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2001年10月24日

北海道大学ネットワーク声明

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【呼びかけ】
 1.しばらくの間、法人化問題に再び関心を寄せて頂きたい
 2.あらゆる機会を捉えて意見を表明して頂きたい。
 3.全学投票への参加のお願い

【中間報告についての北大ネットワークの意見】
 I.誰にとっての規制緩和か
 II.強まる中央省庁の関与
 III.時代に逆行する中央集権化

おわりに


2001年10月24日

北海道大学教職員各位

独立行政法人化問題を考える北海道大学ネットワーク

 9月27日に、文部科学大臣の私的諮問機関である「国立大学等の独立行政法人化 のための調査検討会議」が中間報告「新しい『国立大学法人』像について」(以下、 中間報告)を公表し、法人化問題が一つの節目を迎えた。ここに、独立行政法人化問 題を考える北海道大学ネットワーク(以下北大ネットワーク)は以下の呼びかけを行 うと共に、中間報告に関する意見を表明したい。なお、中村総長に対し、中間報告に 関連する公開質問状(最後に添付)を送付した。

【呼びかけ】

1.しばらくの間、法人化問題に再び関心を寄せて頂きたい

 中間報告は、主要争点の中で未決着な部分があり、国立大学の法人化問題の成り行きを大学が強い関心を持って見守ることが必要である。

2.あらゆる機会を捉えて意見を表明して頂きたい。

 大学構造改革案(遠山プラン)に従う強引な行政指導が始まってからは、大学行政への批判が多方面から出るようになり、国立大学からの意見表明を促す声が次第に増えている。しかし昨年来、「国立大学の法人化は既定路線である」かのような記事も多く流れており、大学社会内部でも、法人化問題は決着がついているとする意見も少なくない。それだけでなく、国立大学全体が統廃合問題やトップ30政策への応対と「法人化の準備」に振り回されていて、法人化問題について論じる機会が少なくなってきたようだ。

 法人化突貫工事が「工程表」通り進行することを黙認するならば、このあと大学社会が法人化に影響力を行使できる機会は余り残されていない。残念ながら、大学側を代表する国立大学協会は、主に経営者の視点から発言しており、教育と研究の現場からの意見が反映されることはほとんどない。大学の実体を形成する教職員自身が、中間報告の描く法人化は大学における教育と研究の活動を真に活性化するものか否かを見極めようとしなければならない。

 ぜひ、パブリックコメントの機会(10月29日締切、応募要項(*1))を利用すると共に、マスコミへの発言、国会請願書への署名等などを通して、現在の国立大学教職員の考えを、社会に伝えるように努めて頂きたい。

3.全学投票への参加のお願い

 北大ネットワークでは、調査検討会議の「最終報告」前後に全学投票を実施することを検討している。大学経営者ではなく、教育と研究の現場の意思を確認する作業により、国立大学法人化に対する日本社会全体の関心をわずかでも高まることを願って実施するものである。協力と投票への参加をお願いしたい。詳しい日程や方法などが決まり次第、改めて案内したい。

【中間報告についての北大ネットワークの意見】

 中間報告は「21世紀は、『知』の時代と言われる」という表現で始まっている。

 「知」は絶えず他のものに仕えてきた。長い「神の諸世紀」を通じ聖職者に仕え、「国家の諸世紀」を通し国家と産業に仕え、「暴力の20世紀」の前半には軍事に仕えて地球のあちこちに地獄を創出した。その悔いから「知」は、人々が心身とも豊かな生活を営むことのできる世界の実現を目指し、その実現を阻むものと戦うことを心に誓ったのではなかったか。

 しかし、地球上の日本というこの場所で、新世紀初頭のこの年に、「知」は、隷属への岐路に立って迷っている。大学ーー「知」を支える社会的制度ーーは、「学問の自由」の意味を忘れ、「大学の自治」の意義を見失い、「潤沢な研究資金」と引き換えに、隷属への道に追い立てられるようにして歩み始めようとしている。しかし、その道の先に、地獄創成に喜々として励んだ退廃が、再び「知」を待ち受けていないと誰が断言できるだろうか。

I.誰にとっての規制緩和か

 国立大学法人化のメリットとされる、大学の予算・組織・人事・経営面での規制緩和の内容は何か。

 大学の諸活動を支える十分な人件費・教育研究費を保障しなければいけないとする国への規制が緩和される。大学の組織を臨機応変に国が変えることを規制する法律が緩和される。国による自由な教員任免を規制する教育公務員特例法が廃止される。評議会審議を義務づける大学運営規制が緩和される、等々。

 要するところ、国と大学経営陣が大学を効率よく管理・経営し機動的に物事を決めることができるよう、諸規則を取り除くことが法人化による規制緩和だ。

 しかし、設置者であり主な出資者でもある国は、国立大学に対して潜在的に強い影響力を持っており、放置すれば開発途上国の多くで起っているように、時々の政権の指揮が大学に直接および、長期的視野に立った教育・研究を行うことは著しく困難になる。そのため、欧米諸国の多くは、国に対するいろいろな規制を設け、大学が自律的に活動できるように工夫している。この点では、日本はかなり遅れてはいるものの、国を規制する仕組みが貧弱ながらもあって機能してきた。これらの仕組みが「国立大学法人」化により消失し、日本の大学は欧米諸国の大学からさらに遅れをとり、国際競争力を急速に失っていくだろう。

II.強まる中央省庁の関与

 法人化により国の権限の一部が大学経営者に委ねるられることを理由に、大学に対する国の監視は、従来とは比較にならないほど強まる。

 中期目標は大学の意見を尊重して文部科学大臣が策定するが、大学が希望した中期目標群に、たとえば「任期制ポストを倍増する」というような中期目標を一つ付け加える操作で、文部科学省は大学を思うように変形できるようになる。これは従来の行政指導による婉曲な干渉に比べれば、遥かに直接的で効率のよい方法となろう。また、文部科学省内に大学評価委員会を作り、期末には、大学評価・学位授与機構の評価などを参考に「総合的に」判断することになっている。しかし審議会答申と同様に、最終評価が事務局案で実質的に決まることを防ぐことは困難であろう。

 策定された中期目標に対する中期計画を立てる作業は、人員計画も含むものであり、大学自身が財務省と交渉しながら行うことになるだろう。この作業は、独立行政法人化した国立研究所の情報では、従来の概算要求作業よりも煩瑣になることが予想される。

 中間報告は明示的には述べていないが、国立大学法人は独立行政法人の一種として設計されている。独立行政法人制度から完全に逸脱すれば国からの財政的保障はなくなり、学校法人化(私学化)との違いも明確ではなくなる、という意見に説得されたと推測されるのだが、文部科学省だけでなく国立大学協会自身が独立行政法人制度から逸脱することを望んではいないと思われる。従って、総務省の独立行政法人評価委員会は国立大学法人大学の改廃審査権を持つはずである。

 こうして、国立大学法人は、文部科学省から直接的な種々の制御下に置かれるようになるだけでなく、財務省、総務省からも直接的な干渉を受けることになる。

 なお、こういった事態では、「天下り」受け入れは必要悪となり、官公庁から国立大学教員への転職数(「学校教員統計調査報告書」によれば全国で年に約千名)は格段に増え、教育・研究の現場に従事する教員数は減少し、大学の教育研究基盤の弱体化は避けられないだろう。

III.時代に逆行する中央集権化

 中間報告「新法人像」では、トップダウンの大学運営体制の司令塔となる「役員会」を作り、そこに経営や大学運営に詳しい学外者を加える方向を打ちだしている。この方向は国立大学協会の法人化案にもある。しかし、学外者が大学経営を主導するようになれば、そもそも国立大学法人大学のアイデンティティが不鮮明になり、自律性・自主性という言葉すら意味をなさなくなってしまうだろう。「大学経営責任」の所在は、最初からないも同然である。

 しかし、たとえ、学外者が参加しない場合でもトップダウン経営には問題は大きい。

 構成員一人ひとりの創意工夫の上に成り立つ組織では、少数の役員によるトップダウンな運営形態が組織の全体的創造性を貧弱にすることは、種々の調査からも明らかとなってきている。企業でも、社員一人ひとりの創造性が要求される時代に入り、リストラされるべきは人事部である、という意見すらある。教職員の創意工夫に支えられる大学にトップダウンな運営形態を導入する法人化は大学の基本機能を衰えさせるリスクが余りに大きい。

 法人化を推進する学内外の人達は、このリスクを意に介さないようだ。それは、その方々が産学官連携を大学の主要な使命とすることに熱中する余り、大学の基本機能を守り育てる配慮を捨て去ったことを示すものであろう。産業界がどれほど困窮していようとも、人・時間・場所・予算等の大学資源全体の転用を性急に強引に進めることは、産業の基盤そのものを破壊して科学技術後進国にするだけでなく、日本の知的風土を荒廃させ、短期間に日本を文字通りの後進国に変えてしまう。 「国立大学法人」化のリスクを知る人には「国立大学法人」化に対し静かにノーを表明する義務がある。大学を損なうことを知りつつ、種々の圧力に押され時流に流され、あるいは利益に誘導され、国立大学法人化の内容が何であれ、それを推進しようとする人達が、大学独自の価値を理解しようとしない存在に大学を譲渡することを看過してはならない。

おわりに

 いま国立大学に居るものは、大企業や政府の直属研究機関・教育機関になって活力を失った大学群を次世代が相続することのないように努める必要がある。財政節減と産学連携促進以外に必然性も意義もない国立大学法人化を退け、制度工作のための諸会議と行政文書作成で失われる莫大な資源を救い、大学が抱える多くの問題を真に解決し大学進化を促すことに投資しなければならない。

 国立大学法人化問題の正しい解決のために費やされる時間と労力は、今後、日本の大学社会全体に良質の資源をもたらすであろう。パブリックコメントを出すのに必要な時間と労力は大きなものではなかろう。全学投票に参加するのに必要な時間はわずかではなかろうか。次世代への誠意の証として、この程度の投資は実行しようではないか。

 繰り返して国立大学の全教職員・学生・院生の方々にお願いしたいことは、初心に立帰って、法人化の是非自身を考え抜くことである。いま、強い関心を持って声を出さなければ、上記のような問題を持つ法人化が中間報告通りに実現してしまう危険性は極めて高い。仮に法人化される場合にも、私たち現場の声の有無は、法人化後の大学に天と地ほどの違いを産むであろう。そのようなクリティカルな時期に、いま私たちは居るのである。

(*1)パブリックコメント応募要項(文部科学省ウェブサイト)
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2001/010901.htm