2001.2.17 著者の承諾と協力を得てオンライン化しました。
琉球大学50週年誌より

(随想)

自主・自立の大学を

琉球大学工学部教授

永井 實


 1950年から2000年,20世紀の丁度後ろ半分に歴史を刻んだ我が琉球大学。さらにその約半分づつ,正確には22年間と28年間を,米軍布令立(琉球政府立)琉球大学および国立琉球大学として分け合い,きわめて特異な変遷を遂げてきたこの大学に,同時代者そして後半28年間は「苦楽を共に」させて頂いた当事者として,ある種の深い感慨を禁じ得ない。

 太平洋戦争の後,戦争を放棄した新憲法の下で,全国各地に一斉に設置されたいわゆる「新制国立大学」との,相互比較研究においても,あるいは国立大学一般の今後のあり方を語る上でも,本学の経験がきわめて貴重な情報を提供することに誰も異存はないであろう。時あたかも大学の「独立行政法人化」が喧伝され,有事法制,平和・民主憲法の見直しまで議論されるこの節目の時代に,今後50年ほどの大学の未来,あるべき姿を,しっかり見据えることは決して無駄ではないと思われる。

 タイトルに掲げた「自主・自立」と「独立行政法人」は一見相通ずる様に見え,またそれを肯定する議論も一部にあるようだがそれは真っ赤な嘘・虚構と云うべきであろう。国立大学協会を始め多くの心ある大学人がくり返し明らかにしているように,「独立行政法人化」は政府・文部省の高等教育に対する責任放棄であり,大学運営までも資本主義的市場原理に投げ込むこと以外の何ものでもない。そもそもこの国の高等教育施策および財政は福祉の施策・財政と並んで先進国中もっとも貧しく,劣悪でさえあることは今や知らない人の方が少ないのではなかろうか。国立大学も私立大学も乏しい教育予算の中で骨身を削る大学運営を余儀無くされ,学生とその親達は「受益者負担」の名のもとに世界一高く,かつ毎年上昇する入学金と授業料の重圧に喘いでいる。教育の機会均等とは裏腹に今や「東京大学」に入れる子の親の平均年収は2000万円を下らないといわれている。

 思うに,教育と福祉における彼我の差は欧米諸国と我が国の歴史差の反映と考えられる。民主主義と人権を基礎に置いたフランス革命,それに続く多くの民主革命と,同じく多くの挫折や逆流とを経験した彼の国の指導者達と,絶対天皇制時代の影響を今なお引きずっている我が国の為政者の間には,民主主義の認識に於いて絶望的ともいうべき断絶があるようだ。大学の自治,学問,研究,宗教,言論出版の自由の重要さ,かけがえのなさは,ブルジョワ民主主義革命から民族解放運動に至る幾多の経験を経て,今や先進資本主義国でも発展途上国に於いても人類共通の常識であり「導きの星」でもあるほどに,定着しているといっても過言ではないであろう。沖縄県民がその下に戻ることを強く願いそして勝ち取った「日本国憲法」を有するこの国の最近の動きは一体全体なんとしたことであろうか。

 アメリカ軍布令によって誕生し,大学の自治,民主主義の有り様について幾多の経験と勉強をしてきた琉球大学人として,当然の発言権はあろう。歴史の皮肉とも言えるがアメリカ占領軍の存在なしには,今日の国立琉球大学もかっていわれた「8ミリ大学」も,今日,本県内外で今や重鎮として活躍している本学の卒業者達も,そのかたちでは存在し得なかった。戦後沖縄史における米軍の功罪のうち功の上位に本学設立をあげたい筆者の気持ち1) は今も変わらない。自らの出自と歴史を直視し,アイデンティティーを確立してこそ未来も語れるのではないだろうか。本学の今後の有り様について少し考えてみた。

産学連係および地域との関わり

 産学連係について筆者は終始肯定的に関わってきたが,これについての国立大学一般の態度は大きく変遷してきたという事実がある。遅くとも本学が国立大学として歩み始めた70年代までは「産学共同」はいわば大学人が手を染めてはならない禁じ手であって,産学癒着ひいては大学の自治を犯すものであるとの認識が一般的に存在していた。筆者が学んだ大規模国立大学でも,赴任したこの琉球大学でさえそれは一般的であったし,困ったことにはいわゆる進歩的と目される人々の中にかえって強くその傾向が存在していたのである。筆者が準備段階で深く関わり沖縄県工業連合会を主体に設立された現在の「工学部後援会」は,その規約第10条に「研究・発表の自由」を明記することでようやく実現した2)

 大学紛争の余韻が残っていた当時の状況,また一方にはベトナム戦争当事者であったアメリカ国内の「軍産学共同体」のきわめて否定的な状況があったとは言え,その傾向は筆者をして,大学人の主体性を疑わしめるに十分であった。先進資本主義国では常識となっている「サポート・バット・ノットコントロール」(支援すれど支配せず)こそ民主主義の伝統に裏打ちされた大学の自治擁護の精神であり神髄とさえ言えよう。

 技術立国を掲げる日本の大学で発明・特許の届け出やその支援活動が,最近までほとんど無であった事実も上述事情によるものであった。筆者の見るところ「支配」偏重の感が強い政府文部省が,この点では,発明活動の奨励と産学連係を強く誘導するようになったことはそれなりに評価したい。主権者たる国民の付託と期待に応えて,国立大学が産学連係を進め,地域との関わりを一層強めるのに何の遠慮がいるだろうか。設立50年の琉球大学はその出自から「沖縄県民の共通財産」としての色彩が濃厚だったではないか。関連するが,2000年度の学年暦より本学もようやく「6月23日」を休業日とすることはとても喜ばしい。

自己評価と自立(教員の任期制について)

 「独立行政法人化」は大学を教育・研究の「執行機関」と見なし,計画立案および達成度評価を専ら主務大臣(文部大臣)に委ねることを特徴としているが,その背景に大学人不信すなわち大学の自己評価を否定する思想があることは明らかであろう。また一方,私立大学の厳しさを経験したことのある同僚からは,国立大学人の甘え,無定見さを指摘されることも稀ではない。結局の所大学人自身が真に自立し,自己評価に於いても遺漏がないかが問われているのだ。この点では筆者にも確たる見通しはないが避けて通れない問題だと認識している。

 例えば教員の任期制について,これを労働法違反の疑い,研究の継続性阻害等の観点から批判することは簡単だが,教員人事の流動化,大学活性化の主張には反対する理由がない。実は,大学の内情を知る者ほど,現状教員人事の硬直化とそれによる数多(あまた)の弊害を指摘せざるを得ないからである。弊害は教授会運営が民主的でない大学・学部ほどひどくなる。非民主的とは,教授のみによる人事の選考,非公開,公募によらない人事等々であって,残念ながら本学にも少なからず見受けられる。公募によらない人事は学則にも違反しており,国立大学人事の私物化として当然指弾されるべきであろう。

 大学50周年のこの機会に,あるべき「教員の任期制」について真剣に議論することを心から呼び掛けたい。あまりにも硬直化した現状を打開し,教員相互の切磋琢磨,なによりも国民の期待に応える大学であり続けるために,大学人による自主的な任期性の導入が必要ではないだろうか。非情なリストラ・首切り・定員削減を目的とする任期制ではなく,定期的な自己評価と相互評価を原則とし,再任可能,昇任を促す任期制ならば,本来大学人自らが遠の昔に制定しておくべきものだったと信じる。

 琉球大学の一層の自立のために,あと一つ希望しておきたいことがある。それは本稿も掲載されるであろう,本50周年記念誌において,大学の歴史が西暦年で記述されていることそれである。自分史ではあっても歴史を語る以上,それは科学的で他者にも通用する国際的な基準で記載されるべきと考えるからだ。1950年から2000年という本学の50年を,昭和25年から平成12年と説明されても理解できる人は国内でも少ない。別に茶化すつもりもないが,明治維新の年は1868年であって明治元年ではない。世界中で,今でも「元号」を国民に強制しているのは日本と(台湾在)中華民国だけではないか?

 国際友好と内政不干渉の原則から筆者は,中華民国政府に異義を唱えるつもりなぞ毛頭ないが,1979年6月,当時の我が国の政府与党が,科学者と国民多数の意志に反して,「元号法」を強行成立させたことを忘れてはいない。それから20年後の99年9月,政府与党は,またしても数の暴力によって,「君が代・日の丸法」を強行成立させ,彼等なりに昔年の悲願を達成してしまった。2000年以降,いよいよ大学にも国旗掲揚・国家斉唱の圧力が及ぶであろうと読んでいるのは筆者だけではあるまい。前にも述べたように,残念ながらこの国の指導者達は,戦前の絶対主義的天皇制の治世を懐かしみ,人類史に対しては「一歩でも逆行」することを心から望んでいるとしか評価できない。

 現状では本学の公文書は全て元号表記を原則としているが,50周年,ミレニアムのこの機会に,全学的な討論,見直しが行われることを期待したい。 最後になるが,本50周年誌発行の暁までには,「独立行政法人化問題」は既に過去の話題となり,2000年5月22日が一層自立した琉球大学の新たな出発点として,人々に「明るく」記憶されるようになることを心より願っている。

(1999年文化の日記) 

参考資料

1)永井實,ニバーシティー・オブ・ザ・リュウキュウズ,琉大ニュース,No.83 (1985-10), 10.
2)竹田秀輝編,国際化時代・大学における自由と民主主義の探究,沖縄時事出版,101.