アンケート内容 --目次-- 1. あなたの身分についてお答えください 2. 独立行政法人制度について 3. 国家公務員という身分と定数削減について 4. 文部省について 5. 国立大学協会と第一常置委員会の中間報告について 6. 大学改革と国立大学の法人化について 7. 大学の自治・学問の自由について 8. 北海道大学としての議論の在り方について 9. 北海道大学の将来について 10. その他の質問 11. 自由意見
(2) あなたの職種についてお答えください。

(3) 年齢をお答え下さい。

(1) 国立大学の独立行政法人化問題は、あなたに関心のある問題ですか?

(2) 独立行政法人通則法の内容を知っていますか?

(3)あなたは国立大学の「独立行政法人」化に賛成ですか、反対ですか?

その他に回答された方は、具体的な意見があれば書いてください。
不安定要素が増すことには賛成。学問は学者だけのためにあるのではなく、社会に貢献してこそ意味がある。
反対にせよ賛成にせよ,大学を再構築する良い切っ掛けになればと思います.
組織改革、意識改革のための契機となればいいことであると思う。
実社会との関係を深めることは必要なのではないか。得に理系においては。そのために外部から研究費を調達するシステムが発展すれば、結果的に大学の独立法人化がなされるような気がします。
事務官の国家公務員としての身分・待遇が変わらなければよい
今の時点では結局どちらの道を選んだ方が(長い目で見て)特かわからないので、あまり深く考えても仕方ないと個人的には受け止めている。
研究,教育に則した事務組織の改革(今の事務組織はあまりに官僚的過ぎて不必要な手続きに事務官,教官が忙殺されている)を行うのに必要というのであれば,かまわない。しかし,現在の「独立行政法人」案は教育という国家百年の計に属するような類の問題や、研究という基本的には個人の才能にゆだねざるをえない類の問題(従って、目的達成型で成果が保証されない。そもそも研究者はいつ成果が出るともわからないような当てにはできない問題を当てにしながら日々を過ごす存在である)に当てはめるには不適当である。現在出されている案には反対であるが,お役所的でない大学への改革は必要であると強く感じている。
教育研究の理念や方向性の中で議論されていない。拙速な改革は結局不満足な結果をもたらし、改革が新たな改革を必要とする。こうした、改革の連続は教育研究に向けるべきエネルギーを削ぐだけで、結果的にマイナスの効果しかもたらさない。改革するなら、10年、20年先を見つめて方向を定めてから行うべきである。
基礎研究が続けられるなら賛成です。いつ役に立つかわからない事にも予算がきちんと確保できるなら問題はないと思います。逆にきちんと評価されるならば活性化につながっていいと思います。しかし現状ではどのように判断できるのか?どういう基準で決めるか等の問題があり、すぐに移すのは反対です。このような激しい対話が5、6年続けばある程度満足できる状態でスタートできると思います。
完全民営化
学部、研究科等の違いによる弾力的な配慮がなされ、研究教育機関としての大学が、最も効率的に(ここでいう効率というのは、対コストという意味ではない)運営される機関として、移行出来るのならば、賛成する.
各大学で独自性を出すことを前提に
(4) 総務省による独立行政法人大学の業績評価は、どのような観点で行われると思いますか?

(5) 独立行政法人大学では、学長は給与や部局への予算配分を決めることができます。学長は、教職員や、学科の業績を適切に公平に評価できると思いますか?

(1) 国立大学が独立行政法人化した場合、職員の身分は国家公務員である方が良いと思いますか?

どのような理由でそう思いましたか?
利益をあげる業種でない。
来年から国立大学関係の職に就くので私的な理由から
法人化した場合は企業と同じだと考えるから。
日本の高等教育の基盤である大学の職員のあり方を市場原理にゆだねることに反対。
日本が独立国であることを維持しなければならないと前提する。この前提では物質的資源の乏しい日本は人的資源を重視するのが最善の道だと思われる。そのためには日本の大学は全て国立大学化、学生の授業料は無料化、研究者の研究費は現在の10倍にする。数年単位で見るとつぎ込んだ予算はほとんど無駄になるかも知れない。しかし数十年単位で見れば銀行の不良債権処理に何兆円もつぎ込むよりは実り多いことだと思う。
独立法人の性格によって、決まる。25%の定員削減から大学の独立法人化が急浮上してきたが、国家公務員ということで、将来定員削減が適用され可能性が残るなら、法人化は何のメリットももたらさない。
独立行政法人化された場合、国家公務員という身分は保障されないと考え、またこの身分により制約が生じると思うため。
独立行政法人という名称とは実態が異なると思われる。あえていえば、従属行政法人であろう。だとすると、せめて身分は国家などからは自由であるほうがよい。つまらない縛られ方だけはしたくない。
独法化するなら、その方がすっきりするから
定年までは就労したい
中途半端な状態での国の出先機関になるのは、よけい危ない気もするし、大学が学問的意味を持たないのならば、銀行にでも就職するつもりであるので、特に興味がない。
大学を活発な研究・教育の場とするために、能力主義を徹底させる必要がある。その場合、国家公務員という身分は不必要である。職員や教員も任期制が当然であるから、従来の国家公務員という身分は当てはまらない。
大学での研究成果は国民・国家、広く言えば人類全体で共有すべき物であり個人や企業に属するべき物ではない。このことを実現するには職員は国家公務員、つまり公僕として扱われるべきである。
生活(将来)の安定性
人件費を国が負担したら授業料が安くおさえられると思った
身分保証がある程度しっかりしていると思う。しかし、教官たちの業績評価は厳しくするべきではないだろうか。
身分を長期的に保証するため。
身分の保証。
身分の安定がなければ、独創的で正否にリスクのある研究に従事することはできにくくなる。逆に成果の出しやすい課題に流れると予想される。それは学術研究の発展のためにならないので。
身分と職責の安定性
身分が保証されているからこそ、長期間にわったっての研究ができると思います。
身分が保しようされるから
身分が公務員でないということになれば、定数削減の公約が達成されてしまい、この問題を議論する機会が当面失われてしまう。公務員の身分のままであれば、定数削減が実質的には達成されていないとして、もう一度制度いじりが行われる可能性が残る。独立法人化自体には反対であるが、もし法人化されてしまうならば次善の策として、中途半端な「改革」を繰り返す「改革政治」を逆手に取り、国立大学の真の改革の可能性を残す道のほうが良い。
職員は、結果的に公共の利益となるような研究活動を、行っている(またはサポートする)ことになるから
職員としてどちらが有利か判断しかねるため。
実体がはっきりするまでは少なくとも身分や生活の保証が欲しい。
時代に対応して、専門的技術を必要とする仕事と特殊な技術を必要としない仕事が必ずあると思うので、弾力的に職員を採用するためには、公務員であることは、難しいと思う.
今のままの仕事が行われるのであれば身分は問題ない。
国立大学の独立法人化は、将来の民営化を視野に入れて行われるものであると認識している!従って、職員の身分は初期段階において国家公務員にとどまる方がよいかという設問であると解釈する!独立法人化の初期段階において、国家公務員に留まったとしても、その削減が予想されている!国家公務員に留まることを選択した場合、今後民営化$または削減の過程において、教員は、非常勤講師等、期限付き採用によって穴埋めを行うであろうと予想される!この事態は、国家公務員の身分保証にありつけた現在の教員にとっては最善策かもしれないが、これから教員を志すものにとっては最悪の選択である。従って、独立法人化するのであれば、その時点で教員は国家公務員の身分を放棄して、問題を先送りにしないようにすることが良いと考える。そうでない選択肢として、任期制の導入が考えられる。例えばその期間は10年とする等。いづれにしても、10年間はこれから教員を志す層にとっては冬の時代であって、独立法人化に伴う身分選択はこの点を十分に考慮するべきである。
国立の大学である以上、公平な教育を行う義務があり、そのためには国家公務員である必要がある。
国家公務員以外の身分とはどのようなものかわからない。
国家公務員を包含する独立行政法人は構造的に矛盾があると思われる。法人化は反対であるが、法人化したならば国家公務員でない方が、新たな方向を模索する上で過去を払拭できるのでよいのではないか。
国家公務員のように身を保障されると、研究をおろそかにする人が出てくるから
国家公務員とそうでないのとの差がよく分からないので.
国家公務員として採用したのだからそれをまもるべきだ。
国家公務員としての身分保障がある.
国家公務員ではなくすると、大学の切り捨てが激化しそうだから
国家公務員でなくなるのは不安。国家公務員になりたくて試験を受けたのに途中で身分を一方的に変えられるのは勝手だと思う
国家公務員でなくなると、教官はいっそう、国に対して物言えなくなるから。
国家公務員でない方が危機感というか自分の立場を自覚できると思うから
国家公務員である方が良い面と良くない面とがよく分からないので。
国家公務員である場合とそうでない場合とでそれぞれメリット、ディメリットがあり、それを評価できないから。
国家公務員である場合と、そうでない場合では何が違うのかがよくわからない。
国家公務員であるメリット、デメリットがよく分からないので
国家公務員であるかどうかが本質的ではなく、運用がフレキシブルになることは身分が不安定になることそのものだから。どちらの身分であっても不安定さは恐らく変わらないと思われるから。
国家公務員が、特に良い職種だとは思えないから。
国の責任で教育、研究を進める機関が必要である.
国として基礎科学を人を雇って推めているということが明確になるから。
行政法人になる以上、半官半民のような形態になるのではないか
行政改革としてやる以上、そうしないと意味がない。
公務員という身分は既得権にすぎない。教員・研究員が公務員でなければならない論理にお目にかかっていない。
公務員でなくなると突然クビになるかもしれないから
公務員でなくなると、利潤のみで学問が歪められるのを招きかねないと考えたから。
公務員だと、くびになりにくいので、なめくさった仕事態度の人が減らないので
元々、「独法化(エイジェンシー化)」が当該組織に“公的”であることを放棄させるような性格のものである以上、このような質問はナンセンスである。
研究者にとって身分保障は自由な研究に必要
研究者にとって、国家公務員という身分に意義があるわけではないから。事務職員については、よく分からないが、人員が無駄にいるのではないかと感じている人も多いはず。
研究および教育指導の継続性を考えると、国家公務員として身分が安定している方が本腰を入れられて良い。
研究・教育内容は身分によらない.
権力や財力に左右されず、グロ−バルで公平・公平な立場を保つためには、国家公務員として身分が保障されるべきです。「民主的で文化的な国家をつくり、世界の平和と人類の福祉に貢献する」ためには、経済効率・競争・序列・差別選別はなじまないと思います。
兼業などの観点からは、公務員であるほうがよい職域とないほうが良い職域とがあるはずである。
極度に不安点な身分でなければ公務員にはこだわらない
教員は、その場で思い付いたことを板書して、学生のための講義をしていなく、国家公務員の身分のままだったら、それはいつまでたっても改善されなく、予備校の先生のようにもっと危機感をもって講義に取り組んでほしいため。(だめな教授や助教授は首にすべだ)
教育特例による学問研究の独立性
教育に関わる業務は、基本的に国が責任をもって行うべきものと考えるから.
教育・研究を行ううえで,身分が安定している方が良いから。
共通の身分を与えられて、なお自分の属する組織に疑問を持ちつづけられるとは思えない。近い将来にそうならずとも、遠い将来、それが当たり前になった時代に不安を感じる。固定化されない視点を保とうとしたら、これ以上のしがらみを負っていられるんだろうか?加えて、公務という響きが嫌。
規制のない自由な地位に立てるのではないか。
基礎研究などではすぐに結果は出ず、その間は生活の苦労をせず研究に集中できるようにいられるべきです。だから基本は国家公務員でいいと思います。だが、国家公務員という安定した立場で甘えないという事も必要です。そこら辺は研究の評価などと結びつく問題と思います。
基礎科学の研究者が、彼等の研究成果を直接直ちに社会に還元、できるとはかぎらない。
学生であるため,国家公務員であることのメリット,デメリットが分からない。
学術探求は何らかの補償がないと続けるのは難しいと思うから。すぐに利益の出る研究ばかりではないし・・・
学術研究者の安定した身分(収入)保障のため
学校内部の職務の効率化や自由度が増すから
学外での活動を自由にするために
運営上、身分による大きな差は感じられない。
安定した立場に居なければ、(軽薄短小な研究であればいざ知らず)腰を据えての本格的研究は不可能だと思う
安定した身分(国家公務員)には良し悪しがある
やらない人は首になるべきだけれど、やってるとやっていないの判断が難しい場合があるから。
もし独立行政法人化してしまった場合に、職員の身分だけは国家公務員のままであるというのは、公務員定数削減という目的と矛盾し、何のためにわざわざ法人化するのかわからなくなってしまう。
どちらをとってもメリット・デメリットがあるので、一概に比べられないと思う
どちらでも悪い
それ以外のどんな身分をも考え付かない
そうでないと、切り捨てられる職員がたくさんいそうだから。
これまでの大学の性格を残していけるから。
いま税金で養ってもらっていますがそれに見合った成果の還元を納税者にしていないと思います.とくに理系はアメリカで成果を発表して喜んでいる有り様です.大学を本当に必要とする人に支えてもらうシステムで良いのでは
kokkakoumuinn toyobarerubeki,sigotowositeru hitobitotoha,omoenaikara.
(2) 中央省等改革推進本部は中央省庁改革の推進に関する方針(平成11年4月 27日)として、省庁再編が始まる平成13年から10年間で国の行政機関の職員の定員を10 %削減することとしています。また、同方針では、国家公務員に関してはさらに削減を前倒しして、平成12年度採用分から毎年新規採用を減らし、10年間で合計25%削減することとしています。
このような国家公務員削減計画については賛成ですか?

(3) 仮に、10%の定員削減を受け入れた場合、北海道大学は正常に機能すると思いますか?

(4) 仮に、25%の定員削減を受け入れた場合、北海道大学は正常に機能すると思いますか?

(5) 国立大学制度に留まるときの 25%の定員削減は、本当にそれが行われると思いますか?

(6) 独立行政法人化後は、学務事務等が大幅に外注化されることが予想されますが、これは望ましいことと思いますか?

4. 文部省について
(1) 文部省は、高等教育について明確なビジョンを持っていると思いますか?

(2)9月20日の会議で有馬朗人前文部大臣は、「大学の自主性を高めて社会に責任を果たすには、出来る限り自らの権限と責任で運営することが望ましい。そのためには、個々の大学に独立した法人格を持たせることが適当である」と述べました。あなたは、この考え方が本当に独立行政法人で実現されると思いますか?

(3)文部省案では通則法に則り、中期目標期間を5年としていますが、大学としてはどう思いますか?

「適当である」以外を選択した方は、何年が適当であると考えますか。
10年ないし20年が多かった.その他に以下のような意見があった.
目標の性質によって期間は変わるものであると思われる
判断できない
年数を限るのは無理
長期(10年以上)
中期目標というものが大学になじまない
実用段階にある事項は2-3年。基礎研究等は無期限。
最低10
最低10
期間設定そのものに問題がある
期間をもうけるべきでない。
その様な期間を設けること自体、基礎研究を軽視しているのでは?
(4) 9月20日の文部省が示した特例措置がすべて実現したならば、国立大学は独立行政法人化してもいいと思いますか。

5. 国立大学協会と第一常置委員会の中間報告について
(1) 国立大学協会の 99学長アンケートの集計によれば大学として譲れない位 4つの条件は「教育研究の自主・自律性」(72校)「組織の自主・自律性(63校)」「財政基盤の確立(56校)」「公正な評価(33校)」でした。この中でどれが一番重要と思われますか。

「その他」を選択した方は、重要と思われることをお書き下さい。
いずれも重要だと思う。
こういう問いはナンセンスである。4−(3)の問いもそうだが、私は「不適当」とおもっているが、そういう項目がない。この問いに関していえばすべて重要なのであり、ひとつだけ重要とか,最も重要などという概念はあてはまらないはずである。
すべて同格
教育研究の自主・自律性が最も重要だと考えられるが、これは財政基盤の確立無くして実現しないと考えられる。
6. 大学改革と国立大学の法人化について
(1) 国立大学は使命をどのくらい果たしていると思いますか?

(2) 国民は国立大学をどう思っていると思いますか?

(3) 国立大学にとって、改革は必要だと思いますか?

(4) 国立大学において、内部からの抜本的な改革は可能であると思いますか?

(5) 高等教育を維持・向上させていくうえで、現在の国立大学制度は必要であると思いますか?

(6) 国立大学に対しては、独立行政法人化の代りに例えば学術法人」といったような独立行政法人とは異なる独自の法人形態を検討すべきであると思いますか?

(7) 独立行政法人化はあなた自身の研究・教育・学務等の活動にプラスになると思いますか?

どうしてそのように思いますか?
理学部の研究が、果たして正当に評価されるのかが疑問であるから。
理学等における基礎分野は経費縮小されうる可能性があるから。
予算の問題があるから。
予算が少なくなり、研究の自由度が減少する
目先のことを重要視してしまうから
明示的には社会的還元が現れないような基礎研究をしているため
明確な予測が立たない。
僕の友達も大学の講義に飽き飽きしているし、それを改革する上でもいい機会だと思うから
不要なことに時間を取られる。
評価を前提とした目標設定・課題設定などは、よい結果を得るため無理をしたり、評価者の受けをねらった(評価者の価値判断に迎合した)内容になりやすいのは人間として自然の行動傾向である.しかし、研究結果や進捗状況は計画通りにはならないことがままあるのはその性格からして意外ではない.この結果、将来への悪影響を避けるため,成果の発表・報告書の作成・次の計画作成へのつじつま合わせでエネルギーを消耗することとなるのは、大なり小なり科学研究費などで経験済みである.全体として,全国の大学で壮大なエネルギーの無駄使いが行われることとなる。特に基礎科学において著しく弊害があると思う。
能力・やる気のない教員や職員が大勢はびこっている現状を打破するためには避けて通れない。多少の痛みは伴うが、10年先を考えたときに日本の大学が世界水準の研究機関であり教育機関であり続けるためには、質の高い人材と高能率化が不可欠である。
能率の論理の採用。
独法化は、突然変異(少数の優秀者)・自然(人為)淘汰・適者生存という「弱肉強食」の「社会ダ−ウイニズム」を教育現場にもたらし、人間の尊厳は無視され、猜疑と抜け駆け・権力志向・体制迎合と一方では無責任・無意欲を作りだすとおもう。身体・精神文化が脆弱になるとすれば、なんのための教育かが問われるのではないか。
定員削減により、現状では、研究者として大学に残れる可能性は極めて低いと言わざるを得ない
長期的視野にたった大きい問題の研究が難しくなる
長期的なビジョンでの研究が行いづらくなる
長い目で見ればちゃんと競争していた方が健全なので。
中期目標の設定と達成度の評価のための報告書作成に時間を取られ、また、独法化が効率を目指す以上、成果が得られやすい、こじんまりとした研究をせざるを得なくなると思うから。
中期目標に縛られる、自由な研究が制限される、教育研究環境が悪化するなどの理由から
大学という機関の存在意義として、学問の独立と平等を守るという必要があると思われる。このことに対し、もし法人化が行われた場合、学問はそれを学ぶ人にとって、経済的事情や行政的な問題から、選択の幅を狭める事になり、学問の自由が制限されると思われる。
多分仕事の外注化が進むだろう
多分、息のながい研究はおこなわれにくくなるとおもう。
組織がそれをどう受け入れるか.北大はマイナスになりそう.ローカル意識が強く,他有力大学と組織力で対抗できるビジョンと実践プランを持ち合わせていないから.
先の見通しが立たないからである。
生き残るための努力をさらにしなければならなくなるから
成果優先になって、冒険が出来なくなるから。
制度的に不適切なものを無理矢理当てはめるので、多くの混乱が生じると予想するから。
上書類書きなどの付随作業にいままで以上に時間がとられ、研究の実行時間が減り、教育の準備もおろそかになる。る。
小さな事から大きな事まで、今の大学当局・講師には不満がある。しかし、「上」から変革を求められて変わった大学の姿がどうもうまく想像できない。そして自分に及ぶその影響がどれだけのものか?個人のやる気の有無以上に重大な要因か?そういったことをつらつら考えていると、なんとも言いようがなくなった。
初期には、法人化に伴う組織変更によりエネルギーが削がれる。継続的には、経営面から入試・教育・研究・学務の合理化が求められ研究教育の質が低下する。
純学術的研究の為
就職口が減るから
収益を上げる、効率性を高めることを第一義に求められるから。
社会に対してすぐに役立ちそうな研究をしていないので、評価していただけない可能性がある。
実際に自分で研究費を取ってきているわけではないので、どうなるかは想像できない。
実際にどのように運用されるかはわからないから。これまでの他の法の解釈を例をみても、どのようにもなっているから。
自由度がなくなり,望まない仕事や雑用が増えると思うから。
自分の無知をさらけ出すようだが、大学の独立法人化に関する知識があまりにも不足している。
自分の専攻が直ちに社会に役立つものではないから
自分のやりたいことを、ゆっくりやれなくなる気がするから
事務量が増える。注意が分散される。
私の知識が足りない
私の存在がユニークであるから。
広く教養を身につけ、自己確立をし、自由にものを考えられる人間になったうえで、真理を追究し、現在の社会を批判的に見ることのできる人間になることが私の目標であるが、独立行政法人化した大学ではそのことができなさそうだから。
効率性がより重視されていると思う
効率化が第一で、教育研究が二次的で、大学の目的が異なってくるので
現状より悪くなることは考えずらい
現在以上に、業績をあげることにエネルギーを費やさなければならなくなるのではないかと思う。
現在の大学は、客観的な第三者による評価が行われてないと思う(外部評価委員会は論外)。大学運営、教官の能力(研究面でも教育面でも)は、第三者に評価されて、学外の多くの人にその内容を公表し、改善していく必要がある。
研究予算が減り、お金を集められる研究室じゃないと研究が続けられない
研究費等の大幅な削減が考えられる。
研究費の削減が予想されるため。
研究環境の悪化
研究課題の選択ができそうに無いから
研究に大きな制限(予算・人員で)を受けそうだから
研究について:現在伝えられているところの導入されるであろう評価システムを仮定すると、日常的にその評価システムに関わる雑務の増加により研究そのものの時間が圧迫されることが予想される。また、その評価が研究活動を理解しない人々によってなされることで、研究の誇大宣伝の風潮が懸念される。
研究・教育の適正な評価がなされる.
研究:短期間に経済効果が期待できるか否か不明、教育・学務:殆どの時間を研究に費やすことになる可能性がある。
結局お金がと良い教授が自分の学部に配分されればプラスだし、されなければマイナスだから。
経済性ばかりが優先されると思うから
経済効率を優先されると、基礎研究が出来なくなる.
具体的目標や計画を立てるような内容の研究ではない。専門と必ずしも一致しない名称の部署に就いているため、専門外の研究を強いられる可能性が高い。
極めて基礎的な研究であり、短期間での評価はむずかしい。
業務の効率化という名のもとにどんどん研究の自由度が失われると考えるから。
競争原理が働くと思う。
競争原理が追求され、中長期的なスパンで考えられなくなるのではないか
競争の原理が働き、能力のある人の研究意欲がわくから。
基礎研究は軽視されると思われるため
基礎研究には、金がおりなくなりそう
企業的利潤追求のみに偏ったふざけた教育になる恐れがあるため。
企業に勤めてもないのに、お金になる研究をするように努力するのは空しい
企業などの具体的な利益に結びつく研究しかできなくなると思うから
学問的評価がどのような基準で行われるのかわからない。
学問の世界に、競争原理が産まれるなら、それを現実に感じることでやる気の向上が得られそう。
各大学または各研究室間の「競争意識」と言うものが芽生え,それは研究等の発展に繋がると思う。確かに,これにより淘汰されるところもあるかもしれないが,それはそれで仕方ないのでは?
営業成績に左右されそうだから。
一定期間内に結果を出すように追求されるのは望ましくないから。
安易に結果を追い求めるようなことはしたくないから。
ポストの減少。予算の減少。
どう逆立ちしても役に立つとはとは評価されないだろう
すでに述べたとおり、現時点では独立しようがしまいが、各選択肢を取った場合の将来像がはっきり見えてこないから。
すぐ修了するから
これまで同様の、姿勢で研究が可能かどうか定かでないため.
お金にならない基礎研究はしにくくなるだろうから
お金にならないものが研究できなくなるかもしれないから。
おそらく大学の予算が減るであろうから
いっそう実現可能なテーマに移行する圧力となると思う.
あと1年で大学を出るので。
「評価委員会」に評価されなければ業績と認められない以上、研究・教育活動へのインセンティブは大幅にそがれることになろう。これは、日本の「国家百年の計」を考えると、大きなマイナスになると思う。また、現在もそうだが、学部教育の空洞化がますます進行することにもなりかねない。そうなると、日本の学術研究の担い手となる“層”の厚みがますます寂しいものになってしまう恐れがある。また、大学院拡充が「ポスト」の拡充を伴っていない以上、学術・研究さらには教育面で大学院の質の確保が保証されるとは限らない。そうなると、学部生が院に行くインセンティブも大幅にそがれることになるのではないか?
(8) 独立行政法人化後、大学の講義は改善されると思いますか?

(9) 独立行政法人化後は、経常的研究費が縮小され、競争型研究費が大幅に増されると予想されます。これは、科学技術研究を向上させる政策だと思いますか?

(10) 経常的 研究費:公募型研究費の割合としてどれが適切と思われますか。
(今年度までは教育研究費(いわゆる校費)0.4兆円、科研費等競争的研究費 0.1兆強)

(11) 1996年度から5年間に政府研究開発投資17兆円が予定されほぼその通りに予算が組まれてきましたが、これは日本科学技術の向上に役に立っていると思いますか?

(12) あなたは1996年度-1999年度の4年間にどのくらいの公募型研究費(科研費を含めて)を研究代表者として得ることができましたか?

(13) 独立行政法人化後は産学連携とは無縁の分野は縮小されると思いますか?

(14) 独立行政法人化は、民営化へのステップとなる可能性があると思いますか?

(15) 北海道大学は民営化してやっていけると思いますか?

7. 大学の自治・学問の自由について
(1) いわゆる「大学の自治」と言われますが、そもそも現在の国立大学に「大学の自治」は存在すると思いますか?

(2) 「大学の自治」は、大学組織の運営に必要なことだと思いますか?

(3) 現在の国立大学制度では、いわゆる「学問の自由」が保証されていると思いますか?

8. 北海道大学としての議論の在り方について
(1) 独立行政法人化問題に関して、部局内での十分な議論が必要だと思いますか?

(2) 独立行政法人化問題に関して、全学的議論が必要だと思いますか?

(3) 独立行政法人化問題に関して、学部としての態度を明らかにすべき時には、意思決定はどのようなプロセスが望ましいと思いますか?

(4) 独立行政法人化問題に関して、北海道大学としての態度を明らかにすべき時には、意思決定はどのようなプロセスが望ましいと思いますか?

(5) 独立行政法人化問題に関して、北海道大学としての態度を決定するべき時には、以下のどちらを優先することが望ましいと思いますか?

9. 北海道大学の将来について
(1) 国立大学に留まった場合、北海道大学の将来は明るいと思いますか?

(2) 独立行政法人化された場合、北海道大学の将来は明るいと思いますか?

10. その他の質問
(1) 政治家・官僚が独立行政法人化の方針を決めた場合、国立大学がそれを変えることはできないと思いますか?

(2) あなたは競争原理に基づく社会が好きですか?

11. 自由意見
予想される「定数削減」という観点のみから見れば、学部学生以下に対する一般教養的教育という面では「モチベーションの低い講義及び指導者が取り除かれるという意味で、"ある種の" 活性化が図られる」と思うが、大学院以上における実践研究的教育という面では「研究分野が多岐に及ぶ近年に於いて既に破綻しつつある人材充足率が更に低下し、マイナーなテーマから順に研究が断絶してゆく」ことが予想される。要は、北海道大学の存在意義として、一般教養的教育と先端的研究のどちらに主点を置くかという二者択一的問題になると思う。私個人としては後者に大きな意義を感じており、定数削減に反対という立場(のみ)から言って、独立行政法人化には反対である。
法人化問題は、非常に難しい問題と考えるので、十分な検討をして行くべきと考える。基本的に、人員の削減は必要と考えている。実際に、働いていないと感じさせる教員・職員が専攻内ですら何人か見受けられる。非常に危険な面もあるが、博士課程以上の者に限って、学生にもそういった評価をさせる機会を作ってみてはどうか? (学部生をも含めると、ただの人気投票になってしまうおそれがあるので)
非常に重要な問題ではあるが,世間はあまり関心を示してないように思う.国の説明不足もあろうが,一般社会から大学にどの程度,関心をもたれているかを示しているようにも思う.
日本は、「大学」という名の機関が多すぎる。だから、話が複雑になる。この際、「私立の大学の名に値しない」「大学」を整理する好機だと思う。その上で、「真の」大学をどうするかを考えるべき。
独立法人化の賛否に関わらず、現在の国立大学の改革を望む意見は多いであろう。しかし、改革とはシステムを変えれば終わりではない、必然的にその運用にコストをかけなければ成功しないと思われる。現在の体制で、北大における教育をより良いものにするためには、一層の時間、労力を教員が引き受けなければならない。国立大学としてその活動の国民への説明義務を認める人は大勢存在すると思うが、公開評価を全学的に定期的に行うとすれば、多大なコストがかかるであろう。研究活動についても、現状での評価システムが最善ではない場合が多いと思われるが、そうなっている原因の一つにコストの問題がある。実際に大学をよりよいものにするためには、運用コストこそ最大の問題であると思われる。国立大学の独立法人化は、コストを増大させ、それを担う人員を削減するという点で魅力が無い。この問題を解決するための方策は、システムの大改革ではなく、現状の改善であると考える。このような状況において必要なことは、大学はより多くの予算要求をして、大学事務の強化及び今の10倍規模の身分保証の整った補助的スタッフの組織的雇用を要求する必要があると考える。これくらいのこという元気が北大にある
独立行政法人化問題は国立大学がかかえる問題を多く含んでいると思います。私が所属している理学研究科のように直接社会に貢献することがあまりないような研究を行っているような研究科はおそらく独立行政法人化によって不利になってしまうので、どの研究科も短期間で業績がでるような研究に偏ってしまう傾向がでてくると思われます。現在でも企業と結びついた研究をおこなって多くの研究費を得たほうが有利であるという傾向はあると思います。ただ、いずれにしても国立大学は改革が必要な時期にきていることは確かだと思います。大学というのは閉鎖された環境なのでどうしても社会からかけ離れてしまうのも事実だと思います。ですから外部からの干渉は恐らく必要でしょう。しかし外部からの干渉だけでは前述したような危険性も生じると思うので、大学として絶対に譲れない線を明確に打ち出す必要があるのではないでしょうか。
独立行政法人化問題はともかくとして、現在の北大は改善しなければならない問題点をかかえていると思う。このような機会を活かして、少しでも現在の体制を改善するための議論を行って行くべきではないかと思う。
独立行政法人化問題のことをもっとわかりやすく説明してもらえるものがあればいいと思う。(たとえば漫画を使うなど)
独立行政法人化に反対する場合には,いわゆる地方大学の整理・統合を是認する必要があると思う.すべての国立大学を今のままで残すことは不可能だと思うので.北大だけの問題として独立行政法人化に対処する場合には,独立行政法人化を前提として,北大の独自性を積極的に打ち出す必要がある.
独立行政法人化になった場合、長期間にわたって成果のでない分野は切り捨てられると聞きますが、それは良くないことだと思います。
独立行政法人化が実現すれば、学問らしい学問および文化、いいかえると直接には生産の向上につながらない学問分野は衰退していくことになると思います.しかしそういう学問や文化が充実している国こそ文化国家なのであると私は考えますので、私にいわせれば、独立行政法人化を選択することは、日本が文化国家として発展することを放棄することであると考えています.
大学の先生陣は忙しすぎて、大学の諸問題を考える時間の余裕がないようにみえます。文部省の軽率な判断から日本の教育を守るためには、現場の教育者の生活を改善することが先決だとおもう。 いまは、一人が何役もこなしすぎではないだろうか?
大学に競争原理が入らないとだめと思う。国立大学は営利企業ではないが大学の見本として私大がある。アンケートの項目によっては回答がないものがある。項目を多くすべきです。
他の先進国における大学教育と日本のそれを比べると、他国に行きたくなる。カリキュラムに問題あり。日本の大学は、教育面において明らかに他国より劣っているのではないでしょうか。
政治家には文系が多く、大学の法人化で一番問題になるのは、理系の基礎研究だと思うが重要性や内容については理解されにくいと思う。お互いの意見交換が重要だと思う。逆に、理系の職員でも中にはほとんど研究もやらずにいわゆる税金泥棒の人もいる。研究費についても国民の税金を使わせてもらっているという謙虚な気持ちが大切。そういうことを、ふまえて自分の保身のためではなく地球の中の日本としての視点に立って真剣に議論することが大切だと思う。日本も今では世界にかなり影響力を持つ国になってしまったし、研究に関しても最先端を行っているわけですから。
政治家がきちんと理念を示さないから、官僚が適切な制度を構築できない。官僚が適切な制度を構築しないから、現場はその得失を巡って混乱する。大学の民営化や大学間の競争については、検討すべきであるが、競争には目標とルールをきちんと設定しないと、ただの喧嘩になる。もし、我々がこの(明らかに)つまらない理由で押しつけられた制度を受け入れるなら、結局、政治家の怠慢の結果としての混乱を多くの学生や未来の研究者に垂れ流すことになる。断固として受け入れるべきではない。
政治のいい加減さにはただただ驚かされる秤です。政治の愚に対し、ちゃんとした大学の在り方の理念を社会に訴える必要があると思います。学問は何故必要なのかという本質的なことを理解し訴えていかない限りどちらに転んでも表面的な解決にしかならないと思います。政治家あるいは一般国民に対しそれらを訴えても彼らが理解できないとすれば結局彼らを輩出してきた大学自身の教育がうまくできていなかったことを示しているのかもしれませんが、
上で「国立大学を国民はどう思っているか」という質問がありましたが,東大だけのイメージが先行して「よくやってる」と思っているのではないか?という気がします。そして,道民は「北大はよくやっている」と思っているかもしれません。しかし,実際はどうなのでしょうか? 名前だけになっていませんでしょうか?私は,北大の研究室は「論文」ということに執着がない,という話を聞いたことがあります。「競争原理」や「淘汰に対する危機感」というものがなければ,北大および日本の科学の進歩は難しいものと思われます。研究の活性化には独立行政法人化は必要だと思われます。一方で,独立行政法人化されれば,応用研究をやっている研究室は企業などから恩恵を受けるでしょうが,理学部のような基礎研究をやっている研究室には,そのようなサポートはかなり難しいと思われます。そこは文部省や科学技術庁といった組織が,「基礎がなければ応用はあり得ない」ということをよく理解した上で,きちんとサポートして欲しいです。独立行政法人化には賛成ですが,日本人お得意の「短絡的儲け優先主義」が存在する限り,本当の意味での「独立行政法人化」にはならないと思います。
事務職員にとっては、資料を配布されても、良く理解できていないのが現状だと思います。このことに関して事務系統からの説明は何もないので。定削とのからみで、どちらをとってもこれからは大変になるという認識しかもてません。わからないという回答が多くて申し訳ありません。
私個人の分析では、あらゆる組識は、いつも、程度の差こそあれ「精神分裂病」に犯されています。複数の統一されない意思の集まりである以上これは当然のことです。しかしながら、場合によっては治療が必要となるときがあります。そこで、次の二つをいつかどこかで提案しようかと思って構想しています。「組織病理学」(もちろん医学における組織病理学とは関係ない)組織が犯される病気について研究、その治療を確立する。「組織健康保険」病気になったときに、治療ができるように、保険を整備する。
私学と交互の単位取得、私学生の講義開放を考えてどうかと思います。
私は基本的にアンケートは嫌いである。今回はやむなく行ったが、アンケートは各設問に自分の思考が束縛される、またそのような設問になっている、からである。この「自由意見」のコーナーもおかしい。独立行政法人についてのアンケートだといっておきながら,「。。に限らず、何でも構わない」というのはおかしくないか。これは思考の自由とは程遠い。私は,思考の自由を束縛するものはすべて悪であると考えている。今回の独立行政法人案に胡散臭さを感じるのは、基本的にこの問題の出方が人間の思考の自由を無視していると感じるからである。現在の大学組織も思考の自由を必ずしも保障していないという側面はある。大学人も思考しているのかどうかわからないような状態で日常化しているのかもしれない。変わらなくてはいけないものはたくさんある。今風に言えば、大学も進化しなくてはならないのだろう。しかし,一方で「改革,改革」といって,すべて中途半端に終わるような改革にはうんざりしている。総合大学の場合は,組織が肥大化しすぎていることは事実だ。組織としては、そこを何とかしないといけないのではないか。また、学生の才能を見つけ、本人がそれをのばすのを手伝う,というきわめて重要な仕事を大学は行っている。私は,ひとつの町を作るとき,大学と病院をまず作るべきだと思っている。他は,現場で必要に応じてできていくものだと思っている。つまり,もしも国家というものが国民に利益を与えることができるとすると、大学と病院を国がきちんと作る,という発想が重要だと信じている。しかし,このような考えを国民が共有しないなら、つぶれるのも仕方のないことである。大学,とりわけ,国立大学が必要かどうかを国民に問うべきである(国民とはマスコミを意味しない)。
私は、大学の存在理由の中で、「大学の自治」こそが最も重要なものであると考えています。従って、大学のことは大学人自らがまず決め、その上で国民やそれを代表する(国会)議員の理解を求めるべきであると思います。今回の独立行政法人化のように政府(あるいはそれに準ずる団体)の策定した案を大学が受け入れるということは、その案の良否にかかわらず、「大学の自治」を無意味にするものだと思います。
私は、株式会社北海道大学にするといいと思います。つまり、完全民営化に賛成です。民営化することによって、無だが省かれるでしょうし、効率的な経営が進められると思います。当然、それによって、授業料が高くなったり、研究費が出なかったりするでしょうが、それは、甘んじて受けるのがこれからの社会なのではないでしょうか。現在、昼休みに事務室がしまっています。更に、午後5時には、事務員が帰ってしまいます。これで、講義を受けている学生はいつ、事務室にいけばいいのでしょうか、。これが改善されるなら、少しくらい授業料が高くなってもいいです。
財政基盤の確立なしに、自治も自由もなく、「評価」に同意しない自由も担保できない。現在、財政は全面的に国に依存している。その結果、(私の関係した範囲内の)会議では、理念や理想や方策を検討するよりは、文部省の(少数の担当者の)意向を忖度することに、多くの労力がさかれているように思える。単に意を迎え、取れるものは取ろうという態度である。これは、現制度によって生じたことであって、もちろん当事者にとって当然の行動というべきであろう。独立行政法人化によって、以上の状況は本質的には変わらないと思われる。(この状況を変えようと考え出されたものでない以上当然かもしれない。)従って反対。以上の理由よりわかるように現状にも反対。10の2にたいする補足。個人の競争を第一義とする社会は好きではないが、行政府を含めた機関、団体の競争する社会は好きという意味。国という行政府も、自治体という行政府も、福祉団体も、(ちょっと身勝手か)教育機関も競争する社会。従って設問がこの意味でない場合は「嫌い」に変えてください。
最初の「考える会」のときに言いそびれたのだが、たぶん組合が立てた物だと思う「職員の首切りにつながる法人化反対」という看板を見かける。今回の法人化は目的が真の改革ではないということが問題なのであって、もし本当に改革につながるのであれば首切りもやむを得ないと思う。そういう立場からすると、あの看板は大学人が自らの保身のために法人化に反対していると取られる表現であり、反対運動の足を引っ張る物だと思う。
今の大学の入試制度は間違っていると思う。北大も95年度以前の理ⅠⅡⅢ方式に戻してほしい。そうしないと学生の意欲は今後衰退していく一方だと思う。その上独立行政法人化なんてしたら日本に未来はない。
今、改革を叫べば善、変えないのは悪との風潮が強く、これに逆らうのは難しい。結果の見えない改革を続けて無駄なエネルギーを使うより、貝となって教育・研究に徹する方が将来に残るものが生まれるようにも思える。
国には、国会で十分な審議をしてほしい。独立法人化問題は国立大学だけの問題ではなく、日本での教育や研究の在り方を変える問題だと思う。広く国民の間で議論が沸き起こるようにさまざまなキャンペーンをはってほしい。
現在の国立大学は、研究に関して自由と競争との間で十分にそのバランスを保っていると思う。独立行政法人化はその均衡を崩す可能性を秘めており、リスクを負ってまでやるべき事ではない。
結構長いアンケートでした。作られた方は、お疲れ様でした。
結局のところ、世間(一般、学生、企業etc)がみて、魅力的な研究・教育を行い続けていることが重要。現状を見た時に、果たしてそれがなされているのか。大学の中にいてもいまいちわかりずらい。社会に対するアピールも稀薄だと思える。学問の府としてのみでなく、広く一般に開かれる情報の発信拠点になっていくべきなんじゃないでしょうか。
教職員の意見が殆ど聞こえない事が、問題の深さを感じさせる。国が決めたことには、逆らえないという雰囲気が感じられ、独法化反対の意思表示が出せない今の状況を考えると、大学の自治が絵そらごとに見えてしまう。国の政治の失策とその莫大な借金のつけを国民に押しつける無責任な今の政治に21世紀の日本の教育がさらに一層翻弄されることを心配している。
教育・研究に携わる職員は声を出すべきと思う.その機会を多く設定すべきと思う。このアン−ケーとで多くの意見が集約されること願っています。また、若い世代の学生、研究者、職員の声が聴きたい。
競争原理による効率化、あるいは即効性重視の研究は、ある程度、私大に任せてよいと思う。学問には、一見無駄に見える時間を使って、ゆっくりとやれる場も必要だと思う。そういう場として国立大学が必要だと思う。
学問ははやりものではない。そのために、時には無駄とも思える事も続けなくてはならない。大学という機関は、外部からの影響を受けずに内部での、政治的かつ思想の自治を守るべき義務があるはずである。この教育の基本理念を棚に上げて、大学の行政を変えようと言うのはおかしくは無いだろうか。法人化をすると言うことは、大学がその自治を失うことと同じ意味を持つと思われる。法人化によりどの様に大学が変わろうと、たとえよりよい方向へと変わろうとも、大学の自治なしで大学とはいえないと、私は考える。
学生の立場から言わせてもらうと、「学費が上がるのはいやだ。研究費はたくさん欲しい。」というのが本心です。独立行政法人化は国の予算減らしの一案以外の何者でもないような気がします。結局しわ寄せが行くのは弱いもの(学生、大学職員など)なのですから、もっとよわいもののことを考えて欲しい。
改革すべきは大学の教育機関としての部分と研究結果を産業に生かせていない部分である。リストラブーム?にのって人員削減すること、経費削減することが改革だと思っている馬鹿どもの言うなりになる必要はない。大学とは研究機関である。教育や産業への還元はその二次利用にすぎない。教育や産業のために研究活動を縛るのは本末転倒であろう。
懐の広い社会を実現できるかどうかは、教育の大きく関わるところと考えます。現路線がはたしてよいかどうか、疑問は大いにあります。しかし、法人化が解決策とも思えません。
回答がほとんど「分からない」ですみません。独立行政法人化問題については将来身に降りかかる問題として重要なことと考えていますが、大学にいる研究者(先生方)がどうやってお金を取ってくるか、どのように研究費を稼ぐのか,ようやく分かりかけてきた大学院生のわたしとしては,確固とした自分の意見を言うには勉強不足かと思います。
何でも構わないのですか?では大学全般についてこんな感じの意見(不平不満)を・・例えば先日、下宿の広間にて、学生に自覚を!とか、高等教育を守れ!などというが現実に大学側は何かしたのか?進級単位には当該学科の単位しか認めないようなガチガチの枠つくっておいて何ぬかす?「楡陵祭のオールナイト開催は、問題、事故が夜に集中しているから認められない」だの、なぜそこまで気を遣ってもらわにゃならん?おとなしい祭りがそんなに好きか?馬鹿共め!「強行開催したら大学の敷地貸すのやめます」なんて、交渉のしかたも汚く稚拙じゃないか、そんな、「貸して頂く」場所に誰が愛着を持てる?法的論拠を持ち出しちゃあお終いでしょう、30年前なら嵐が起きてるね。「ほーら現実は厳しいぞ、理想はゴミだぞー」と言われてる気がするが被害妄想かね?人員削減でジムジム(事務)潰れるのはイイかもね?・・・などなど、出てきた台詞を発端に深い話も浅い話も、延々続くのでした。自分は活動家でもなければ特定思想も持っていないです。情けないけれど、分類上、考えと行動を結び付けていない「愚痴家」の類です。でも同様の連中が集まると色んな価値観からの主張が浮き出てきて結構白熱するもので
わたしは、学生としての立場から、学部等の事務手続きを見ていると、もう少し効率化できる部分があるのではなかろうかと思われる点が多々ありました.大学構成員の個々人が、自身の仕事等に専念できる環境としての大学、高等教育機関が望まれるべきものであるなら、多少の改組は、必ず必要になると思いますが、中期目標期間が 5 年であると、大学に入学して大学院にはいった頃に、環境が変わってしまう可能性があります.教育機関として、そのようなことがないことを望む限りです.
よく分かりませんが、もし学費が値上がりすると、貧乏なので困ります。私大はお金がないからいけなくて公立大にきたので、最悪の場合、進学はあきらめなければなりません。そんな世の中はあんまりです。
ゆきすぎた専門分化に加え初等中等教育が従来の厚みを持って行われなくなってきている以上,人材育成と言う観点が大学でもっと重視されるべきです.教養を解体し,専門 縦割りを安易に低学年に押し下げたことは反省されるべきです.創造性は研究だけではなく,運営教育にこそ今求められていると思います.私達は なにか問題がおこるとそれを制度や慣行のせいにしがちですが,制度慣行の多くは実は私達自身が作り変えるのをためらっているのです.独立行政法人化の賛否論議で欠落しているのは,私達はほんとうに責任をもって組織をデザインし運営する覚悟があるのかどうかという視点ではないでしょうか.今の制度でも改善しようと思えば改善できることはたくさんあるのに,それが実行されていないのはなぜなんでしょう.みんな自分のせいじゃないと思っているのではないでしょうか.大学の自治,研究教育の自由,これら響きの良い言葉は,自分とその狭いコミュニティさえ満足していればそれでいいという無責任思考にゆきついてしまっているのではないでしょうか.自由には義務が伴うと言う当たり前のことが大学では軽視されている気がします.
もともと北大に終身的にいるつもりもないし、移っていくのが当然と考えているので、北大がどうあるべきかという議論は興味がない。大学教育、大学での研究がどうあるべきかという観点の方が重要である。
ともかく日本人は評価が下手で、評価という名を借りてさまざまな取引を行うことが大学でも横行している。評価するならば、その評価機関と評価そのものを評価する仕組みを作らなければ意味がないどころが、もっと悪いことになる。北大でもセクハラ防止のガイドラインを作ったようだが、それを逆手に取って、自分の講座がセクハラに対して努力しているということを宣伝するために、女性にその証拠作りの協力を求めるという新たなセクハラが生み出されている現実を見ても、日本人のうちでも評価評価と騒いでいる連中こそが、が評価というものをただの取引材料としか考えていない感覚が如実に現れている。
ぜひ独立行政法人化にすべきだ。今、日本全体に教育にさまざまな問題点が指摘されているが、まずは大学の講義から変えていかなければ、今の小中学校の生徒達にとっても大学は楽しいから行く、という意識ではなく、仕方がないから行く、ただ行って現在のように、出席だけとってその場から出て行くという学生がこれからますます増えて、大学とは学ぶべきところではなく、遊びの場に変容していくような気がする。私は、現在ダブルスクールに通って学んでいるが、そちらの教師達は熱心で教え方もうまく、学生とのコミュニケーションもしっかり取っている。なぜかというと、終わった後にアンケートを取りその結果が悪いと自分の首が、飛びかねないからだ。北12条のところの大きな看板に、「授業料の値上げにつながる。教職員の首切りにつながる」と掲げているが、多少授業料が値上げされようが、僕たちは、いい授業が行われるなら構わないし、一般の民間の人たちだってリストラされるという危機感を持って生活しているのに、自分達だけが、のほほんと生活すること事態が間違っていることであって、よりいい大学を目指して努力をしていってほしいと丹波学長には願いたい。
これだけ環境を破壊してきた人類はすこし歩みをとめてみるのがいいと思ってます。研究者の自分の研究成果以前に研究により派出するゴミ等の環境問題を解決して研究してほしい。独立法人化といっても本当は国家経済が破綻して国立大学を運営できなくなっているのを別の言葉にする替えているだけにすぎないのをなぜ誰も声を大にして追求しないのでしょうね
これから大学へ就職しようとする大学院生にとっては結構深刻です。すでに教職に就かれた人の立場だけでなく、多方面から議論されていることを期待しています。 (しかし、最後の質問は いかがなものかと。)
これから進んでいく未知の時代に起きるあらゆる困難を切り抜けるためには研究・教育活動に莫大な投資を行い、人材の成長を促すしか方法がないと思う。マニュアル通りのことを正確にこなすだけではなく、自ら考え、工夫する知恵のある人材を養成するのである。具体策としては、私立大学も含め全ての大学を国立化、学生の入学金授業料無料、奨学金全員支給、大学研究者定員と研究費の10倍増を実行すべきである。もちろんすぐには無理だろうが、20〜30年かけて実現させるべきである。
この問題に関しては関心はあるのですが未だ不勉強で明確な考えを持てない状況です
この問題に関しては、入ってくる情報がネガティブなものばかりで、客観的に判断する材料が乏しい。もっと第三者的に見た、客観的な情報(良い面・悪い面両方とも)を出してほしい。そのような判断材料がない今の状態では、自分の意見の構築が難しい。
このような全学に呼びかけるような活動は、e−空間上だけでなく、現実の空間の中でも行われる必要がある。ほとんどの学部生は「独立行政法人化」という言葉すら知らない状況である。大学の教官諸君!(??)もしあなたがたが本気で大学の将来を心配するのなら、講義の中で直接学生に呼びかけることぐらいは、“するべき”である!!
このようなアンケート自体,もうすでに遅いのではないか.もっと早い時期に動くべきだったのでは.しかし,何もしないよりはいいのかもしれない.
このアンケートは設問が抽象的に過ぎる。二者択一が不可能な設問で白黒を要求する設問が多い。
お疲れさまです。道内他大学からの邪推?があったり、職員にもあきらめムードが先行しているような中で行動を起こすのは誰にでもできることではないと思います。
アンケートフォーマットの作成ご苦労様でした。今回、外圧によって大学内の問題を必死に討論する機会を得たことは貴重です。この機会にやるべきことは、大学人一人一人に考えさせることだと思います。
アンケートに選択肢が少ない。
hosin ni hasuruto rokunakotohanai!!
8.の議論のあり方に対する答えの項目に失望した。学生の意見を聞かずして、大学改革も高等教育もへったくれもない。「大学の自治」っていうのは、大学を構成する人すべてが、それぞれの立場で意見を言い、民主的に決定することだと思う。現在の大学の一番の問題点は、学生が声をあげられるシステムが存在しないことだ。その結果、あらゆることが大学当局や教授会と行った学生の手が届かないところでおこり、教官と学生の間に隔絶が起こり、授業が形式的で教員も生徒もやる気がなく、しかもそれをそれぞれがそれぞれのせいにして改善しようとしないという状態を生み出すのであろう。この意識を改革せずして、大学改革もへったくれもない。それとも教員のかたがたは、大学改革でより教員が研究に没頭できる大学を造りたいのだろうか?だったら大学などと名乗るのは金輪際やめて、すべて研究所にでもすればよろしい。もしそういう大学がお望みなのであれば、たとえ独立行政法人化してもそこには大学を教育機関として位置づけているのでその方が一向ましである。
10の(2)の質問だが、私個人としては争いごとがあまり好きではないので嫌いであるという答えを出したのだが、scienceの発展のためには競争が必要なのではないかと思う。欧米では実力本意のため、科学者の身分は不安定であると聞く。日本では、もっと研究者の評価を厳しくするべきなのかもしれない。国家公務員という身分に必要以上に甘えてはならないと思う。
10.(1)は実際どうなのだろう?独立行政法人化が決行されてしまったら、目先の利益や効率ばかりで物を考える人間ばかりの世の中になりそうで恐ろしい。非常に不安だ。私は理学部の人間であるが、真理の追究や基礎研究の意義を言葉にできるようにならなければいけないなと思った。それらに携わる人間こそが社会にその意義をもっと主張すべきなのかなと思った。
10.(1)については、法案が国会に提出される前に、反対の声を盛り上げて、阻止しなければならないでしょう。衆議院選挙の一つの争点に上るようにして、選挙に勝てれば、阻止できるでしょう。
1.独立行政法人化の問題は、日本の長い歴史をもつ国立大学の制度をどうするかという、非常に大きな慣性をもつ問題であると思う.このような問題を、十分な制度の問題点の総合的.多角的な点検と、制度変更の結果起こり得る事態の推測と評価なしに、慣性が小さく問題を残さずに試行が可能な問題であるかのように,「実施してまた悪ければ変えればよい」あるいは「部分的に悪いところがある(例えば、講義に熱心でないなど)から変えた方がよい」などという意見は取り返しがつかないという意味で危険であると思う.2.独立行政法人化の問題のように、その内容の輪郭がはっきりしないまま進行していく問題に対する評価や判断の根拠は、政治家,政府や文部省に対する過去の実績に基づく信頼や評価が基本であり,論理的な整合性や可能性では輪郭がはっきりしていない以上埒があかない.個人的には、大学の自主的改革案が、いかに表面に出ない「文部省折衝や担当係長の一言」で没にされたり、まったく変質させられたりしてきたのを見てきているので、文部省を信頼することはできない.辻下さんの公開質問状に対する藤田さんの回答の中に、「文部省は国大協以外、個別大学やましてや任意団体や個人の意見など聞く気はない」ことがはっきり出ていました.したがって,方向の選択は当面は、文部省を信頼しない前提で防衛的にならざるを得ない.「学術法人」のような問題の検討は、出来れば「特例法」など行政法人化の枠内での動向とカップルしない形で行われるのが望ましいと思います.事態がはっきりしてからではなく,同時進行すると戦術的には上手の政治家・官僚に「条件闘争の内容問題」に持ち込まれ、中身をすりかえられ追い込まれる恐れがあると思う.3.大学自身の問題としては,ある学部や部局の利害や存続に関わる問題でも,全学的に論議し方向を出せるようなシステムを作らないと、今のままでは自主的改革の展望は開けなく,外からの批判に答えるのは困難であるように思う.