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調査検討会議組織業務委員会議事録

第1回 2000.7.31 第2回 2000.8.30 第3回 2000.9.20 第4回 2000.10.3

組織業務委員会(第1回)議事要旨 2000.7.31

(委 員)阿部博之、阿部充夫、石井紫郎、石川水穂、板橋一太、浦部法穂、大沼 淳、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、廣中平祐、馬渡尚憲、蝋山昌一、渡辺正太郎の各委員

(関係者)住吉昭信、町田篤彦、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者

(文部省)工藤高等教育局長、遠藤学術国際局長、石川私学部長、清水高等教育局審議官、合田大学課長、杉野大学改革推進室長 他

[A-1-1] 本委員会名が、当初案であった「法人の基本」から「組織業務」に変更になったが、委員会の責務等の点で何か変更点があるか。

[A-1-2] 当初、「法人の基本」という仮称で内部的に検討していた経緯はあるが、最終的には、「組織業務」という名称で整理したところである。これは、組織や業務に限定する趣旨ではなく、組織や業務に代表される法人制度の基本的な枠組みについて、この委員会で検討していただきたいという趣旨であり、内容的には変更はない。

[A-1-3] 資料11の「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」の法人の単位、名称、業務、組織のあたりを中心に議論を進めていくということである。また、本委員会と他の委員会とは、いろいろ重複する検討部分があるので、検討もれを防ぐため、他の委員会における検討も、多少守備範囲を越えるぐらいで議論いただくよう、事務局の方で調整願いたい。

[A-1-4] 3点について確認したい。第1点は、本会議において、国立大学等の独立行政法人化について検討を行うことは、中央省庁等改革推進本部(以下、推進本部という。)の了解の上で進められているのか。仮に、本会議で独立行政法人制度の修正版を制度設計した場合、推進本部など関係省庁等との協議に際し、一体どれだけの通用力を持つと言えるのか。第2点は、独立行政法人通則法が定める制度の枠組みの中で、例えば「国立大学法人」という名称の特定のグループを、調整法又は特例法という法的形式によって制度化することは可能なのか。第3点は、本委員会は、基本的な枠組みについて議論するものであるとのことだが、評価、人事、会計に関しても、制度の基本問題になる観点を含んでいるため、本委員会は、基本的な枠組みに関すること全てについて、議論する任務を持っていると理解して良いか。また、国立学校特別会計はどうなるのか。

[A-1-5] 昨年の9月、文部省が試案を公表して以降、推進本部事務局と非公式に折衝し、文部省の考え方を説明してきたが、推進本部事務局としては、この文部省の試案は、国立大学協会と調整済みのものとは理解しておらず、よって、公式にコメントはできないということである。したがって、文部省としては、本調査検討会議を開催し、関係者と合意できる案をつくり上げるということが先決であると考えており、その後、推進本部事務局などと調整することになる。なお、具体的な成案をつくるため、本会議を設けて関係者と検討に入ることについては、推進本部事務局に説明している。独立行政法人制度の中で、名称を含め、ある程度オリジナルな制度を大きな固まりとしてつくることができるのかという点については、ある意味では、非常に難しい選択をし、これから進もうとしているということである。ただし、現在でも、国の行政機関の一部である国立大学について、教育公務員特例法や国立学校特別会計法によって調整を図っており、独立行政法人制度においても、同様な工夫を検討したいと考えている。本委員会における検討範囲は、法人に関する基本的な枠組みであるため、他の委員会の検討テー マと関わる部分は少なくないが、平成13年度中に具体的な法人像を整理するためには、まず、各委員会で個別の課題を役割分担して、議論いただいた上で、委員会の間の調整を要する点については、各委員会の代表者等からなる連絡調整委員会で議論いただくということで考えている。

[A-1-6] 「国立大学長・大学共同利用機関長等会議における文部大臣説明」(資料15)にあるとおり、文部省としての基本的な考え方は、「独立行政法人制度の下で大学の特性に配慮しつつ、国立大学を独立行政法人化する方向で、法令面での措置や運用面での対応など制度の内容についての具体的検討に、速やかに着手」したいと考えており、そのため本会議を発足させ、平成13年度中に取りまとめを行うということである。

[A-1-7] 本会議は、国立大学を独立行政法人化する際、独立行政法人制度と教育機関としての特有性とをいかに調整していくかということを、議論していく場と理解して良いか。民間企業のガバナンスについても見直しが迫られており、企業とは、誰のものなのか、社長は誰が選ぶのか、何を目標にして事業に取り組んでいるのかという事業の実態や理念をできるだけ情報開示し、株主の理解によって、ワングレ−ドアップした経営を確立していくことが、大きな課題となっている。国立大学についても、同様の観点から、国立大学の真の意味の大学の自治と、国立大学が、公的な機関として、より国民目的にあった優れた大学になるという2つの課題を達成するために、具体的な枠組みを検討していくということが、この会議の役割であると理解して良いか。

[A-1-8] 本会議の役割は、閣議決定にもあるように、この制度を活用することによって、国立大学の組織運営、教育研究が進展することができるかどうかについて、具体的な設計図をつくり、検討するということである。その際、国立大学が多額な国民の税金を使って運営されているということを踏まえて、そのアカンタビリティを高めること、そして真の大学の自治と自主性といったことを高めていくことが、この制度を使って達成できるかどうかということが、重要な観点になるものと考えている。

[A-1-9] 閣議決定では、「検討し、平成15年までに結論を得る」とあるが、これは独立行政法人化しないこともあるという意味を含んでいると理解して良いか。

[A-1-10] 閣議決定は、独立行政法人化するという結論を必ず出すというふうには言ってはおらず、この問題について検討して、最終的にどうするのかという結論を平成15年までに得るというのが、政府の方針と理解している。

[A-1-11] 「行政改革会議最終報告(抜粋)」(資料4)で国立大学についての言及があるが、独立行政法人制度が国立大学にふさわしくないとは言っていないが、ふさわしいとも言っているわけではない。

[A-1-12] 本会議が、独立行政法人化の問題を検討するならば、通則法から離れることはできないが、通則法は、大学にはなじまないということが各方面から言われている。通則法に基づき、それを少し変えたもので関係者を納得させようとしても難しいのではないか。

[A-1-13] 政府としては、国立大学の独立行政法人化について検討するということを決定したところである。一方、独立行政法人制度をそのまま国立大学に適用することが、適切ではないという考え方は、文部省、国立大学協会、自民党も同様に持っている。文部省としては、独立行政法人制度をそのままでは国立大学に適用できないが、その制度を活用して必要な調整を行えば、国立大学にとってより良い制度になる可能性があると考えている。この問題については、具体的にどういう形ならば独立行政法人化ができるのかという検討を進めないと、いつまでたっても結論が出せないと考えている。本会議は、平成13年度中に、独立行政法人制度の枠組みを使った設計図を書くという作業を行うための会議であり、協力をお願いしたい。

[A-1-14] 独立行政法人の基本的コンセプトは、企画立案機能と実施機能を分離し、実施機能を独立行政法人という形で担わせるというところにあるが、国立大学は、文部省が企画立案したことを実施するという機関ではなく、独立行政法人の基本的コンセプトと国立大学の機能の関係を整理する必要がある。

[A-1-15] 独立行政法人制度は、行政の中の企画立案部門と実施部門を分けて、それぞれにふさわしい組織運営のルールをつくり、それぞれの機能の高度化を図ろうというものである。しかし、企画立案の部門や機能には、どういうものがあるかという具体的な言及がないので、それは、個々の機関に照らして整理をする必要があると考えている。国立大学の場合は、教育研究の具体的な内容について、国、文部省が、一方的に方向を定めるのではなく、基本的には、各大学の教育研究者が定めていくものと考えている。一方、国、文部省には、例えば、医科大学の全国整備、医師等の計画的養成、高等教育計画の策定、教員養成、学術の振興など、個々の大学の枠組みを越えて、国の高等教育政策として企画立案すべき部分があり、特に、国立大学は、このような国の行う企画立案と密接に関わってくるものと考えている。したがって、国と国立大学との関係において、こうした国としての企画立案機能を前提としつつ、国立大学が本来持つ企画立案機能は大切にしながら、国立大学にふさわしい形での機能分化を図り、独立行政法人化することは、可能ではないかと考えている。

[A-1-16] 独立行政法人を含む行政改革の方針の中には、財政のスリム化という観点がある。我が国が国際的に競争力を高めていくためには、国の高等教育に対する公財政支出を充実すべきであり、仮に、国立大学を独立行政法人化する場合に、財政のスリム化も一緒行うということでは、国力の低下につながる。

[A-1-17] 国立大学の企画立案機能と実施機能、さらに文部省の企画立案機能について、機能的に整理する必要があるが、国立大学が、果たして、従来から企画立案機能も実施機能も持っていたかどうか疑問である。

[A-1-18] 大学自身が、良い企画立案を行うためには、事務局の役割、能力がますます重要になると考えるが、大学の事務組織の在り方については、本会議の検討範囲なのか。

[A-1-19] 日本では、国立大学の実施する教育研究が、トータルとして容認できる範囲内かどうかという判断は、文部省のガバナンスに入るのではないか。つまり、国立大学は、税金を使っている以上、税金を負担している国民の視線で、国による最低限のガバナンスと情報開示は確立しなければならない。他方、各大学の教育について、個性を発揮し、他の大学よりも優れた教育内容にするにはどうしたら良いかということは、学長を中心とした大学の企画立案責任であると同時に、能力である。その上で、企画能力のある大学には予算が十分に配分され、能力のない大学は淘汰されるというのが、制度としてあるべき方向ではないかと考える。独立行政法人という制度によって縛られ、今までの既得権が全部取り上げられてしまうという被害者意識を持つよりも、この制度を活用し、より柔軟な組織運営に変えていくことによって、各大学の企画能力と自主性というものを確立するということを考えた方が良い。日本の会社は、外部から取締役を入れるのを非常に嫌うが、それでは、社長が効率の悪い運営をしても、誰も社長をガバナンスできないという反省が、今出てきている。自治を獲得する以上、民間企業で 言えば、出資している株主の、国立大学で言えば、税金を納めている国民のガバナンスの目は、最低限受けざるを得ないというのが、産業界から見た常識的な視点である。民間企業の企画立案という場合は、取締役会というよりも社長、会長等の執行部の企画立案である。

[A-1-20] 現在の各大学は、会社ではなく事業本部であり、学長はせいぜい事業本部長でしかないと考えており、そういう意味で取締役会の機能は、文部省側にあると認識している。

[A-1-21] 国立大学は、ノンプロフィットオーガニゼーションの最たるもので、利益について考える必要がなく、国家公務員で、常に市場競争にさらされているわけではないことから、国立大学を企業としては見ていない。民間企業から見ると、国立大学は、このような恵まれた側面も数多く持っていると理解している。

[A-1-22] 学長の役割を執行責任者たる社長レベルまで上げることが、本会議で検討すべき大学の自治であり、それを獲得できるかどうかを検討すべきであると考える。民間企業も、消費者の市場という非常に厳しい目に監視されており、今回の問題の検討に当たっても、自主性を監視されるということを、あまり恐れる必要はないと考える。

[A-1-23] 本会議の役割は、国立大学の独立行政法人化について、かなり問題があることを理解した上で、独立行政法人化という枠内の調整で行えるのか、とても無理なので、別途の法人として考えなければいけないのかということを検討することと理解している。企画立案と実施を、2つに分けるという考え方については、どんな問題であっても企画立案と実施というふうに、完全に2つに分かれるということは考えられないことで、要するにレベルの問題であると理解している。国の企画立案としては、例えば、大学審議会で議論している、グローバル化の問題やIT革命の問題などについて、国立大学をはじめ、全国の大学がどう対応していくのが良いかというような、全体的な方針を考えるというようなことであると考える。各大学のレベルでは、当然、そういう問題に対して、自主的に考えて検討していくわけで、これは単なる実施ではなく、企画立案を含んだものと考える。したがって、企画立案と実施は、行政改革会議最終報告では分かれているが、必ずしも2つに分け得るものではないと考え、議論していけば良いと思う。

[A-1-24] 個別の大学が、日本全体のトータルな高等教育政策を描けるはずもなく、したがって、文部省が、高等教育政策を企画立案し展開することは当然と考えるが、これまでの高等教育に対する公財政支出は、重点的に国立大学にふり向けられ、私立大学には十分とはいえないにしても公財政資金が私学助成という名のもとになされてきた。しかし、公立大学は、国・私立大学と違って、公財政支出の対象外とされ、助成は皆無である。このような不公平・不合理な公財政支出の配分の在り方は、根本的に改められるべきである。本会議で国立大学の法人化を検討する場合にも、公私立大学を含めた形でトータルに見て日本の高等教育をどうするかという中での、国立大学の問題の検討であるという位置付けを、明確にしておく必要があると考える。

[A-1-25] 国立大学の設置形態については、すでに昭和46年の中央教育審議会の答申においても、公的な資金を投入した新しい設置形態の在り方への示唆も行われているが、今回の問題は、行政改革の一環として出てきたために、国立大学関係者に抵抗感がある。また、独立行政法人制度では、かなり管理監督、国の関与が少なくなるというものの、新しいスキームということへの抵抗感もある。しかし、今の国立大学は、例えば、人事面で言えば、教育公務員特例法という特例法はあるものの、国家公務員というスキームの中で位置付けられ、また、行政機関の職員の定員に関する法律の適用を受けるなど、まさに行政機関の一部として位置付けられており、大学の本来の在り方としてはおかしいという意識は、文部省にも大学関係者にも従来からあり、法人化は永らくの検討課題であったと言える。

[A-1-26] 初めから独立行政法人化として検討するのか、あるいは単なる法人化として検討するのかについては、文部省としては、一定の公的な助成を確保しながら、かつ自主性、自律性を高める方策として、独立行政法人制度は、十分検討に値すると考えている。ただし、この制度をそのまま国立大学に適用させるには問題もあるので、その問題を克服した上で、このスキームをうまく活用できないかということを、本会議で検討していただきたいと考えている。単なる法人化論から検討をはじめても、同様な結論が出るかもしれないが、白紙から議論するよりも、一定の公的助成を確保しながら、運営面での自主性、自律性を高めるという独立行政法人の仕組みを活用して、どこまで問題解決ができるのか検討いただきたい。

[A-1-27] 企画立案と実施というように、文部省と国立大学との関係が明確に分けられるかということについては、質も違う、レベルも違う中で、また、学問の自由を淵源とする各大学の自主的な教育研究という基本がある中で、今までも、他の行政機関とは違う形で運営が行われてきており、今後もそれは変わらないと考えている。

[A-1-28] 行政改革会議最終報告のコンテクストにおける企画部門と実施部門の分離というのは、中央省庁組織における企画部門と実施部門の分離であると理解している。また、文部省と国立大学、国の高等教育政策と大学との関係は、実態においては、さまざまな形での制度上、運用上のいわば交流型の関与のシステムができており、今回の検討においても、組織その他のパーツパーツの検討の中で、関与の仕組みというものが明確になり、それらの総体として、国立大学との関係も明確になると考えている。したがって、最初から国の関わり方を前提に議論するという方法もあるが、そのあり得べき関与というものも念頭に置きながら、具体的な検討の材料を議論いただく方が生産的ではないかと考える。

[A-1-29] 文部省に企画立案機能があるのは当然だが、大学にも企画立案機能があり、その両者には一定の役割分担があるが、大学の持つ企画立案機能は、今までよりも大きくする前提で議論すべきである。本会議は、国立大学の独立行政法人化について、仮に独立行政法人化をするとした場合、どんなところを変えれば、この制度を活用することができるのかという制度設計について議論し、結果として、独立行政法人通則法をどうしても適用することが難しいというような結論が出てくる可能性も含めて、とりまとめを行うことが役割であると考える。

[A-1-30] 何もないところから議論していたのでは、いつまで時間がかかるかわからないので、独立行政法人通則法というものがあるわけだから、これについて議論していくのが、早い方法だと思う。

[A-1-31] 文部省は、タックス・ペイヤーによるガバナンスの問題、言いかえればマーケットによる評価というものをどう考えているのか。独立行政法人ということが出てきた背景には、マーケットを大事するという考え方がある。今回の検討は、マーケットの中で生き延びられるような国立大学は、行政組織としてどうあるべきかという観点から、独立行政法人化も1つのオプションとして考えられるのではないかといったことだと理解している。しかし、仮に、マーケットというものを余り重要視しない教育政策を基本的な考え方として持っている場合は、別な方向の検討もあり得ると思うので、その点を明確にしておく必要がある。

[A-1-32] 大学行政、学術行政は、従来から、大学の自主性や研究者のボトムアップの意向を支援しなければいけないという点から、これまでも、中央教育審議会、大学審議会、学術審議会という形で、大学関係者の方々の意見を十分踏まえながら、実際の行政につなげてきたところである。また、私立大学は、経営の安定を図る必要もあり、ある程度、都市部に集中して設置されたり、経費のかかる理工系や医学系分野が、必ずしも地域バランスに配慮して設置されてきたわけではないが、他方、国立大学は、各地域の進学人口が高等教育を受けられるようにとの要請から、各県に整備し、かつ分野的にも文科系から理科系まで整備したり、さらに、医科大学のない県に、医学部を国立でつくるという政策も進めるなど、大学の先生方の意見や地域のニーズも踏まえながら、国会での審議を経て設置し、今日に至っている。その中で、教育研究の面に関して、文部省から各大学に一方的に指示するということはなく、学問の自由という淵源から、研究者の自主性をできるだけ尊重する形で今日に至っているが、国立大学が独立行政法人化されたとしても、国と国立大学との関係は、基本的には、変わるものではないと 考えている。そういう中で、例えば、予算が単年度主義の拘束を受けるなど、国立であるために不自由な点がある。また、日本の大学は、各学部等が一国一城の主の集まりで、学長がリーダシップを発揮し、何か行おうとしても、必ずしもそのとおりは動かしにくいような大学の自治というものが、現実としてあり、この点については、大学のこれからを考えたときに、別に大学自治を破壊するということではなく、もう少し大学人にも考えていただく必要があると思う。今回、これらも含めて検討を行うことは、大学を生き生きさせるためのきっかけになり得るものであると考えており、十分議論した上で、よりよい制度設計をしなければいけないと考えている。

[A-1-33] 先ほど、事務組織のあり方についても、この委員会で検討する範囲ではないかという提案があったが、この点はどうか。

[A-1-34] 事務組織についても議論いただきたいと考えている。「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(資料11)では、「事務組織等その他の組織は、各大学が決定する」となっており、この部分は、独立行政法人制度をそのまま当てはめてはどうかという方向で考えている。つまり、法人の長の裁量になり、国は関与しないということを資料11で示しているわけだが、その意味では、これまでの国立大学の事務局組織とは、全くシステムが変わってしまうことになり、本当にこれでいいのか議論いただきたいと考えている。なお、同じく資料11に、「事務職員人事の活性化のため、法人間等の交流を可能とする方途について検討をする」とあるが、これは独立行政法人制度をそのまま適用すると、事務局の幹部職員も含めて、すべて法人の長、つまり学長が任命権限を持つということになる。この点について、「今後の国立大学等の在り方に関する懇談会」で、「規模の小さい国立大学の場合、人事の停滞につながる可能性があるため、法人間の人事交流というサブシステムといったものも考えるべきではないか」という意見があり、そういったことも含めて検討してはどうかということである。この部 分は、主として人事制度の委員会で議論いただくが、事務局組織のあり方、事務局の職員の人事の在り方も重要な検討テーマであり、組織の在り方という観点から、本委員会でも議論をいただきたいと考えている。

[A-1-35] 国立学校特別会計についても、財務会計制度委員会での検討課題かもしれないが、本委員会でも議論していただくことで良いか。

[A-1-36] 「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(資料11)では、国立学校特別会計制度が有する利点をできるだけ維持するという方向性は示しているが、会計制度そのものの存続に関しては書いていない。これも重要な問題であり、主として財務会計制度委員会で議論いただくことで考えている。

[A-1-37] もちろん、財務会計制度委員会で議論いただくことは当然であるが、法人の基本に関わることに関連しては、意見をいただいた方が良いのではないか。

[A-1-38] 本委員会での議論に関わる範囲内で意見をいただき、それを担当委員会の方に伝え、また連絡調整委員会でも議論いただくということにさせていただきたい。

[A-1-39] 文部省の機能と国立大学の機能について議論があったが、私立大学の立場から見ると、国立大学くらい強い権限を持って、ほとんど自由にやってきた大学はないように思う。国は、国立大学の一部の管理、要するに、予算の措置や人事の標準化の関与はあるにしても、その他の関与は、何もないという感じが強い。他方、多くの私立大学は、国立大学の動きの狭間で、国立大学の行っていないエリアを、日本の教育界の中で確立していくということを考えながら運営してきたが、これ以上進学率が増えない、学生数も増えないといった状況の中で、国立大学がどういう方向に動くかは、大変大きな関心事であり、今回の問題も、私立大学に及ぼす影響が、非常に大きいと考える。国立大学は、大変大きな力を持っており、日本の国民の尊敬を集めてきたし、これからも、国民の尊敬を集められる国立大学となるようなシステムを、どう設計していくのかという観点から、ぜひ議論してほしい。また、このような変化は、今までにない画期的な大きな変化であり、その中で私学は一体どうなるのかと思っている。私学は、つぶれることの自由があり、今でも、専修学校を設置している学校法人などは、つぶれて いっているが、これからは、つぶれる短期大学、4年制大学が相当数出てくると思う。そういう状況を踏まえると、大変悠長な議論をされているという感じもするが、私学の意向も反映できる機会をいただきたいと思う。

[A-1-40] 国立大学協会は、当初、絶対反対という立場を表明されていたが、最近になって、独立行政法人化のテーブルに着いて、検討しようとなってきているが、国立大学協会の内部での温度差というのはどうなっているのか。国立大学協会では、前向きに独立行政法人化について検討しようということが大勢になっているのか。

[A-1-41] 国立大学協会の中で、当然、温度差はかなりある。こういう時にいろんな意見がないならば、大学としての存在価値はない。意見がたくさんあるのは構わないと思う。ただし、通則法は大学に適さないという認識は、一致していると思うが、何らかの法人格を持つべきという意見から、現状の方が良いのではないかという意見まで、温度差がある。通則法が大学に合わないということ、高等教育に対する公財政支出増が必要であることが、マスコミや政界などから種々指摘されるようになったことは、1つの周辺条件の変化であると思う。


「組織業務委員会(第2回)」議事要旨 2000.8.31

(委 員)阿部博之(主査)、阿部充夫(副主査)、石井紫郎、石川水穂、板橋一太、浦部法穂、大沼 淳、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、長崎暢子、廣中平祐、馬渡尚憲、蝋山昌一、渡辺正太郎(副主査)

(関係者)住吉昭信、町田篤彦、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者

(文部省)工藤高等教育局長、遠藤学術国際局長、井上学術国際局審議官、合田大学課長、杉野大学改革推進室長 他

[A-2-1] 本会議では、資料の「独立行政法人制度の主な特徴と関係者の見解(例)」において示されている文部省の見解にとらわれない、もう少し根源的な観点から検討しても良いのではないか。

[A-2-2] 本資料の中では、独立行政法人制度の主な特徴ごとに、関係者の見解例の1つとして、文部省の見解も紹介しているが、本会議としては、1つの参考として議論願いたい。

[A-2-3] 「国立大学の独立行政法人化の検討の方向(平成11年9月20日 文部省)」で示されている内容については、その後、文部省においても種々検討が行われ、変更されている点もあるかと思うので、本会議の検討状況に応じて適宜説明願いたい。

[A-2-4] 3点ほど伺うが、1点目は、独立行政法人の目的は、行政サービスの向上、効率化であると一般的に理解されており、一方、国立大学を独立行政法人化する主たる目的は、大学改革を推進し、国立大学の研究教育の国際競争力を強化することにあると考えるが、このように、明確に異なる目的を独立行政法人制度の枠の中で規定することは可能なのか。

2点目は、国と国立大学の関係について、現在は、国が国立大学の設置者であり、設置者として費用を負担し、管理しているが、仮に国立大学が独立行政法人化された場合には、どのような整理になるのか。具体的には、独立行政法人制度の中では、国は独立行政法人に対する出資者あるいは法人の設立者となり、これまでの大学の設置者としての立場から後退することになると考えて良いのか。

3点目は、国立大学の独立行政法人化を通則法の特例という考え方で検討していく場合、国立学校設置法、学校教育法、教育公務員特例法などの関連法令は、どのような扱いになるのか。

[A-2-5] 1点目については、独立行政法人通則法第5条では、各法人の目的は個別法で定めるが、それは通則法に規定されている目的の範囲内で定めることと規定されており、その通則法で規定されている目的とは、第2条第1項で「この法律において「独立行政法人」とは、国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から、確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法に定めるところにより設立される法人をいう」と規定されている。第2条第1項で規定されている目的が、独立行政法人化後の国立大学の上位概念の目的として適切かどうかという点であるが、ここで規定されていることは、およそ国民の税金によって運営される機関であれば、ほとんどの機関に該当する要素が含まれているとも考えられ、国立大学についても該当すると考えているが、いずれにせよ、本会議での検討の後、実際の立法作業の中でも、十分検討す る必要がある問題であると考えている。

2点目については、国立大学が独立行政法人化されたことによって、ただちに学校教育法上の学校の設置者が国ではなくなるのか、それとも法人格を持ちながらも、引き続き学校教育法上の設置者は国であるという整理が可能なのかどうか、事務的に種々検討を行っているが、大切な論点であり今後の検討課題である。

3点目については、昨年9月に発表した文部省の試案の中では、例えば、教育公務員特例法の基本的な考え方を前提とするとか、国立学校特別会計法で認められている様々な特例的な措置はできるだけ維持するといった方向を示しているが、これらの点については、まさに本会議において、これから議論願いたいと考えている。

[A-2-6] 本委員会の検討課題のうち、国立大学の役割・機能とか国の関与の在り方といった基本的な考え方についての議論は、目標、計画、評価といった個々の制度的な検討と密接に絡んでくる。その意味で、例えば、既に独立行政法人化が決定している文部省所管の研究所や大学と密接な関係のある機関などの業務方法書、中期目標などの検討状況に関する資料をできるだけ早く示してもらい、いわゆる行政の実施機能としての性格が明確な機関と、かなり大学と共通性がある機関とを、比較検討していく必要がある。

[A-2-7] 9月の第3回会合まで基本的な考え方について議論し、その後の各論の検討の際には、必要に応じて、基本的な考え方の議論に戻るという形で検討を進めて行きたい。

[A-2-8] この問題に関し、白紙の状態で基本論から検討し、その基本を固めてから個別課題の検討に移るという方法では、円滑な進行が望めない。国立大学の独立行政法人化について、国立大学協会、文部省、自民党がいろいろな意見を示しており、これを切り口にしながらも、特定の枠にしばられることなく議論し、詰めていく過程の中で基本論に戻るという往復の議論を進めていくことが、限られた時間の中で検討する一番良い方法である。また、既に独立行政法人化が決定している博物館などは、大学や研究所と同様な業務を行っている部分もあり、その業務方法書、中期目標などの検討状況については、中間段階のものでも良いので示してもらえれば、今後の検討に役立つと考える。

[A-2-9] 本委員会の検討課題は、ある意味では、全て基本的な課題であると考えており、既に独立行政法人化が決定している機関や特殊法人などの例も参考にしながら、十分に時間をかけて議論願いたいと考えている。

[A-2-10] 既に独立行政法人化が決定している機関に関する検討状況の資料は、どの程度本委員会に示せる状況なのか。

[A-2-11] まさに現在担当部局で検討を行っているところであり、次回の委員会に資料として示すことは難しい状況ではあるが、今後、提出できるような資料が手に入り次第、本会議に資料として提出し活用願いたいと考えている。

[A-2-12] 来年4月に独立行政法人化されることが決定している機関に関する資料は、4月に近づけば、本会議に資料として提出してもらうことが可能となるのか。

[A-2-13] 来年4月には独立行政法人として設立されるので、当然、その時期には中期目標や業務方法書などは作成されていることになるが、それまでの間で、原案のようなものが手に入れば、出来るだけ早く紹介したいと考えている。

[A-2-14] 既に独立行政法人化が決定している機関の検討状況に関する資料は、独立行政法人化が国立大学にとってふさわしいものであるかを判断する上で、非常に重要な情報である。例えば、先行機関の予算要求、査定というシステムに関しても、現状と比べて特段の変化がないということも聞こえてくる。独立行政法人制度というまだ不明確な部分が多数ある制度を活用することについて検討するには、ある程度確実性の高い情報が必要である。

また、基本から各論に、各論から基本にという検討の方法は理解できるが、本委員会の検討課題である組織の在り方、業務の在り方、法人の名称などの各論をいくら議論しても、目標や評価などの各論には言及しがたいので、基本的な考え方を議論する際に、これらの各論についても議論する必要がある。

[A-2-15] 各省とも独立行政法人制度の発足の時期なので、戸惑いながら検討を進め、作業を行っているというのが正直なところだと思う。例えば、運営費交付金の算定に当たっても、移行前に必要とされた公費投入額を十分に踏まえるとは言いつつも、国として税金を投入する以上、財政当局との折衝では、当然、どういう業務、機能があるかということの理解を得ながら詰めていく作業となるため、結局、これまでの概算要求の作業とどう違うのかというような指摘はあるとは思うが、その事務手続きをどう軽減するかという観点からの議論も必要であると考えている。

議論に当たっては、具体的な検討、例えば、業務方法書はどういうイメージか、それが大学になじむのか、あるいは、なじむようにするにはどうすれば良いかなどの検討の過程で、基本的な考え方に立ち返ったりすることになると考える。

[A-2-16] 目標評価、人事制度、財務会計制度に関することを詰めないで、国の関与の在り方など法人の基本に関することについての議論はできないという点は理解できるが、文部省としては、そこは本会議の各委員会で役割を分担し、それぞれで具体的な制度設計を行った上で、独立行政法人制度を活用することが可能かどうかを議論願いたいと考えている。

他方、具体的な制度設計に当たっても、国と独立行政法人との関係など基本的な考え方について意見交換した上で、各論に入っていく必要があると考えており、それを本委員会でまずお願いしたいと考えている。

仮に、独立行政法人化と国の関与の在り方など基本的な考え方について、まず結論を出した上で次に進もうとしても、結局は、4つの委員会の各論の議論が全て終了するまでは、結論が出せない事柄であると考えられるので、本委員会で国の関与の在り方など基本的な考え方について詰めるための議論を行う必要は、必ずしもないと考えている。

[A-2-17] まず制度設計を行い、イメージを創ってから議論行うことについては反対しないが、これから検討を行うに際しては、既に独立行政法人化が決定している機関の様子も参考にする必要があるので、他省庁の状況も含め情報を提供願いたい。

[A-2-18] その点については、最大限情報収集を行い提供したいと考えている。

[A-2-19] 今の時代背景の中で、国立大学の在り方を見直そうというときに、大学としての中期的な目標や業務方法書をつくることに反対なのか賛成なのか、大学の情報開示ということに賛成なのか反対なのか、第三者評価などの評価を行い評価結果を情報開示することに賛成なのか反対なのか、それらが学問の自由を侵すことになるのかならないのかなど、基本的な認識を確認しないと検討が前へ進まない。

民間会社では、例えば、中期目標を作成しているところも作成していないところもあるが、中期目標の有無に関わらず、当該年度の評価は受けざるを得ない。当該年度における評価を上げるためには目標を設定した方が良いと考える会社もあるし、さらにその目標を定量化する会社と定量化しない会社もある。また、それらを社会に発表する会社もあれば、しない会社もある。

いずれにしても、大学を運営する上で、評価の在り方も含めて、中期目標をどう設定するか、業務をどういう方法で遂行するか、情報開示をどういう形で行うのが良いかなどの検討を行うにしても、それ自体に賛成なのか反対なのかということを明確にした上で議論を進めていく必要がある。

[A-2-20] 国立大学が法人格を持っていないということは、法的な主体ではないから、その意味では自主的な判断力、自己決定力、自己責任というものが欠けざるを得ない。例えば、自治に関しても研究教育の内容方法や教官の人事についてはあるが、組織に関しては、細かいところまで文部省に要求を行うという形になっており、予算制度については、費目ごとに細かく決められ、それを単年度で執行することとなっている。

したがって、自治と言ってもそれを裏付ける組織や会計制度に大きな問題があり、やはり大学の本当の自治、自主的な決定力、自己責任とそれに基づいた研究教育の質の向上を自ら行う力を持ち得る基盤があるかという点で、現状の国立大学は、問題があると言え、その自治を保障する条件の欠けている部分を補う必要があるのではないかと考える。

なお、現在、国立大学は、情報開示、評価などについてかなり前向きに取り組んでいる状況にあると考える。

[A-2-21] 国立大学から、情報開示そのものについて反対であるという意見を聞いたことはなく、各大学でそれぞれ実施している状況ではあるが、一定のガイドラインに基づいた情報開示は、現在、議論しているところであり、実施には至っていない。

[A-2-22] 大学における情報開示というのは、実際の運営の実態や教育、学術研究に関しての成果などを含んだものが本来の在り方ではないかと思う。

[A-2-23] 大学における自己点検評価も一種の情報開示であり、外部評価もかなり一般的になってきている。これらを基本としつつ、国立大学では、教育研究の実態に関する情報を開示する方向に少しずつ進みつつあると理解している。

[A-2-24] 運営がうまく行っていない点を隠そうととするよりも、むしろそれらを公表することによって全体が進歩していくという、今、日本企業に求められている情報開示が、大学においても進んでいくべきではないか。

[A-2-25] 国立大学の独立行政法人化の議論は 100年に1、2回しかない大学改革の非常に良い機会であり、この機会をうまく利用して国立大学を良い方向に進展させるべきである。確かに、独立行政法人制度は、行政改革の観点から出てきたものであるが、よくよく反省してみると、これまで時間をかけて、国立大学もいろいろな改革を行ってはきているが、結果として、日本の国立大学は、そんなにうまくいっていないと見るべきである。研究面でも、日本の大学は、世界のランキングでは下の方に位置しているという評価もあり、教育面では、教官が、学生を育てその能力を向上させるという本来の趣旨で講義を行っているというよりは、むしろ自分の教えたいことを教えているというようなところがあり、大学の教官に、もっとポジティブな意識を持たせることも考えていかなければいけない。思い切った改革を行えば、研究と教育の面で思い切った成果も上がり得る。

[A-2-26] 国立大学は、国民の税金で成り立っている大学であるから、教育研究者、大学人からの立場からだけでなく、納税者の立場から、あるいは、納税者の対する説明責任ということから考えていただきたい。例えば、現在の国立大学が、そのまま全て必要なのかということを、基本的な考え方の中で考えていただきたい。国立大学等の独立行政法人化は、現状の国立大学等では世界の競争に勝っていくということがなかなか難しいため、競争的環境、競争原理を導入するということであり、そのためには、独立行政法人制度をどういう制度にしたら良いのかという視点が大事である。競争原理を導入すれば、当然、各国立大学に均等に研究費、教育費が配分されるということはあり得ず、極端な場合は、廃止になることもあり得る。

また、教員や研究者の評価が厳密になればなるほど、同じ大学の中においても、教育にも研究にも成果を上げていない、活性化の意欲が見られない教員、研究者は、当然、大学から退いてもらうということも、基本的な考え方で議論願いたい。

[A-2-27] 問題は、独立行政法人化の検討の前提が、既存の国立大学を前提として検討するのか、それともそういう枠も変わり得るという前提で検討するのかであり、後者の方が良いと思う。

また、いつも「教育」と「研究」は、「教育研究」というように一体のものとして考えられているが、「教育」と「研究」は、随分次元が違う話である。「教育」は、サービスを提供する者と受ける者がいるが、「研究」はそういう視点が明確ではない。よって、「教育」の場合には、もう少し市場原理というものを考えなければいけないと思うが、「研究」の場合には、そう単純な尺度でははかれないはずなのに、これらをまとめて評価するということにするのかといった点も疑問である。

さらに、大学の果たしている様々な機能を分けて別々の観点から検討することも必要ではないか思う。

[A-2-28] 各国立大学は、廃止される大学も出てきうることを意識しているため、現在、合併などの検討が出てきているのだと思う。

また、大学が一番気にしているのは、評価の問題で、大学全体として評価するということが一体可能なのかという点である。例えば、様々な分野の学部や研究領域がある中で、総体として大学をどう評価するのか、また、評価の低い大学の中にも、非常に活発に研究活動を展開している者がいる場合はどう評価するのかなど、評価の基準が示されないと、その評価システムの良し悪しの判断ができない。

したがって、こういう難しい問題は、各委員会で分担して、各論から検討した上でないと全体の議論ができないと思うし、やはり各論及び基本論の検討を往復させながら議論していくしかないと思う。

[A-2-29] 教育研究機関としての大学の特性を踏まえて考えるという場合に、実は教育研究といっても、それぞれの専門領域ごとに事情がかなり違い、例えば、理系と文系という仕切でもかなり事情が違う。目標・計画を立て、その成果をきちんと評価するということができる分野もあるかもしれないが、そのようなことが不可能な分野もあり、そのような分野は、客観的な評価が非常に難しい場合が多く、評価に基づいて競争原理を持ち込まれた場合には、問題である。

したがって、ただ単に大学の特性を踏まえるということだけではなく、それぞれの学問領域ごとの特性まで視野に入れなければならない。例えば、科研費の採択率によって学内の予算を配分するなどということになると、当然、理系の方が優位になり、文系の研究活動がかなり圧迫されてくるという危惧を持つ。よって、このような点も念頭に置いた議論を行っていく必要がある。

[A-2-30] 理系といっても様々であり、要は、評価を行う場合は、画一的になってしまうのが一番良くないということではないか。評価そのものは必要だが、どうやって多様にエンカレッジできる評価にするかということが重要である。

[A-2-31] 文部省は、今年から当校費を教育研究基盤校費として大括りの予算としたが、これは、独立行政法人化をにらんで、予算面での学長の裁量の拡充を図ったものと受け止められるが、今後、先ほどの文系理系の問題などからも、これを大学内でどのように配分するかが課題となる。

一方これは、法人の長たる学長の選考の問題にも関係し、研究や教育のすべての分野に渡って公平な裁量を実行できる者がいるのかという人事の問題にもつながる。

また、運営費交付金は、評価を踏まえて一体どのように措置されるのかという問題も重要である。

したがって、財政のことも含めて、各論が長期的に見てどうなるのかということが明確にならないと、基本的な問題も判断できないと感じる。

[A-2-32] 当校費に関する今回の措置は、その大学の実状を一番良く理解している学長を中心に、学内における予算配分の自主性を拡大するためのものであり、独立行政法人をにらんでというものではない。

また、国立大学における情報開示については、大変進んできていると思うが、その手法に更に工夫が必要で、アメリカなどと比べると非常に遅れていると感じる。

卒業生あるいは受験生の両親などを含め、本学はこんなにすぐれた研究業績を上げている、こんなに素晴らしい教官が教育を行っているなど積極的に情報を発信し、各大学の理解者を増やしていくことが重要である。

昨今、スイスのダボス会議での各国別の大学ランキングというのがよく引用されるが、これは、その会議に参加した各国の経済人が、自国の大学をどう評価しているかという評価結果に基づくランキングである。このランキングによると、どうも日本の経済人は、日本の大学を余り高く評価していないという結論になる。これに関しては、情報発信の不足などから、日本の大学の教育や研究の実態が、総体として見えないことが、評価の低さにつながっているということもあるのではないか。

もちろん、広報担当者を養成するとか、学内全体のマネージメントの問題も含めて、これまでも様々な取り組みを各大学で努力いただいているが、今後も、なお一層の努力を期待している。

[A-2-33] 本委員会で検討すべき基本的な考え方の中で、国民へのアカウンタビリティについても課題として設定すべきである。

また、基本的な考え方について議論するに当たっては、現在ある大学制度の中で、国立大学がどのような役割を果たせば良いかという狭い観点からではなく、日本の高等教育政策の問題として、国が責任を持って設置し、支援していくべき大学とはどういうものなのか、あるいは、国が責任を持ってどのように日本の高等教育及び学術研究を進展させていくのかというイメージの議論が必要である。そうした議論の中から、公私立大学の中にも国がもっと支援すべき大学があるという論点が出てくるかもしれない。また、現状にどういう問題点があるのかということが明確になる。

[A-2-34] アカウンタビリティについては、納税者たる国民にとっては、国立大学が、日本の文化・学術の水準の向上や国民が誇りを持てるようなレベルの学術研究の進展に確かに寄与しているかどうかという評価が不可欠である。そのような評価で高い評価を得ることが、結果として、国民に勇気を与え、日本の将来の教育に対する国民の関心を持たせることになるものと考える。

[A-2-35] 市場原理は、利益を出す出さないという観点よりも、選択と集中という観点が重要であり、評価結果の良いところへ資金が集中的に配分され、よって研究が進展し成果につながるというシステムが、国民に見えるようになっていないといけないということである。

[A-2-36] 選択と集中というシステムを実現するためには、研究者の人的流動性を大いに高める必要がある。

[A-2-37] 現実の社会問題に対して、国立大学がどう応えていくかという視点に関する様々な切り口を、中期目標や評価の中に関連付けていけば、納税者としても、国立大学における研究活動にもっと税金を投入しても良いのではないかというモチベーションにつながっていくのではないか。

[A-2-38] 大学には、最低限証取法における企業内容開示程度のルールと、それを担当する人材を養成する仕組みが必要であり、それが社会に対する説明責任である。その意味から、社会、国民というコンセプトを基本的な考え方に関する課題の中に入れるべきである。

[A-2-39] 大学の内容を公開するということと、税金によって運営しているから、その内容をタックスペイヤーに対して説明し、評価を受け、それに対して責任を持つということとは、違うことだと思うが、大学に関する情報公開も、評価も、ここ五、六年の間で随分進んでおり、大学が努力している実態を認識する必要がある。

また、本会議は、全ての国立大学が悪いから大学改革を行うという観点から議論を行うのではなく、国立大学を独立行政法人化するとしたら、どのようなメリットデメリットがあり、それらをどう調整すればこの制度を活用できるかという問題を検討する場であると理解している。

[A-2-40] 国立大学の独立行政法人化を検討する目的、理由について、文部省としての考え方があれば、明確に説明願いたい。なぜ独立行政法人化が良いことなのかが示されれば、良い悪いの議論がしやすくなる。

[A-2-41] 国立大学の管理運営の在り方については、昭和46年の中央教育審議会の答申の中で、新しい形態の法人格の取得が、将来の検討課題として指摘されている。独立行政法人化については、行政改革の一環として出てきたものであるが、法人化については、従来から課題であったわけであり、この際、平成9年4月の閣議決定にもあるように、大学改革の一環として独立行政法人化を検討することとした。

国と国立大学との関係は、長い歴史に基づく慣行などから、現在のように運営されるに至っているが、形式論からすれば、国立大学は、各省の施設等機関と同じ一行政機関として位置付けられており、これで本当に良いのかという問題もある。もちろんその特殊性を勘案し、教育公務員特例法などの特例措置はあるが、国の予算単年度主義などの仕組みの中で、かなり不自由な部分があるのは事実である。

したがって、国からの一定の財源措置を確保しながら、自主性、自律性を高めるため法人格を取得できるという意味で、独立行政法人制度は、大学改革や大学の発展の観点から、検討すべきメリットがあるというのが、文部省としての基本的な考え方である。

ただし、独立行政法人通則法は、大学の特殊性、特殊事情に配慮した仕組みになっていないため、どこをどのように手直しすれば、国からの一定の財源措置を確保しながら、大学の将来の発展を見込めるような仕組みになるのかということについて、本会議で検討願いたいということである。

[A-2-42] 我が国の高等教育は、私立大学がかなりの任務を果たしているが、今回の国立大学の独立行政法人化の検討の中で、日本の大学の中で、ある程度指導的な任務を持っている国立大学について、文部省から言われるからその提案に乗るかどうかという姿勢ではなく、関係者が積極的に改革の方向性を示してほしい。

国立大学も努力はしているが、現状のままで良いと考えている関係者は少ないのではないか。独立行政法人化を機会に、改革をさらに進めるべきである。

本委員会で研究と教育の在り方を正面から議論するということは考えられているのか。

[A-2-43] その問題は、主として、目標評価委員会で議論願う課題であると考えている。

[A-2-44] 各委員会のミッションをあまり狭く考える必要はないと考えるので、必要に応じて発言願う形で進めたい。

[A-2-45] 評価とかアカウンタビリティの問題は、基本的には他の委員会の所管なので、本委員会で独立してこれらを取り上げるのはどうかと思うが、議論の過程で当然出てくる論点なので、基本的な考え方の中で総論的に扱ってはどうか。

また、研究と教育の問題は、他の委員会でも議論される観点であると思うが、教育研究組織の在り方とも密接に関係するので、議論する必要があれば、その際に議論を行えば良いのではないか。

さらに、法人化の問題については、昭和46年の中央教育審議会答申以前の、昭和37年に永井道雄氏の大学公社論が打ち出されており、それは、大学の自主性、自治を確保すると同時に、自己責任を確立するということを基本とする考え方であったことを付け加えておきたい。

[A-2-46] 法人の単位の在り方を検討する際には、附属学校等と並んで附属病院についても具体的に議論すべきである。


組織業務委員会(第3回)議事要旨 2000.9.20

(委 員)阿部博之(主査)、阿部充夫(副主査)、石井紫郎、板橋一太、浦部法穂、大沼 淳、奥島孝康、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、長崎暢子、廣中平祐、馬渡尚憲、蝋山昌一、渡辺正太郎(副主査)

(関係者)住吉昭信、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者

(文部省)工藤高等教育局長、遠藤学術国際局長、清水高等教育局審議官、合田大学課長、杉野大学改革推進室長 他

[A-3-1] 我が国においては、明治19年に帝国大学令の公布によりはじめて帝国大学が設置され、大正7年の大学令の公布により、私立大学も正式な大学令に基づく大学となったが、これが1度目の改革であり、昭和22年の学校教育法の制定にともなう新制大学の設置が2度目の改革である。この2度目の改革の際、帝国大学は高等学校を吸収する形、例えば、東京大学は第一高等学校等を吸収するなど、官立大学を含め様々な形で統合再編が図られ、昭和24年の国立学校設置法の制定にともない新制国立大学として69校が設置され、その後、昭和28年には72国立大学となった。

一方、私立大学は、自主性と公共性の2つの柱のもとに、それまでの財団法人形式から学校法人形式に改革され、それぞれの専門学校が大学として設置され、これらの単科大学が、現在では3、4学部をもつ大学になっている。戦後、私立大学を発展させた原動力は、新しい設置形態によるところが非常に大きいと思う。

このように、我が国においては、学校教育の内容について規定している学校教育法と、国公私立の設置形態を規定している組織法という2つの法的柱がきちんと整理され、また、高等教育に関しては国が、高等学校教育に関しては県が、それ以下の教育については市町村が行うという形が明確であったが、現在は乱れてきている。例えば、国立、公立、私立の違いは何かということ考えた場合、これまでは、基本財産の提供者による違い、つまり、国が基本財産を提供した大学は国立大学、県や市町村が基本財産を提供した大学が公立大学、私人が基本財産を提供した大学が私立大学であると考えられたが、最近では、大学の設置に必要な基本財産などを県や市が提供する形で私立大学を設置したり、県立と国立の役割区分なく県立大学を設置したりしており、その辺の考え方をもう少しきちんと整理する必要がある。

また、学校を置くための法人の在り方については、設置する学校の違い、例えば、小学校、中学校、高等学校、大学によって異なるべきではなく、学校教育法で規定される学校の在り方と学校を設置する形態の在り方という2本の柱を踏まえて、検討を進めていく必要があると思う。

[A-3-2] 新制大学が設置された際、4年制の大学になれなかったものが短期大学である。その結果、短期大学という曖昧な存在が今日まで続いており、それが現在の環境の変化の中で、経営の悪化という形になってきており、今後は、このようなことが起こらないような制度を考えていかなければいけない。

また、一つ伺いたいが、大学はなぜ4年なのかということである。大学を、小学校、中学校、高等学校以降のある種の教育研究機関であると考えれば、4年制でなければならないということはないと思う。

[A-3-3] 新制の国立大学は、各都道府県においておおむね、高等学校、師範学校、専門学校などを学部に統合再編する形で設置されたものである。一方、私立学校は、昭和24年の切り替えの時に、それぞれの専門学校が私立大学となったため、その数が急速に増え、また、昭和30年代には、学部の増設が活発に行われたために、数の上では国立を越えることとなった。つまり、戦前は圧倒的に官立が中心で私立は極めて少数であったが、私立大学が学校法人という設置形態において設置され、競争で勝つために自ら考えた結果が、新たな学部の設置や新たな大学の設置という形で発展し、現在では、国立大学数を大幅に上回る状況に至っている。この状況が何からきているのかについては、十分考える必要がある。

[A-3-4] 「高等教育・学術研究における国の役割と国が責任を負うべき大学」の1つの観点として、大学審議会答申(資料4の2ページ目)に国立大学がはたすべき機能がまとめてある。とくに(b)の5つの機能、計画的な人材養成等の国の政策目標の実現、現在は需要が少ないが重要な学問分野の継承、先導的・実験的な教育研究の実施、地域課題や地域的教育の機会均等への貢献、経済的観点からの教育の機会均等への貢献、を挙げている。例えば、大学院教育は、私立大学あるいは独立採算性の中では、十分に運営していけないという点から、国立大学における役割として大学院教育の重点的推進が考えられ、さらに、国際水準での基礎研究を含む学術研究の推進からも、国立大学の機能・役割が考えられる。

また、国立大学とは何かという点は、基本的には、国が基本財産や運営の費用を提供する大学であると思うが、さらに、国から基本財産や運営費用を提供された大学が、このような機能・役割を果たすことが、国の教育制度や学術研究制度の中では、是非必要である。

これは、日本において国立大学だけが必要であるということではなく、国全体の中では、そのような機能・役割を果たす大学が必ず必要であるということである。

したがって、高等教育や学術研究を担う大学に、国が基本財産を提供することを、民営化の一段階と考えるのか、それとも学術研究や高等教育にとって必要不可欠なものであると考えるかによって違いがあり、そういう点では、民営化の一段階ではなく、国として恒久的にそういう制度を持つべきであると考える必要がある。

[A-3-5] 今の日本の大学制度というのは、諸外国と比べるとかなり特異なものであり、戦後の大学制度が、民間活力をフルに活用して教育研究の体制を整備してきたところに、日本の特色があるということは事実であると思うし十分評価できる。

しかし、国公私立大学の役割がそれぞれ何であるのかについては、平成10年10月の大学審議会答申でも必ずしも明確ではないが、日本は日本なりに今のシステムでやってきており、そこに特色があると理解すべきであると思う。また、諸外国におけるは高等教育、学術研究に対する公費の投入額は、おそらくかなりの額が国公立に投入されていると思う。日本の場合には、それに比べて民間活力が多いに活用されているという側面がある点を考慮する必要があるが、しかし、公費の投入額を引き下げ、民間活力をもっと活用すべきということになってはならず、高等教育全体に対する公財政支出が現状から後退することになってはならないという基本的なバランス感覚が前提としてあるべきである。

その上で、教育研究に対する公財政支出を、さらに国立大学に投入するのか、私立大学に投入するのかという議論を行うべきである。

[A-3-6] 「国際的な競争を勝ち抜き、国民が誇りをもてる国立大学の実現」の観点として、確かに国費によって支えられている国立大学がたくさん研究しなければいけないことはその通りであり、その責務は十分果たしていると思うが、国際的な競争に勝ち抜くというのであれば、競争の母体を国立大学だけで考えて良いのか、もう少し母体を増やさなければいけないのではないかというところまで、検討すべき状況にきていると思う。

母体を増やす方策としては、国立大学は、国費を使って自大学だけで研究するのではなく、例えば、他の私立大学や地方国立大学との間で、もう少しサービスをすることを考えた方が良いと思う。具体的には、例えば、図書館における資料を他の大学等にいかにしてもっと利用してもらい、平等な条件で競争し、全体としての研究水準を向上させるかという観点が重要である。

また、これまで、戦前の帝国大学も含め、国立大学では、男性をいかに育成するかという観点からの人材養成を行ってきており、母体を増やすという点からしても、これは国内の半分の人間の間でしか競争していないということであって非常に損をしていると思う。

[A-3-7] 大学の自治、自主性の確保と自己責任とはセットになっており、それを確立することによって大学が活性化するということが従来から主張されてきたところ、今回、たまたま行政改革からこの問題が出てきたものである。したがって、行政改革から問題が出たことは一つのきっかけにすぎず、本委員会で議論していく時には、行政改革の問題を念頭に置かなければならないが、本来、大学関係者の中で考えられてきた自主性や自己責任の確立ということを中心に検討を進めていくべきである。

また、人事や予算などに関する色々な面での規制の緩和策が、中途半端に終わってしまっては、せっかくの新しい体制が効果を上げず、かえってマイナスの面が出てくるという可能性が多分に強いと考える。

さらに、最近の大学間の統合の動きは、独立行政法人化の問題が1つのきっかけになっていると聞くが、それは、ここ10年20年の間で大学の間での単位互換、教員の交流、共同研究など色々な形での協力体制が整えられ、それが学問や教育の進歩に非常に役に立って来ているという基盤があったからこそ、独立行政法人化の問題をきっかけとして、今後の大学について真剣に議論する中で、出てきたものであると思う。

したがって、統合問題は、国立大学が多すぎるということではなく、それぞれが必ずしも十分な体制ではないから、互いに協力して1つの立派な大学を作っていこうという観点を中心に検討が進められるべきであると考える。

[A-3-8] これからの日本の生き方としては、教育立国以外なく、学問研究を盛んにする以外に日本の未来はない。そういう意味から、今回の国立大学の独立行政法人化の問題を、我が国における教育研究の発展の1つの突破口と考えていきたいと思う。

今回の改革で、理想的な大学像というものをつくり出し、その理想的なモデルを国立大学で実践してもらいたい。

国立大学が欧米の大学に負けないような理想的な大学として成功すれば、私立大学も同じ競争条件にした上で、日本の学問全体をレベルアップさせるというつもりで、国立大学の法人化の在り方は考えるべきである。

[A-3-9] 本会議は、国立大学の独立行政法人化の問題が課題であるが、日本の高等教育全体をどうするのかという課題の中で設置形態上の違いがどれほどの意味を持つのか疑問である。現に日本の特色として、大学は、国立、公立、私立に分かれてしまっているが、分かれてきた結果をいかに合理的に理由付けをするかという意図が大学審議会答申にも見える。

例えば、公立大学は、高等教育の機会を与えるなどの一般論はあるが、地域に貢献する大学であると言われ、ローカルな大学でしかないと位置付けられてしまっているが、高等教育という面から見ると、地域からは必ずしもローカルな問題だけ教えてほしいと要望されているのではない。

したがって、国公私立大学に分かれてしまった結果、それをどのように合理的に理由付けするかではなく、果たして国立、公立、私立大学が、今の社会のニーズに適合するような大学としてあり得るのかどうかということを、まず議論すべきである。

[A-3-10] 日本は、高等教育に対する公財支出が低いというが、国立大学、公立大学、私立大学を全て含んだ形で、公的財政支出を増やすこと、その配分の考え方は、明確に公平な基準に基づいて行うべきであって、国が設置しているから、私立大学だからというような考え方では良くないと思う。

大学審議会答申にも示されているとおり、国立大学は国でなければ行えない大きなプロジェクト研究や将来を考えた人材の育成などを行う必要はあると思うが、全ての国立大学がそれを担うのか、担えるのかという問題が問われている。

国公私立大学を超えた高等教育の在り方の中で、なぜ国立でなければいけないのか、設置形態が変わるにしても、なぜ大量の国費投入しなければいけないのかということを明らかにすることが必要である。

また、大学審議会答申では、私立大学は「建学の精神にのっとった自主的な運営により、社会の多様な要請等にこたえつつ、人文・社会・自然の諸科学の様々な分野にわたってより一層教育研究機能の強化に努め特色ある教育研究を展開し多様に発展していくことが重要である」と指摘されているが、「建学の精神」を除いて読むと、これは私立大学に限らず、どの大学にも言えることである。結果として、大学の特色は様々であるはずなのに、それを、国立は、公立はというようになぜ言わなければいけないのか。

我が国の高等教育の進展や大学の活性化のためには、公平な政策の配慮が重要であり、特に財政的なバックアップがなぜ必要かということが重要になってくる。国立大学になぜ重点的に経費を措置する必要があるのか、逆に言うと、他のところは手薄になっても良いという理由を明確にする必要がある。

[A-3-11] 戦後の子供が多くなる時代に、マーケット上、高等教育を私立大学に任せ、国として国立大学はほとんど増設しなかった結果、小子化によりマーケットが縮んでいる現在、私立大学が苦しみだしている。これはまさに、国が高等教育のマーケットを私立大学に任せた結果が、高等教育に対する公財政支出の少なさとして表れている。

また、統合ということを考える時に、戦略なき統合というのは一番競争力を弱めてしまうもので、これは企業でも同様である。例えば、非常に特色のある専業メーカーというのは強く、マーケットで生き残るために必死の専門的努力を行い、その競争力がそのまま端的に表れるものである。

過去において行われた帝国大学以外の地域における統合というものは、マーケットの中で、生き残りをかけた色々な改善努力により自主的に行われたものであれば良かったが、教職員は全て公務員で、さらに財政処置も国が全部面倒をみるということになると、競争力のないものまでそのまま生き残ったことになる。その当時、仮に、独立行政法人の形態が実施されていれば、もっと違った形での大学の発展が、自然的に起こっていたのではないか。

[A-3-12] 産業界としては、当然、行政改革に関心があり、また、国の財政赤字の問題も危機的な状況にあると認識している。しかし、教育費まで削減して財政再建を行うという考え方をもっている産業人は少数であり、むしろ公的資金をより有効に生かす大学運営の組織をつくり、結果として、専門的にも総合的にも強い大学を通して、人材養成や研究成果というものが現実に国民に意識されだすということが重要なのではないのか。

したがって、国立大学、公立大学、私立大学ということではなく、それぞれの大学がどういう特色を持って学問と教育に寄与するかという戦略と成果が問えるようにする方向での検討が重要であると思う。

[A-3-13] アメリカの大学における経費負担は、公的財政で負担する割合、養成された人材を活用している産業界が負担する割合、授業料など当該学校の収入によって負担する割合が、ほぼ3分の1のバランスである。

しかし、我が国は、産業界の負担は、ほとんどゼロであり、特に、私立大学における人材養成に関し、産業界が無料と認識していることが、非常に大きな問題点である。

我が国における学校形態と産業形態の非常に大きな特徴は、明治から大正にかけて、欧米先進諸国に追いつくため、それぞれが単純にモデルを外国に求めたことから教育界と産業界の接点がないまま、100年間が過ぎた点にある。

そういう点が、21世紀に向けて、クリエイティブな日本の活力を引き出す上で、いろいろと問題になってきているが、それは、教育界にも問題はあると思うが、産業界にも重大な責任がある。

したがって、人材養成ということに関して、産業界としても具体的な取り組みを是非示していただきたい。日本の大学では、クリエイティブなものを欧米から学ぶのではなく、自ら創造するということを産業界と教育界の双方が協力し合っていく必要がある。

[A-3-14] 規制緩和の目的は、民間の活力を引出すことが目的であると思うが、国立大学は民間ではなく、したがって国立大学と公立大学の自由が拡大し、私立大学の方が束縛されるというのでは、本末転倒である。

国立大学は、国の方針に従って、国として一番重要なことに努力していくという根幹をしっかりと作ってもらいたい。

私立大学の場合は、寄附者や設置者の建学の精神が非常に尊重されるが、それは設置形態の違いによってそういうものがあるのであり、したがって設置形態が国であれば、国の目的や目標に対してきちんと対応することは当然であり、それが規制緩和されては困る。

その辺の基本論をもう少ししっかり踏まえた上で、大きい議論を行っていく必要があると思う。大学の自治や自主性というのは、学問に関してであり、設置形態のことではないということをしっかりと踏まえた上で、議論を行う必要がある。

[A-3-15] ドイツやフランスにおいては、大学は公的な行政機関ではあるが、同時に法人格を持つというシステムを取っているわけであり、法人格を得るということによって、直ちに大学の自律性、自主性の確保や資金繰りの根拠が何か変わるというものではない。

また、日本の場合、公立は都道府県がその経費を負担し、国立は国がその経費を負担し、私立は基本的に、その設置者たる学校法人がその経費を負担するというように、設置形態と資源配分の方法が密接なものとして考えられている。

だからこそ国立大学が、どういう使命をもつのか、どういう特徴を持つべきか、あるいは持っているかというような問いが出てくるわけであるが、逆に財政支出の相互乗り入れみたいなものがもっと自由に考えられなければいけないのではないか。

日本で国立大学が多すぎると言われるのは、国という1つの主体が設置する大学としては、現在の国立大学の数は多すぎるという印象を与えていると思うが、ドイツにおいても州立大学ではあるが、連邦の資金が色々な形で然るべき大学には入るシステムになっており、アメリカにおいても、私立大学の経費の4割くらいは、色々な形で連邦や州から公的資金が入るシステムになっている。

したがって、設置形態と資金の出所が、ほとんど1対1で対応するシステムそのものも考え直さなければいけないと思うが、少なくとも国によっては、これとは違う形で制度が運用されていることは踏まえておく必要がある。

さらに日本において、国立だけが大型プロジェクトや国際競争を行う役割を担っているというようなおこがましい考え方は全く持っておらず、もっと私立、公立のほうでその主体を増やして、スクラム組んで高等教育研究を推進していく必要があると考える。

そのためには、公的な財政支出が、さらに私立、公立に対して行われなければいけないだろうと考えるが、ただし、現行の配分方式が良いかどうかは全く別の問題である。

したがって、公的資金の出し方はいろいろ工夫しなければならないが、日本の学術研究水準を上げる立派な高等教育を担い、国際的に通用する人材を養成する実績を持っている大学には、国公私立を問わず、公的資金が出せるようにする必要があり、そういう前提で検討を行う必要がある。

[A-3-16] 今問題になっているのは、現在の国立大学の形態であり、この設置形態を変えることによって良くなるのかならないのか、良くするためにはどのような設置形態にしたら良いかということである。

今の国立大学が行政機関の一部として設置されているのに対して、独立行政法人制度を使うことによって変えられる大事な点としては、自主性と自己責任の確立や個性化の進展という面があるのではないか。

つまり、現在の国立大学は、自己責任によって自分の大学をより良くする、あるいは自分たちが責任をもって方針を決定し、それに関しては社会的な説明もしていくという体制がないということであり、果たしてこのような体制で、国立大学の研究教育の向上や改革ということを行っていけるのかという点である。

裁量権や自己責任や個性化というものが、今の国立大学をより良くする上で必要なことだと考えるならば、法人化ということも1つの方法であると考えなくてはいけない。

[A-3-17] 国立大学が法人格をもつ場合、それは独立行政法人でない形の法人なのか、それとも独立行政法人というスキームでの法人なのかという議論があるが、今の段階では、独立行政法人のスキームを使わない法人化制度を制度設計しても、それを認めてもらえる前提が整っていない。

したがって、独立行政法人のスキームを上手く使って、大学にもっともふさわしい形になるように検討していくことが現実的である。独立行政法人が完璧な制度であるとは思っておらず、色々な問題がある点はクリアしなくてはいけないと思うが、独立行政法人とは別の法人形態を設計することは、現実問題として無理ではないか。

[A-3-18] 資源配分と設置形態についてであるが、アメリカの大学などでは、資源配分も、教育に関する部分と研究に関する部分で大幅に違いがある。研究に関する部分に限れば、いわゆる公的な競争的研究費を獲得している上位の大学は、ほとんど私立大学であり、その意味では私立大学に対し莫大な国費が投入されていることになる。しかし、この場合の私立大学は、個別の非常に限られた私立大学であり、私立大学全体として見た場合には、ほとんど投入されていない私立大学が山ほどあるのであり、つまり力のある私立大学に、日本人の嫌う競争の結果として、公的資金が投入されている。

その際、大学によって競争条件にハンディキャップを付けないようにすることがポイントとなるが、アメリカにおいても、設置形態の違いによって費用の出所が色々と違っているが、公的な競争的研究費の存在が、競争条件をある程度整えていく役割を果たしていると思う。

したがって、アメリカの場合は、研究面については、設置形態にかかわらず、研究費が大学に入ってくるシステムとして確立されていると言えるのではないか。

[A-3-19] 産業界と大学との関係については、大学側には、これまで自主的に産業界と共同研究を実施することに対するアレルギーがあったと思う。また、産業界側は、我が国における法人税が非常に高く、それに加えて大学に対する個別の援助まで行うのは疑問であるというのが率直な意見であったが、最近の法人税は、国際標準に近づけようとしており、この程度の法人税ならば、教育界に対する経費の支援というものも検討しても良いと考える企業も出てくる可能性はある。

さらに、産業界は、大学の運営に関することは全く知らず、例えば、学生一人あたりに4年間かけて企業として採用できる人材を養成するのに経費がどれくらいかかっているのかというようなことすら意識せずに採用活動を行っている。したがって、大学の財政状況や有意義な研究が行えない実態など、大学に関する情報を、もっと積極的に公開することが必要である。

加えて、日本の企業の場合、ある大学に寄附を行うと他の大学はどうするかといったような横並び意識があり、結局、寄附は行わないという決定をしてしまう場合が多数ある。

このような考え方を打ち破るためには、一生懸命がんばっている大学に支援するということが、日本の人材育成や研究レベルの向上につながっているということを産業界や国民に認識させることが重要である。そのためには、産業界や国民の教育への関心度や、教育や研究には十分な財政基盤が必要であるという認識を高めていくことが必要で、国立大学に投入されている税金が正当に使われているという認識を国民が持てるようなシステムを確立することが重要であり、これによって、さらに活性化された資金の流れと人材の流れが始まるのではないかと思う。

[A-3-20] 研究費については、どれだけの額をどのように多様な形で大学に投入し、それによってどれだけの成果があがったのかを明確にすることが重要である。

また、設置形態論や独立行政法人化を前提とした議論ではなく、いかにして大学が自主性、自律性を高め、その活動を社会、納税者に対してきちんと説明できるようにするかという議論からまず行うべきである。

また、将来的に国公私立大学の役割をどうするかという話の前に、今の国立大学について何か変えるとした場合、自主性や自己責任を制度に表すと具体的にどうなるかということについて検討する必要があり、それは結局、従来の企画立案部分について、文部省と国立大学との役割分担を変えるのか変えないのかということが基本になる。

これらの議論を踏まえた上で、国として責任を持つべき部分はどこなのかという観点から、国立大学に対する国の関与が明確になってくる。中期目標や中期計画など独立行政法人通則法に規定されていることから議論するのは本末転倒であり、国立大学の果たすべき役割、文部省が今後も果たしていくべき役割についての議論が必要である。

[A-3-21] 現在の国公私立大学の役割や特色は、平成10年10月の大学審議会答申で一応整理されているが、あの程度の整理が限界であり、国立大学でも、公私立大学でも、多種多様であり、その役割について議論することはできても、再整理することはなかなか難しい。

また、資源配分の方法が今のままで良いかという議論があるが、公私立大学としては、国立大学に6割も税金を投入しているのであれば、公・私立大学に対して回してほしいということであろうし、国立大学としては、現状でも不十分であるということであると思う。しかし、同じ大学というパイの中での増減の議論ではなく、日本の高等教育全体として公財政支出の在り方をどうするかというトータルな議論の中で、全体のパイを拡充させる方向に向かって、国公私立で力を合わせていく必要があると考える。さらに、学校教育法上、国公私立を通じて設置者負担主義という考え方が前提とされており、基本的には設置者が基本的な経費を負担するという原則の中で、競争的研究資金については、例えば、科学研究費補助金をどのような形で配分するかということなどの議論も高まっている。

アメリカの場合、私立大学にも公的セクターから資金が入っているが、日本のような私学助成制度はなく、公費としては、学生に対する育英資金と研究に対する研究費であり、研究費は州立、私立を問わず、まさに競争の環境の中で配分する仕組みとなっている。一方、日本の場合は、私学助成制度や貸与制の育英資金があるが、現下の財政状況の下では、大幅な増額は見込めない状況であり、また、育英資金については、授業料を払うと生活費が賄えないという水準であり、これを国公私を通じて抜本的に改善できるかということも課題の1つであると考えている。

いずれにせよ、全く白紙の状態から議論をするのも1つの手法ではあるが、このように限られた条件や事情もあって今日の我が国の大学制度に至っているわけでもあり、それらも念頭におきながら、更に議論を深めていただきたい。


組織業務委員会(第4回)議事要旨 2000.10.3

(委 員)阿部博之(主査)、阿部充夫(副主査)、石井紫郎、石川水穂、板橋一太、浦部法穂、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、長崎暢子、廣中平祐、馬渡尚憲、蝋山昌一、渡辺正太郎(副主査)の各委員

(関係者)住吉昭信、町田篤彦、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者

(文部省)工藤高等教育局長、清水高等教育局審議官、井上学術国際局審 議官、合田大学課長、杉野大学改革推進室長 他

[A-4-1] 昨年9月7日に国立大学協会第1常置委員会から出された「国立大学と独立行政法人化問題について(中間報告)」は、国立大学の独立行政法人化にともなう通則法の適用に関し極めて否定的であることを全体の基調としつつも、仮に独立行政法人化を考える場合の個別事項について意見を述べているものである。また、この中間報告は、13ヶ月前に出されたものであり、国立大学協会としても、このような考え方で良いのかどうかを見直す予定である。

[A-4-2] 平成11年の国立学校設置法の改正により各国立大学に設置された運営諮問会議は、国立学校設置法上、「学長の諮問に応じ審議し、及び学長に対して助言又は勧告を行う」と規定されており、さらに、その委員は、「当該国立大学の職員以外の者で大学に関し広くかつ高い識見を有するもののうちから、学長の申し出を受けて文部大臣が任命する」と規定されている。したがって、運営諮問会議は、単なる学長の諮問機関ではなく、学長に対する勧告権を持つ外部性を有する機関であると言える。具体的には、学長は、運営諮問会議の委員にはなれず、運営諮問会議の長が学長の要請がなくても会議を召集でき、場合によっては、学長に対し大学の運営に関して勧告を行うことができる組織である。

また、今回の国立学校設置法の改正により、評議会と教授会の審議事項を明確化し、教授会は、学部などの各組織における教育課程、学生の身分に関する事項等を審議する機関、評議会は、全学的な運営に関する事項を審議する機関と位置付けたものである。

[A-4-3] 3点伺うが、1点目は、日本以外のアメリカ、イギリス、フランス、ドイツの大学は、全て法人格を持っていると理解して良いか、2点目は、法人の長の名称は、法律上全て理事長とされたのか、3点目は、先行の独立行政法人のその他の役員は、全て常勤なのか。

[A-4-4] 1点目については、アメリカでは大学理事会、イギリスではカウンシルに法人格が与えられ、フランス及びドイツでは、大学そのものが法人格を持っていると聞いている。

2点目については、科学博物館については館長、研究所については所長という名称が、各個別法上規定されている。

3点目については、個別法上、常勤、非常勤の別なく数の上限が設定されており、その中で常勤、非常勤をどう設置するかは、各法人の事情に合わせて決定していくことになる。

[A-4-5] 法人の長を必ずしも理事長という名称にしない前例があることを考えると、国立大学の独立行政法人化に際し、その長の名称を学長とすることも可能であると考える。

[A-4-6] ドイツの大学は、行政機関の1つであると同時に法人格も持っているが、日本の国立大学は、通常、二者択一に考えられている。

[A-4-7] 現行の国立大学の組織運営体制に関する性格や権限等は、それぞれどの法律のどこに規定されているのか伺いたい。

また、現在、国立学校設置法で規定されている事項、例えば、教授会や運営諮問会議などについては、国立大学の独立行政法人化により、形式上、国立大学が国立ではなくなることを意味すると考え、別の法律によって規定するのか、あるいは、同法の名称を若干変更するなどして、独立行政法人化後の国立大学についても、同法が適用されるような技術上の工夫を行うのかなど、独立行政法人化にともなう法整備について、文部省はどのように考えているのか伺いたい。

仮に、独立行政法人化にともなう様々な変化に対応し、それを法律上どのように規定するか考える際に、現行の法律をなるべく利用するという考え方と、形式上違う物になるのだから別の法律で新たに規定するという考え方があるが、その両者には実質的にかなりの違いが出てくる可能性もある。

さらに、国立大学協会の「国立大学と独立行政法人化問題について(中間報告)」(平成11年9月7日)の中で、「学長は、重要事項について審議機関等の意見を聞きつつ、最終的には自らの判断と責任で運営にあたる」とあるが、これは、現行の国立大学の学長と評議会との通常の関係とは異なるように思える。現行の国立大学においては、評議会の意志決定が必要なものだけを評議会で審議し、評議会の決定と別のことを学長が行うことは想定していないと思うが、国立大学協会は、現行の評議会と学長との関係を変えようと考えているのか、それもと現状を認識した上でそれを継承していくことを考えているのか伺いたい。

[A-4-8] 例えば、運営諮問会議、評議会、教授会は、国立学校設置法で規定され、学長、副学長、学部長は、学校教育法で規定されている。また、国公私立大学を通じた一般的な教授会については、学校教育法でも規定されている。

仮に独立行政法人化した場合の法整備については、事務的には、現行とは別の法体系をつくること、つまり、現行の国立学校設置法とは別の法律として、独立行政法人通則法に基づく個別法又は特例法の中で、組織運営を位置付けるべきではないかと考えている。

現在の国立大学についても、大学一般については学校教育法、他方、組織については国立学校設置法の位置付けという2つの法律の規定を前提に成り立っている。これが、仮に独立行政法人化された場合には、やはり大学一般については学校教育法、他方、組織については独立行政法人通則法を踏まえた法律である個別法又は特例法の位置付けという2つの法律の規定が前提になると考えている。

ただし、これをもって直ちに国立大学が国立ではなくなるかという点については、学校教育法の体系の中で、引き続き、国が独立行政法人化後の国立大学の設置者であると位置付けることができるかどうかという解釈にかかっていると考えており、国立学校設置法とは別の法体系で組織を位置付けたとしても、直ちに国立大学が国立でなくなることにはならないと考えている。

[A-4-9] 国立大学協会の「国立大学と独立行政法人化問題について(中間報告)」(平成11年9月7日)の中での学長と評議会との関係の考え方について、1つ目は、法人の長は学長であるという大学と法人を一体と考えるという観点から、評議会を最高審議機関として位置付けたものであること、2つ目は、本中間報告は、平成10年10月の大学審議会答申とそれに基づく法改正を踏まえるという観点から検討されており、学長については、そのリーダーシップの必要性から少し強い表現になっているということである。

[A-4-10] 国立大学協会は、従来の法令の規定、各国立大学における長い歴史の中の慣習的なルール、平成10年10月の大学審議会答申とそれに基づく法律の改正などを全て踏まえた上で、この中間報告をまとめたものであり、国立大学協会として、新たな制度の法的な変革を主張しているものではない。

したがって、「学長は、重要事項について審議機関等の意見を聞きつつ、最終的には自らの判断と責任で運営にあたる」というのは、法的な権限設定ではなく大学運営の姿勢の問題を言っているに留まると理解している。

[A-4-11] 文部省としては、大学と法人を一体として考えた場合に、その大学の設置者は誰だと考えているのか伺いたい。

仮に、国であると考えるならば、国立学校設置法をそのまま残すという法的形式も論理的には十分考えられるが、独立行政法人通則法に基づく個別法の中に、組織に関して規定していくことを考えているとすると、果して法システムの上で、そのようなことが出来るのかどうか、つまり、個別法で規定できる事項は、基本的には、通則法で個別法によって定めることが規定されている事項に限られているものだと思われ、それ以外の事項を、個別法で規定することができるのかどうか疑問である。

したがって、現在ある国立学校設置法などをばらして個別法で規定していくというある種の不経済さ、危うさなどを考えると、国立学校設置法などを残す方向で検討するという選択肢も考えておいて良いのではないか。

[A-4-12] 国立大学を独立行政法人化した場合の大学の設置者が誰であるかという点は、非常に重要な検討課題であると考えている。

また、国立大学が国立として存続する必要性については、各委員においても依存はないと思うが、それを学校教育法上、どのように考えていくかといったことは、本調査検討会議における検討を踏まえつつ、今後検討して参りたいと考えている。

さらに、法令の形式については、独立行政法人通則法との調整を個別法で行うのか、別の法律によって行うのか、個別法は各大学ごとに設定するのか、一括して規定した上で細目を定め、各独立行政法人の名称等を規定するのか、現行の国立学校設置法で最低限法律として残すべき事項については、その一括して規定した法律の中に残すかなど、様々な形式が考えられるが、通則法になじまない、大学の特性に配慮すべき事項について、どのようにまとめていくかということについては、本調査検討会議における検討を踏まえながら慎重に検討して参りたい。

なお、先行独立行政法人の個別法を見ると、必ずしも通則法で個別法によって定めることが規定されている事項のみを定めているものではなく、通則法に定めのない特例的な規定も定めており、その点から考えると通則法との調整を必要とする事項について、個別法で規定できる可能性もあるのではないかと考えられる。

[A-4-13] 国立大学の組織を考える場合には、大学を活性化させるという観点から望ましい組織とは、どのようなものであるかという理想型の検討が必要である。例えば、国立大学という組織において、専門的な経営者というものを必要であると考えるのか、学長は学長職としての専門性を持った者の就任が必要であるかなどの検討が必要であり、国立大学には、大学というビジネスや組織を運営するための専門的な職業人としての職員が配置される必要があると考える。

現在の国立大学の学長や職員は、大学の経営や運営といった専門的な訓練を受けていないといった点では素人であり、この点をどのように考えていくのか。やはり、大学は特殊なのだから教官から選出された者が経営者、つまり学長になれば良いと考えるのかなど、基本的な大学の組織の在り方を考える場合には、その組織における人というものを考える論点を明確にする必要がある。

これからの社会の中での国立大学を考えた場合、色々問題がある点をどう変えていくかをもう少し正面から議論し、どのような組織の在り方が良いのかを考えるべきであり、その議論なしに、はじめから、理事長や学長、理事、監事についてどんなに議論しても、国立大学を良くすることにはつながらないと思う。

[A-4-14] 日本においても、ここ数年前からコーポレート・ガバナンスについて議論が行われてきているが、それらの議論から、会社は誰のものかということについて端的に言うと、やはり今の株式制度の下では、会社は株主のものであると言わざるを得ないことになる。

しかし、会社を良くするためには従業員が一生懸命働くことも必要であり、取引先との関係も良好でないと効率のある会社にはならず、当然のこととして消費者にも愛されなくては会社そのものは生き残れない。

このような観点から、国立大学の独立行政法人化の検討に当たっても、国立大学は、誰のものかという根本議論が当然行われるべきである。

[A-4-15] 仮に、国立大学が独立行政法人化された場合、国から独立行政法人に交付される運営費交付金は、国の予算で賄われることから、当然、国、つまり国民のものという考え方の下で国立大学が運営されることになる。しかし、国、国民のものではあるが、独立行政法人という独立性のある法人格を持つという観点から、もう一歩踏み込んで考える必要がある。

例えば、これまでの日本の会社は、全て社内の人で構成される取締役会によって運営されてきたことから、運営している人たちだけのことを考えた運営が行われてしまい、結果として会社の閉鎖性などの問題が生じてきた。この点については、ここ数年の議論の中で、外部の者を取締役として入れるべきであるとか、将来は内部の取締役と外部の取締役を半々にすべきであるなどの意見が出てきている。

また、十分な審議を行うためには、やはり10人以内のニミマムな取締役会にしなければならないなどの意見も出ている。

さらに、今までは、内輪の取締役会で内輪の中から社長を選んでいたが、近年、社長に関しては、その企業にとって最適で優秀な人材をどう見つけるかということが重要で、それがコーポレート・ガバナンスの根幹であると考えられてきている。その場合、もちろん内部からの昇格、社外からの外国人を招へいなどそれぞれの特色によって様々あって良いが、今までの取締役会では、このようなことがが起こり得なかったという点において、これからのグローバルで民主化された会社運営のためには、やはりその長をどのように選ぶのかが最大の問題として認識されるようになり、その会社にとって良いことは、たとえ当初の会社運営の目的から大きくずれていくような場合であっても勇敢に変えることができる権限を社長に持たせるようにしないと日本の企業は成り立たないと考えられてきている。

[A-4-16] 日本の企業の目指す方向は、やはりアングロサクソン・スタンダードであり、アメリカ、イギリス型であるマネージメントとガバナンスを上手に重ね合わせて外部の者を入れる方法と、ドイツで行われている監査役会を株主と経営者と従業員の1/3づつで構成し、会社組織運営に関する監査を行う方法などがある。

この点から、日本の国立大学における学長と評議会の関係について考えると、評議会はガバナンスを行い、学長がマネージメントを行うとした場合、評議会の意に反したことを学長が何でも行えることは問題であり、この点は明確にしておく必要がある。

また、運営諮問会議については、マネージメントの当事者である学長が構成員に含まれていないことから、ただ聞いておけば良いという可能性、つまり骨抜きになる可能性が高いのではないかと考えられるので、評議会と学長の関係、運営諮問会議にどの程度の権限を与えるのかについて十分検討する必要がある。

現在、日本の会社もそれぞれ模索している段階であり、まだ外部の取締役を積極的に入れている会社は少ない状況である。しかし、それではこれからの株式市場では尊敬されない会社になるかもしれず、アメリカでは外部取締役を2名以上入れていない会社は、透明性がないということから上場を拒否されている。

したがって、国立大学の独立行政法人化の検討に当たっては、組織についての様々なルールについて十分に検討する必要があると考えられ、その検討が、学長はどのような人が最適であり、どのように選ぶべきかという議論にもつながっていくのではないかと考える。

[A-4-17] 組織の在り方を考える場合に、通則法をどう修正したら良いかという方向から議論を行っても、良い結論は出てこないと考えられ、やはり、現在の国立大学の組織が抱えている様々な問題を解決するためには、どのようにしたら良いかという方向から議論を行っていく必要がある。

今の国立大学の組織は、組織として体をなしておらず、これは学長についても言えることであるが、例えば、学部長や研究科長は、無限責任、無権限というような存在であり何もできないが、最終的な責任だけは負うことになっている。

また、学生に対する厚生補導や留学生に対する対応の問題は、例えば、アメリカの大学では、教授ではなくこれらに関する専門の博士の学位を取得した者がその責任者として各学部などに配置されている。一方、日本の国立大学の場合は、これらに関する専門的な知識を持たない各学部の教授が持ち回りで行っているという体制であり、これでは学生に対するきちんとした対応はできない。さらに、日本の国立大学の場合は、いわゆるキャンパスポリスという組織もないなど、組織として体をなしていない点が数多くある。

これらの問題点を洗い出し、本当にあるべき大学の姿というものから考えていかないと組織の在り方は見えてこないと考える。

なお、学長については、その適任者をどう選ぶかという問題もあるが、他方で、学長は大学の代表、最高責任者であることから、それぞれの分野の専門家を配置するなど、学長の補佐体制についても考えていく必要がある。外部の者を入れるということは非常に重要なことではあるが、外部の者なら誰でも良いということではなく、それぞれの分野についての専門家をきちんと大学の組織の中に位置付けていくという視点が重要である。

[A-4-18] これからは、学長のリーダーシップが非常に重要であり、一部の国立大学では既に設けられているシステムではあるが、評議会に学長のリコール権を与え、学長が大学にとって不利益なことを行った場合にはリコールするシステムにすれば良いと考える。

また、自由民主党の「提言 これからの国立大学の在り方について」(平成12年5月11日)や文部省の「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(平成11年9月20日)の中で、経営担当副学長の配置など経営面に関する指摘や記述があるが、独立行政法人化に際し、最初から経営担当の配置について言われると、その先にあるものが何か見えるように感じる。

[A-4-19] 企業の場合、社長が取締役会に行いたいことを提出するわけで、大学の場合も、学長が、大学において行いたいことを評議会に提出し、評議会がOKかNOかを判断するというようなシステムが必要であり、これが、これからの取締役会の在り方であり、国立大学で言うところの評議会の在り方であると考える。会社でいえば社長が、大学でいえば学長が最高責任者であり、評議会は何も意見を言う必要がないというのが一番良いことで、大学運営が良好に行われているということになる。

また、組織上、学長は、評議会の横に位置付けられるのではなく上に位置付けられるべきである。さらに、評議会の規模は10人位が適当で、当面、評議会には外部の者を入れないで、運営諮問会議で外部の力を利用するという案もあるのではないかと考える。

これは、何も国立大学の運営組織を会社と同じにするということではないが、これまでの日本の会社は、社長が一番偉く取締役会は社長を制御できない状況であったため、90年代の不祥事や暴走につながったという経緯がある。これを踏まえ、国立大学の運営組織は会社とは違うが、学長が運営立案、計画、改革案を評議会に提出し、学長などの立案者も評議会のメンバーに入りながら、違う視点で審議がされるというのが、特に独自性を出していく場合に必要なガバナンスなのではないかなと考える。

[A-4-20] 事務組織の検討に際し重要な点は、独立行政法人化後の政府と国立大学の関係がどのようにシンプルになるかということである。つまり、現在でも、人事、会計、施設などの事務に膨大な人手をかけているが、その根幹は、結局、大蔵省や総務庁との関係からであり、その関係をどれ位簡単なものにできるのかということである。具体的には、独立行政法人通則法上の中期計画、年度計画、評価に関する業務や、概算要求に関する業務について、現在の官庁手続きと違う大学に負担をかけないシステムを構築する必要があるということである。

また、現在、国立大学の事務職員の採用は、国家公務員一般の例と同様に、統一試験に合格し名簿に掲載された者の中から採用しているが、独立行政法人化すれば、この点は比較的自由になりそうに見える。しかし、国家公務員型である特定独立行政法人化した場合は、国家公務員法上の採用に関する規定が独立行政法人通則法では適用除外と規定されていないので、結局、統一試験を受けた者からしか採用できないことになる。

もちろん、各大学が自由に採用できるようにした方が良いのかどうかは、十分検討する必要があると思うが、例えば、原則は名簿掲載者から採用することとしても、自主的、自律的な運営という観点からすると例外措置があっても良いのではないかと考える。

さらに、現在の国立大学の事務職員は、国家公務員であるから、各大学にまたがる全国規模での広域人事を行い、その中で様々な大学で経験を積み、競争しながら昇進していくというシステムになっているが、何らかの形でその広域人事を引き続き行うことも考える必要がある。

しかし、国立大学協会の「国立大学と独立行政法人化問題について(中間報告)」(平成11年9月7日)では、「各大学ごとに法人化するとした場合、各大学の自主自律を基本としつつ必要な連携を確保するために、大学間の連合組織が必要となる」、「それは、現在の国大協に類する役割を担うほか、例えば事務職員人事の一元的運用の業務を行う」とあるが、果たして、このような任意団体で事務職員の人事の一元的運用をうまく行っていけるのか疑問を感じる。

加えて、国立大学が独立行政法人化された場合、事務職員の給与や勤務条件に関する国家公務員法の規定は、独立行政法人通則法上、適用除外されることになっており、先般制定された「国営企業及び特定独立行政法人の労働関係に関する法律」では、労働組合法が適用されることとなっているため、独立行政法人の職員団体は国家公務員法の職員団体ではなく、労働組合として取り扱われ、その結果、給与や勤務条件は、団体交渉や団体協約締結の対象事項になる。

したがって、国立大学を独立行政法人化した場合、国立大学対し自動的にこれらの規定が適用されることになることが適切であるかどうか検討する必要がある。確かに、独立行政法人化によって、各国立大学が給与や勤務条件を自由に決定できることになるが、例えば、給与支給基準の制定や公表というような一定の制約があるとすれば、その中に何か統一的な方針を示すなどの制約を加えるといったことについても検討する必要がある。

[A-4-21] 国立大学が法人格を持つことは、自主性、自律性の拡大だけではなく、大学の管理運営上の自己責任を大幅に拡大するものであり、国立大学にとって役に立つ面も持っていると考える。

大学の管理運営上の自己責任が拡大することは、学長の選考が非常に重要となることを意味し、学長を選考する場合には、学長の資質や管理運営能力などについて、厳しく学内の人達が審査し、十分慎重に考えていくことになる。その意味では、法人化自体が、良い学長を選ぶステップになり得ると考える。

また、国立大学は数年前まで学長を中心とする執行体制はほとんどなかったが、現在は、副学長の配置が進むなど執行体制が整備されてきている。この点については、組織上の問題として、さらに学長へのサポート体制を強化する観点からの検討が必要である。

例えば、法人の役員組織を学長を中心とした執行役員組織的な性格にし、審議機関である評議会と連携するなどの組織面での工夫も、学長をどのように選ぶかということと共に検討する必要がある。

[A-4-22] 事務を簡素化するという点は、是非そうしなくてならないが、独立行政法人化した場合、果してその保証があるのか、むしろ増える可能性も非常にあるのではないかと思う。

また、私立大学の事務組織の規模、例えば、対教員比、対学生比などについて是非教えていただきたい。国立大学が、国立であるが故に大変大きな事務組織を抱えざるを得ないという点を考えておく必要がある。

また、事務職員の広域的人事交流について、地方の規模の小さい国立大学が、何とか個性を伸ばすためには、ロイヤリティーのある事務職員が、ある程度大学に定着しているということが非常に重要である。個性の輝く大学にするためには、事務職員の力が非常に大きいと思うが、現行の一元的・広域的な事務職員の人事は、そういう点ではマイナスになっている可能性が多分にあるような印象を持っている。

さらに、組合との団体交渉の問題は、まさに経営の問題であり、例えば、経営担当の副学長が、単に財務関係だけを担当するのではなく、このような点もきちんと対応するといったことも非常に重要である。

[A-4-23] 設置者の問題は、学校教育法上の設置者管理主義、設置者負担主義に帰着する問題であり、国立大学を独立行政法人化した場合に、設置者管理としては、国の管理が相当程度及ぶことは間違いなく、法人が管理を行うことになるのも間違いないと思う。設置者負担としては、国費が相当程度交付され、自己収入も相当あることを考えると、国又は法人のどちらかに整理しきれない、両方にまたがっている問題であると思う。

例えば、放送大学のように、その運営費は8割以上国費で賄われ、理事長は文部大臣が任命するが、学校教育法上の設置者は放送大学学園であり国ではないというような整理もある。このような整理を国立大学の独立行政法人化に際しても行うことも考えられるが、その場合には、何らかの形で国立大学であることを社会に対し明らかにしておくことが必要である。

また、理事や監事といった役員構成については、法律上規定する必要はないと思うが、外部の者を入れることについては本委員会で議論する必要がある。

例えば、先行独立行政法人では、監事を2名としており、恐らく、一人は内部から一人は外部から選出するのではないかと思われるが、国立大学の場合には、どのようにしたら良いかということも検討する必要があるということである。

現在の国立大学に置かれている運営諮問会議は、勧告権を持ってはいるが、勧告権というのは弱いものであり、最終的に何かを決定し得る権限ではない。その意味からも、理事の構成や権限、法人の代表権を学長だけが持つのか、他の理事にも持たせるのかなどについても検討が必要である。さらに、事務職員の人事の全国的な調整という点であるが、調整が必要なのは人事だけではないと考える。例えば、財源や施設の問題など様々な調整を必要とする問題があり、個々の小さな法人が独立して設立された場合、大学で何か大きな仕事を行おうとしても財源もすぐには措置できない。現在、このようなことに対応するため、国立学校財務センターが設置されており、例えば、人事の面等も含めて国立学校財務センター的な組織を設置し、そこで調整するということを考えても良いのではないかと思う。

国立大学協会は、全体の運営や方針について高いレベルで議論を行う団体であり、そこで事務職員人事の全国的な調整を行うことは到底無理である。

したがって、全国的な調整を行う必要があるのであれば、財務、施設等の問題までを含めた事柄を担当するセンターを設置し、そこで調整するということを考えても良いのではないか。

[A-4-24] 国立か公立か私立かという点については、例えば、美術館の場合、国立か公立かという意識はするが、それは国立であれば立派なものをお金をかけて集めているであろうという程度でしかない。つまり、美術館が国立、公立、私立であるかではなく、その内容や学芸員のレベルが重要なのであり、国立であるかどうかということは見る側にとってはほとんど関係ないことである。

また、事務職員の人事についても、中央集権的に同じレベルに全部あわせるというのでは、国立大学の前途はなく、独立行政法人化するからには、個性の輝く大学を作るために、大学が自ら良い人を集められるという発想に変える必要がある。

したがって、良い人を集めるためには、国が定めた人事体系や登用の年代などについても、ある程度、大学の自主的な運用が行われることによって、初めて人材を集めて良い大学ができるという観点から、前向きに取り組む必要がある。

そうすると、誰を登用するか、どのような給料体系で行うかなどのマネジメント能力が非常に重要となり、その面でも学長を中心とした良いブレーンが必要である。ある意味では、民間のコンサルタントで優秀な人のアドバイスを受けるといったような取り組みが行われることによって、個性のある国立大学ができ上がるのではないか。

国立か私立かという考えは、日本においては国立の方がネームバリューが非常に高く、学費も安いということはあるかもしれないが、能力、教育、研究業績を高めるといったことに対するマネジメントが、独立行政法人の方が国に縛られずやり易くなるという体制を作っていくという観点が重要である。

[A-4-25] 90年代の傾向として、民間会社では社長の専横が問題であったが、国立大学では学長が十分なリーダーシップを発揮できないということが問題であった。つまり、民間会社と大学での問題点は逆であったと言え、国立大学については、学長にさらに強い権限、リーダーシップを与える方向を検討すべきである。

学長は、評議会の決定に対し、時には拒否権を持つくらいの強い権限を持っても良いのではないか。学長は、失敗を恐れずに、例えば、優秀な研究グループのスカウト等を行うべきである。

また、評議会でリコールできる国立大学もあるようだが、内部からのリコールよりも、外部の者で構成されている運営諮問会議にもう少し強い権限をもたせるべきではないか。

[A-4-26] 日本の国立大学は、これまで女性をほとんど採用してこなかったので、独立行政法人化に際しては、義務化するか、努力目標にするかは検討する必要があるが、役員などの執行部や運営諮問会議等に女性を一定数入れるようにすべきである。例えば、10年後には執行部における女性の比率を30%にするという努力目標を課すことなども考えられるのではないか。

[A-4-27] 大学人が大学運営に関して全て統括的に行うという発想は、一種のフィクションであり、何らかのプロフェッショナルな人間を配置しなければ責任ある大学運営はできないのではないか。

学長、副学長に良い人をといったようなパーソナリティーの問題ではなく、組織全体の在り方として、例えば、既存の評議会がマネジメントと教育研究の全ての意志決定を行い、その役割を果たせるかどうか疑問である。

また、現在の運営諮問会議と評議会との関係は、評議会が非常に強い意志決定権を持っていると思うが、果たしてそれで大学運営を良好に行っていけるのか不安である。

[A-4-28] 大学における教育と研究を一番担っているのは教官であると思うが、現実的には、教官には大学におけるそれ以外の業務が膨大にあり、全く研究ができないのが現状である。教官は、主に教育と研究を行うために雇われていると思うが、現状がそうなっていないというのは、組織が硬直化し、制度疲労を起こしていると思わざるを得ない。

したがって、評議会と教授会が直結する形に改めるなど、さらに機動的に動けるようにする必要があり、教授会で検討すべき事項も、本当に教育研究に直結した事柄に整理し、人的な資源を有効に活用できるように大学の組織を変えていかなければならないと思う。

1つ伺いたいが、近年の副学長の設置が、個々の教官の教育研究以外の業務の軽減につながってきているのか伺いたい。

[A-4-29] 事務組織については、確かに予算の要求などの問題や優秀な人材がある程度交流する必要があることも理解できるが、事務組織がロイヤリティーを持つためには、単に一元化という考え方からでは達成できないと考える。

現在の事務職員の広域的な人事交流では、大学における事務職員の専門性が生まれず、事務職員は、文部省との交渉が主な仕事になっている。例えば、英語を使う仕事やコンピュータを使う仕事など、少しでも専門性のある仕事は、事務職員は非常に下手であると言わざるを得ない。そういう点を独立行政法人化に際して改革する必要があるのではないか。

[A-4-30] 独立行政法人化に際しては、経営の観点が非常に重要になるとの視点からの発言が多いが、独立行政法人通則法では経営という観点は少しもないと思う。

独立行政法人通則法第2条では、独立行政法人の定義として「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から、確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人をいう」とあり、これは、普通の経営や経営的合理化というものとは基本的に違う原理が背景にあることを示していると思う。

独立行政法人化は、自律化や事務の簡素化に役立つものではなく、この制度が狙っていることは、行政の中の実施部門のアウトソーシングで、それを如何に安上がりにして行くかということである。その基本的な方針は、主務省が決めるものであって、各独立行政法人に対する経営という観点は、独立行政法人通則法の基本的な理念としてはないと考える。

また、本委員会の今後の進め方についてであるが、例えば、独立行政法人通則法を前提とした国立大学というのは、国立大学であるのかどうか、少なくとも国立大学であるということをきちんと標榜すべきものであるのかどうかなど1つ1つの課題について議論を積み重ねていく必要があり、そのためにはワーキンググループや小委員会を立ち上げて、そこでその作業を行った上で、本委員会で議論いただくといったような進め方を行わないと、本委員会で行うべきことが期限内にできないのではないかと考える。

[A-4-31] 少なくとももう少し本委員会としてフリートーキングを行いながら進めたいと考えているが、その後、ワーキンググループを立ち上げ、そこでたたき台を作成してもらい、全体で議論いただくことも、ぜひ行っていきたい。

[A-4-32] 独立行政法人通則法では、各独立行政法人は、実施したことに対して評価を受けることになっており、したがって、各独立行政法人は、経営的な感覚を持たざるをえないのではないかと考える。

また、国立大学を独立行政法人化すれば、自主性、自律性が求められることになることから、必然的に経営的な観点は考えざるをえないと思う。経営という観点をぬきにして考えても、自主性、自律立性が発揮できるような組織がいかににあるべきかという観点で議論をすることが重要である。