも不十分である、という考え
から、内閣府にある行革推進本部自身が最終的な評価を
下すように独立行政法人制度を修正する方針が決まりま
した[1]

国家機関の民営化か廃止かを判断するための過渡形態と
して設計された独立行政法人制度の趣旨を忠実に活そう
という方針です。したがって、独立行政法人という法人
の大半は、数年後にはなくなってしまう可能性が高くな
った、ということができます。

この方針が国会で承認されれば、国立大学法人にも当然
適用されますので、国立大学関係の「評価」は学内評価
と大学評価学位授与機構による評価も含めれば5段階と
なります。しかも6年後に,行革推進本部から民営化が
適当と宣告されるのは、独立採算でもやっていけると判
断される「大手」の大学かもしれません。

国立大学から私立大学への転勤者は独立行政法人化政策
が表面化した1999年以降増えているようですが、それを
更に増やしかねない新政策が間断なく繰りだされます。

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国立大学法人法が成立した直後の、文科省の杉野氏の文
章に、「学内資源の再配分の決定は、厳しい反発を招く
決断であっても、大学自身の手で決着をつける自主・自
律の体制を確立しなければならない。」[6]とありまし
たが、ずいぶん寒々しく貧相な「自主・自律」になった
ものです。大学への説教に終始するのではなく、法人化
後の急速な大学予算削減が不可避な状況下[1]にあって
「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行す
るに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなけれ
ばならない。」と教育基本法が命じている困難な責務の
遂行への文科省の並々ならぬ決意を示していただきたかっ
たと思います[6-1]

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最近、「日本は深刻な危機にある」という主張が、正反
対の視点からされることが多いようです。個人より国家
が優先される体制の整備が加速度的に進んでいることに
危機感を持つ人たちと、「内憂外患」に対処できる国家
体制の整備が遅れていることに強い危機感を持つ人たち
とが居ます。両者は、政治、行政、司法、メディア等の
問題点について認識を共有する部分はありますが、各々
相手側の危機感自身を危機の主因と考えている点で、根
本的に相容れない、と言うことができるかも知れません。

たとえば、先日http://ac-net.org/kd/03/722.html#[6]
で紹介した「騙されやすい日本人」は後者の危機感の典
型です。この危機感には世論に浸透しやすい平明さがあ
りますが、それが津々浦々に浸透したときに日本に何が
起きたかーーその記憶は日本ではまだ完全には風化して
いないはずです。しかし、米国の人たちの大半が、この
種の危機感に過度に感染し、正常な判断が出来なくなっ
ている状況で、日本でも、それが急速に広がっています。
「有事法」が圧倒的多数で可決されたことはその広がり
を如実に示しています。

社会の「危機」と大学との関係は複雑です。後者の危機
に対し、大学は専門的な協力が期待され、財政誘導・行
政指導・行政命令等、制度が許す種々の強制力を持って
協力が求められていく可能性は消えることはありません
[1]

一方、前時代的に聞こえるかも知れませんが、「精神的
自由」は大学のアイデンティティと不可分ですので、大
学関係者は前者の危機感を自然に持ちます。しかし、こ
の危機感に基いて具体的にできることは限られています。
特に、国立大学が会社と同じように「組織の利害」を最
優先して運営される国立大学法人となるため、大口の
「出資者」である政府の政策を吟味する研究は、以前に
も増して困難になるでしょう。

しかし、大学のアイデンティティと不可分の「精神的自
由」をグランドデザインに掲げ[7]、日本社会からの直
接的な支援を得るに到る「国立大学」が登場する可能性
は、大学内外の状況と国立大学法人制度の構造を考えれ
ば皆無に近いように思いますが、そういう大学が出現し
て、日本社会が、安全で強固だが個は全体の一部でしか
ない蟻の社会のようになっていくことに歯止めがかかる
ことが望まれます。(編集人)

tjst |8月03日 |URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000065.html |荒廃の諸相 , 国公私立大学通信 , 大学の自治 , 大学政策
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