2004年08月07日

福岡教育大学発 国立大学法人化関連情報 第3号

2004年8月6日配信

転送・転載を大いに歓迎します。新たに情報の配信を希望される方や、バックナンバーを必要とされる方は、cki13631@rio.odn.ne.jp までご連絡ください。また、配信を不要とされる方も、お手数ですがご連絡ください。
なお、前号のなかの【3】−(3)において「何ら国立大学法人法にしない」とあるのは、「何ら国立大学法人法に抵触しない」の誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。
日常の研究教育活動に加え、法人化による業務の多忙化が重なり、長らく情報発信が途絶えておりました。今後も粘り強く発信を続ける所存ですので、よろしくご声援ください。
HEADLINES 

【1】松尾学長に抗議する全学教授会の決議
   −学長による中期目標・中期計画の「書きかえ」に対して− (7月1日)
 (1) 一片の学長文書
  1) 突然の通告
  2) 説明責任はどうなるのか
 (2) 書きかえの内容と背景 −「亡霊」の復活−
  1) 役員会による寡頭・密室政治
  2) 経営協議会の実態
  3) 「旧体制」の「亡霊」
 (3) 全学教授会による決議文の採択
 (4) 松尾学長の対応
  1) 議長・副議長との面会
  2) 松尾学長自ら全学教授会で釈明するも、辞職要求発言まで飛び出す

【2】辻健介・本学事務局長が辞職、新事務局長に前京大企画部長・小川清四郎氏
(6月30日−7月1日)
 (1) 辻氏のもたらした負の遺産
 (2) 新事務局長の心境
 
【3】非常勤講師の賃金を1割程度減額 −福岡教育大学を含む11国立大学−

【4】読者からのお便り

【5】閑話後記


【1】松尾学長に抗議する全学教授会の決議
    −学長による中期目標・中期計画の「書きかえ」に対して− (7月1日)

(1) 一片の学長文書

1) 突然の通告

話は、3か月近く前にまでさかのぼる。松尾祐作学長は、4月27日付で「国立大学法人福岡教育大学 中期目標・中期計画について」と標記された一片の文書を教授会の全構成員のメールボックスに配布した。それは、国立大学法人法に基づき「中期目標についての意見および中期計画案」を役員会で最終的に決定し、去る4月21日に文部科学省に提出したという内容の「事後報告」であった。このように書いただけでは、まさに一片の文書で済まされうるような、事務的・手続的な事項の事後報告であったとお思いであろう。しかしながら、この学長文書の内容は、とても1枚紙の事後報告文書で済まされるはずのない、本学の針路を左右しかねない極めて重大なものであった。

昨年9月末、本学は、他の国立大学同様、法人化に向けて中期目標・中期計画素案を提出した。本学の「素案」は、全学教授会で学長原案が3回にわたり否決され、最終的には教員側の対案が賛成多数で可決されるという極めて異例な事態を経て、まさしく「難産」の末に決定されたものである。こうした事態を受けて教授会側から浮上した学長の退任要求に対して、松尾学長は、「補佐体制が十分とは言えなかった」という理由で2名の副学長をともに更迭した。そのうえで、自らについては、「学長としての責任を回避するつもりはない。法人化後の平成18年2月までの任期を全うするつもりもない」、「当面は在任し、素案に基づき粛々と作業を進めていかなければならない」と言明し、続投を表明した。これを受けて、教授会構成員の少なからずは、仮に学長の続投が辛うじて正統性を帯びるにしても、それは、学長が「素案」に対して忠実に行動することが条件である、と考えたに違いない。

その後、本学の「素案」は、他の国立大学の素案と同様、文部科学省のホームページを通じて国民に対して公表された。また、学内的にも、法人化後の本学のあり方を方向づける重要な文書であるとの位置づけのもと、学生を対象として「素案」の内容に関する説明会が開催された。

このように、いろいろな意味において重みをもつはずの「素案」であったが、今回、松尾学長は、極めて安易かつ恣意的に「素案」の大幅な書きかえを断行し、最終案として文部科学省に提出したのである。書きかえは、40か所以上にもおよび、「前文」に至っては、跡形もなくきれいさっぱり書きかえられている。4月27日の学長文書は、このようなかたちでの「素案」の大幅な書きかえについて、もともとは自らの出身母体である教授会に対して一方的に事後通告するものであった。結局、文部科学大臣は、「素案」を大幅に書きかえた最終案をそのまま採り入れ、中期目標を5月26日付で提示し、中期計画を6月3日付で認可した。

2)説明責任はどうなるのか

確かに、国立大学法人評価委員会「国立大学法人の中期目標・中期計画(素案)についての意見」(本年1月28日)には、「各大学が(略)自主的・自律的に素案の見直し・検討を行ない、可能なものについては、(国立大学法人の)発足時の中期目標の原案及び中期計画の認可申請に反映されるよう、対応することが望まれる。(略)例えば、本年4月の国立大学法人の成立により、各国立大学法人においては新しい意思決定の体制が発足する。この新体制において中期目標・中期計画の見直しをおこなう意向がある場合には、その変更等について文部科学省は積極的に対応するなどの対応が必要である」としている。しかし、これとて、「素案」の無制約で恣意的な見直しを是認するものではなかろうし、見直しの必要性の具体的な根拠などについては、国立大学法人として、学内はもとより、広く国民に対して説明責任を果たさなければならないであろう。

しかし、今回の学長文書では、「素案」の大幅な書きかえの理由については、説明らしき説明は、一切ない。「全体の整合性の観点」、「各大学の個性伸長の観点」、「具体性の向上の観点」など、国立大学法人評価委員会の一般的な指摘(特に本学を名指ししたものではない)を形式的に羅列するばかりである。特に、「素案」の「前文」は、全面的に書きかえられているにもかかわらず、その理由は、学長文書では全くもって不明である。「素案」の前文は、本学で1999年に大規模な改革がなされた際の議論を踏まえ、「21世紀の学校教育や生涯学習社会を担う資質能力をもった教育者養成を目指す『教育の総合的研究教育機関』」として本学を自己規定し、その基本理念をうたいあげていた。こうした理念は、他の教育大学が範とするほどのインパクトをもっていたのであり、「大学の個性伸長の観点」とも合致するものであったはずである。これに対して、書きかえ後の前文では、「教育の総合的研究教育機関」という明確な自己規定が姿を消し、凡庸・稚拙で魅力に乏しい文章が続くばかりであり、学問の府の文書としては見るに耐えないというほかはない。このような書きかえは、百害あって一利な
しであり、そもそもその必要性の説明が絶対に不可能である。

(2) 書きかえの内容と背景 −「亡霊」の復活−

1) 役員会による寡頭・密室政治

昨年度末、教授会の下部組織として設置された「基本構想委員会」の作業部会は、上記の国立大学法人評価委員会の「意見」などをうけ、「素案」の見直しについて検討した。そして、作業部会は、学長に対して、見直しを要する部分として2か所、検討を要する部分として3か所を具申するにとどまった。これに対して、今回の書きかえでは、「前文」の全面差し替えに加えて、目標・計画部分では40か所以上に手が加えられている。学長周辺は、法人化により「素案」が教授会の手を離れて役員会の手に移るやいなや、「はじめに書きかえありき」の姿勢のもと、速攻的にそのための作業に着手したようである。なぜか学内に公表されている役員会議事録には一切記録がないが、法人発足直後の本年4月8〜10日の3日間、役員会が集中的に開催され、そこで書き直し作業が進められた由である。 民主的な手続を踏んで作り上げられた「素案」は、役員会とこれを取り巻く事務局長や企画課長(総合大学の筆頭部長に相当する職)など一握りの幹部事務職員による寡頭政治・密室政治のもとに呆気なく葬り去られてしまった。

書きかえの内容として特筆すべきは、全学教授会で否決された学長原案の文言をそっくり復活させるような加筆がなされている点である。特に、「人事の適正化」に関する部分は、廃案となった学長原案の文言を使って大幅に書きかえられている。まさに「亡霊」の復活というほかはない。たとえば、計画部分には、「全学的な人件費管理のシステムを構築し、教員及び事務職員等について、各組織への適正な人員配置を行う」という項目が復活している。しかも、この項目に連動するかのように、「X その他 2.人事に関する計画」の欄には、素案の段階では全く存在しなかった文言が書き込まれ、「人件費総額及び標準定数を配慮した縮減計画を立案し、構想に沿った再配置を実施する」といった一文が加えられている。このような一連の計画は、役員会が教授会を教員人事にタッチさせないことを意図して作り上げた教授会規程や就業規則と三位一体になって機能すると、役員会による寡頭・密室政治のもとでトップダウン的に研究・教育組織の改廃や教員の配置転換が進められることにもなりかねない。これでは、大学にふさわしい自由闊達な研究・教育ができるはずはない。

2) 経営協議会の実態

教員人事に関して 「縮減計画を立案する」といってはばからないこの大学の役員会は、一般企業のリストラ優先型経営手法を大学に無批判に持ち込もうとしており、研究・教育の充実という大学本来の使命をどこかに置き忘れてきたようである。それが証拠に、「人事に関する計画」の部分は、研究・教育に大きな影響を与えるにもかかわらず、教育研究評議会には一切諮られず、経営協議会で審議されたのみである。しかも、公開された経営協議会の議事録によると、その審議過程では、本学の実状などを無視し見当違いではないかと思われる「放言」が飛び交い、議論の水準の低さには目を覆うばかりである。例えば、委員からは、「私学では人件費率が50%を超えると経営が危ない認識があるが、福岡教育大学は80〜86%であり、教育・研究や学生への貢献度が低い数字になっている。今後人件費率を下げていくことが大事である」との発言があるが、これによれば、本学のみならず全ての国立大学が大幅なリストラの対象となってしまうだろう。私立大学の経営と国立大学の運営を完全に混同してしまっているのである。また、「ワークシェアリングやリストラとして教育・研究部門の人員を収益事業に回すこと等も考えられる。人件費率は親が大学を選ぶ判断材料にもなるものである」といってはばからない委員もいたが、果たして教育部門を犠牲にして収益事業に力を入れるような大学に対して、誰が魅力を感じるのだろうか。このような不見識極まりない意見が積み上げられ、その結果として研究・教育部門の縮減計画が策定されたとしても、それは、砂上の楼閣に過ぎないのではあるまいか。

3) 「旧体制」の「亡霊」 ところで、全面的に書き換えられた「素案」の「前文」は、教育研究評議会や経営協議会にも一切諮られず、中期目標・中期計画担当の南出好史理事が作成したものがそのまま役員会において採用されたとのことである。思い起こせば、本学教授であった南出氏は、「素案」の原案を審議した昨年9月の全学教授会において、否決された学長原案をひたすら擁護する発言をフロアで繰り返していた。それは、ほかならぬ南出氏が、学長原案を策定した委員会のメンバーなどとして実質的・中心的な役割を果たしてきたからである。そして、最終的に賛成多数で「素案」として採択された教員側の対案に対して、南出氏は、特にその前文が「教育の総合的研究教育機関」として本学を自己規定している点を槍玉に挙げ、「教育の総合的研究教育機関」の意味するところがよくわからず、本学の姿が見えてこない、という趣旨の発言を繰り返していた。しかし、「教育の総合的研究教育機関」という本学の自己規定は、上述したように1999年の本学改革の基本理念として全学で共有され、かつ対外的にも公表されていたものであり、後に理事に起用されるほどの有力教授である南出氏がそのことを把握していないはずはないのである。実は、南出氏は、本学の将来計画について、学校教員のみならず広い意味での「教育者」を育成するという現在の方針を改め、学校教員の養成に特化するという構想を明確に描いており、こうした構想の実現にとって、伝統的な学校教員養成機関からの脱皮を目指すものである「教育の総合的研究教育機関」という本学の自己規定が邪魔になるため、あえてこれを葬り去ろうと躍起だったのである。南出氏がその策定に中心的に関わった学長原案を見ても、そうした同氏の持論が随所に顔を出していた。

驚くべきことに、学長原案否決の責任をとって二人の副学長が更迭された後、南出氏は、松尾学長から副学長に任命され、引き続いて理事へと「横滑り」した。こうした人事に対しては、廃案となった学長原案の実質的な「生みの親」である南出氏の責任はどうなるのか、同氏が全学教授会などで先頭を切って松尾政権を擁護したことを理由とする不当な論功行賞人事ではないか、といった疑問が吹き出した。

とにもかくにも、教授会から縁が切れて理事としてフリーハンドを得た南出氏は、自身が私的に描く大学将来像に沿って、独断的でほしいままに「前文」を全面的に書きかえ、「教育の総合的研究教育機関」という文言を抹消したのである。これでは、中期目標・中期計画、さらには大学そのものの私物化につながりかねない。また、そもそも、「素案」の見直しは、国立大学法人評価委員会の見解によれば、本年4月の国立大学法人の成立により発足する「新体制」の意向を汲み取るために奨励されているはずだが、本学の「新体制」の実態は、もはや昨年度の段階で全学の支持を失った松尾学長とその翼賛者からなる「旧体制」にほかならない。今回の中期目標・中期計画の書きかえは、まさにそうした旧体制の「亡霊」のなせる業なのである。

(3) 全学教授会による決議文の採択

7月1日の全学教授会(正式名称は、「教育学部教授会」であるが、教育学部のみを擁する単科大学である本学の全教員が出席する教授会という意味を明確するため、この語を用いることにする)では、教員からの緊急動議として、「中期目標・中期計画(素案)の書きかえに抗議する決議文」を教授会として採択すべしとの提案がなされ、動議の支持者も現れた。この決議文を提案した教員は、提案理由に関して、「素案の書きかえに対して沈黙することは、それを承認することである。素案の書きかえについては、4月27日付け学長文書で一方的かつ不十分な説明がなされただけである。教授会が納得したわけではないことを意思表示しなければならない」と力説した。 投票の結果、以下の決議文が賛成多数で採択された。

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中期目標・中期計画(素案)の書きかえに抗議する決議文

本学の中期目標・中期計画は、素案に相当の修正を施し、平成16年4月21日に文部科学省に提出された。確かに法人の役員会は素案を見直す権限を有するが、今回の修正内容及び合意形成手続きには、重要な問題が含まれている。以下にその問題点を指摘する。

1.本学の基本目標を定めた前文が全面的に書きかえられたこと。

前文の内容は、中期目標・中期計画の素案策定にいたる過程で重要な論点となったものであった。昨年9月の教授会決定後、自らの原案が否決され責任問題が浮上するなかで、学長はこの「素案に基づいて粛々と作業を進める」と誓い、二人の副学長を解任することでその職に踏みとどまったという経緯がある。

本年4月27日付けの教職員宛て説明文書において学長は、国立大学法人評価委員会の意見に従って素案を見直したと述べている。しかし、前文を全面的に書きかえなければならない根拠は見当たらない。

2.廃案になった学長案の項目が復活していること。

学長は、昨年度の目標・評価作業部会に検討グループをおき、素案及び年度計画について検討してきたと言いながら、その検討グループの修正意見を内容的にも量的にもはるかに越える修正を施した。その際、昨年9月に否決された学長案に含まれていたいくつかの項目が復活している。学長は、教授会が最高の決定機関である間はその決定に従う姿勢を装い、法人化後役員会が最高決定機関となるや、廃案を蘇らせたと言える。

3.未審議の新規項目が加えられていること。

中期計画の「X その他」の項に、「人事に関する計画」等が新規に盛り込まれているが、これは教育研究に関わる重要事項を含むにもかかわらず、教育研究評議会にも教授会にも諮られていない。

以上述べてきたように、中期目標・中期計画の書きかえをめぐっては、その内容及び合意形成の方法に重大な問題がある。法人となっても、学長が構成員の合意形成に努めつつ大学の進むべき道を決定しなければならないことは自明の事柄である。しかるに学長は、書きかえに際して、教授会に対して一切説明しようとしなかった。法人化後の教授会と自分とはまったく無関係であると言わんばかりの姿勢である。「全学挙げて」と掛け声を発する一方で、正しい手続きで決定されたことを独断的に覆す学長のやり方は、教授会構成員に不安と不信を抱かせ、その意欲をそぐものである。

中期目標・中期計画の書きかえについて、学長に対して強く抗議する。

2004年7月1日            

福岡教育大学教育学部教授会

(4) 松尾学長の対応

1) 議長・副議長との面会

決議文の採択をうけて、教育学部長である井上裕之議長が教授会終了後直ちに決議文を学長に提出すること、4人の副議長がこれに同行することが確認された。ちなみに、教育学部長である井上議長は、教授会での投票によって選出されたのではなく、学長によって任命された。これは、学部自治や教授会自治の原則からすれば、極めて異常なことである。そして、さしもの松尾学長および役員会も、そうした「官選」議長だけでは全学教授会の運営が困難になると踏んだようであり、副議長をおくことをすでに4月時点で早々に提案してきた。これをうけて、全学教授会は、投票により4人の副議長を選出した。何より、教授会構成員のあいだには、「官選」議長がどこまで本気で教授会を代表して学長にもの申す気があるのか、かなり懐疑的な見方が広がっている。井上議長自身、「私は、学長の決定にしたがって行動するのであり、教授会構成員を代表して行動するのではない」といってはばからない有様である。学長への決議文提出に際して副議長4名の同行を求める声が構成員からあがったのは、井上議長に対する根深い不信の表れである。

議長に同行した副議長らの話によれば、午後4時半頃に学長室に出向いたところ、学長秘書が応対に出てきて、学長は、すでにその5分前には公用車で大学を後にしたとのことであった。それにしても、全学教授会で大学運営のあり方をめぐり厳しい意見が交わされていることについては、松尾学長も十分承知していたはずである。そうした全学教授会の内容について議長の報告さえも受けずにさっさと帰宅するとは、それほど全学教授会を軽視しているということであろうか。もっとも、松尾学長は、昨年度なども、学内が法人化準備の混乱と多忙のさなかにあって、毎日判で押したように4時過ぎに退勤していたそうであるから、この日もただ単に普段通りに行動しただけだとみたほうがよいのかもしれない。

副議長らの話によると、松尾学長が大学を後にしてまだ5分しかたっていないということで、学長の携帯電話に連絡を入れて戻ってきてもらうことになった。大学に呼び戻された学長は、悪びれるどころか憮然とした表情で議長・副議長に応対した。自らに突きつけられた抗議の決議文についても、まるで他人事のように話を聞いていた。

2) 松尾学長自ら全学教授会で釈明するも、辞職要求発言まで飛び出す

7月1日の全学教授会では、実は、「中期目標・中期計画(素案)の書きかえに抗議する決議文」のほかにも、適正な教員人事手続の確立や教育研究評議会における委員構成の見直し(4人の副学長以外に教員のなかから選出される委員の大幅増員)など、大学運営の正常化を求める3本の決議が採択されていた。そして、意外なことに、これら計4本の決議に対して、松尾学長自らが7月22日の全学教授会の冒頭で釈明する運びとなった。
 

3月まで有効であった国立学校設置法の下では、本学のような単科大学の場合、学長が全学教授会の議長としての職務と責任を担っていた。そして、松尾学長は、中期目標・中期計画の学長原案が3度にわたり全学教授会で否決されるという憂き目をみるや、開き直るかのように全学教授会を封印してその後の法人移行準備を専決的に進めた。松尾学長の信を問うための全学教授会の開催要求に対しても、一切耳を傾けなかったし、開催要求に応ずれば、辞職要求を喉元に突きつけられることは目に見えていた。このように、全学教授会は、松尾学長にとってはまさに「鬼門」にほかならなかったが、こうした状況は、4月の法人化により一変した。役員会が全学教授会に代わり本学の最高意思決定機関となったことに加え、大学運営組織のドラスティックな改編がなされ、松尾学長は、全学教授会それ自体から完全に足抜けし、その議長としての職務と責任を新設された教育学部長ポストへと丸投げしたのである。こうなれば、全学教授会は、松尾学長にとって、議長として責任を問われるような恐い場ではなくなる。そのため、松尾学長は、全学教授会に出席して何をしゃべろうと、またフロアからどのような非難を浴びようと、自身はあくまでも最高意思決定機関である役員会の主宰者であり、弱体化した教授会ごときによって詰め腹を切らされることはない、と考えてたのであろう。あるいは、トップである自らが教授会において「下々の者」に号令すれば事態は収拾されるとの幻想をもっていたのかもしれない。松尾学長が全学教授会に顔を出すことになった背景には、そのような事情があると考えられる。

全学教授会での松尾学長の釈明は、極めて内容の乏しいものであった。「素案」の書きかえの理由を糾されると、「計画のアウトプットに関する部分の記述を具体化するように心がけた」と答えるなど、国立大学法人評価委員会の一般的な指摘を形式的になぞるだけの空虚なものだった。また、大学運営の正常化に向けての姿勢を問われると、「法人法の趣旨に則って適正に大学運営をおこなっているつもりである」との認識を示したが、「それでは、学長が繰り返しいわれるいわれる『法人法の趣旨』とはいったい何か」との質問に対しては、「それは、遠山プランなど、文部科学省の関連文書をみればわかる」と述べるなど、その答えは、納得がいくどころか、全く的がはずれており、議場のここ彼処から失笑が漏れる有様であった。このような学長の不毛な発言に対して、議場からは、「学長は、しきりに教員が一丸となって大学運営に協力しろといわれるが、そもそも、われわれと学長のあいだの信頼関係は、完全に失われている。ここは、もはや人心の一新しかない」と学長の辞職を求める発言が出され、大きな拍手が起こった。

松尾学長は、まさに「裸の王様」である。松尾学長がその地位にとどまることは、本学にとってこの上もなく不幸な事態である。

【2】辻健介・本学事務局長が辞職、新事務局長に前京大企画部長・小川清四郎氏(6月30日−7月1日)

(1) 辻氏のもたらした負の遺産

辻健介・本学事務局長が6月30日付で辞職した。辞職の理由・経緯などは不明である。

辻氏は、2002年8月1日付で本学に着任した。在任期間は、法人移行準備期間と重なったが、その準備作業において、辻氏は、松尾学長の独断的な大学運営を下支えするとともに、大学における研究・教育への行政支配を強化することに腐心した。たとえば、法人化後の大学運営の指針となる中期目標・中期計画の「素案」の策定において、研究・教育の主体であるはずの教員側の多数意見を無視し、官僚的トップダウンの手法で学長原案の作成に関与した。さらに、教員側が提出した案が全学教授会において「素案」として採択されると、様々な官僚的手法を駆使してこれを骨抜きにすることをねらい、遂に法人化後に「素案」の大幅な書きかえの立役者の一人となった。

辻氏は、いわゆる「非常勤講師予算半減問題」についても、本学予算を管理する事務局のトップとして、松尾学長とともに責任を重く問われるべき立場にあった。去る1月、松尾学長は、2004年度における教職員の定期昇給相当分の人件費が4400万円不足することを理由に、非常勤講師予算額を8900万円から一気に4500万円へと半減させる「学長裁定」なるものを一方的に下した。しかし、すでに約200 人の講師の手配をすませていた教員側が一斉に反発したうえに、文部科学省も、「人件費に定期昇給分は積算している」などとして疑問を呈したため、松尾学長は、「学長裁定」を「凍結する」と表明せざるを得なくなった。なおも教員側が2004年度の人件費が不足する根拠を開示するように要求し続けたのに対して、その根拠の説明に窮した松尾学長は、ついには予算が不足するとの見解そのものを撤回した。そして、唖然とするほかなかったのであるが、「人件費を精査した結果として、2004年度予算が2000万円余る」との事実を公表した。6400万円もの大金が闇に消えようとしていたのであり、これは、単なる計算ミスといった類の問題として片づけられるものではない。この問題について、「金のことはよくわからない」といって開き直る学長の責任も重大であるが、予算の事務処理が極めて不明朗なものであったことを踏まえると、当該事務の統括者であった辻氏の責任も、重大である。この問題の真相は、いまなお藪の中であり、学内には法人化後の予算をめぐって今なお根強い不信感が残っている。

辻氏のもたらした負の遺産は、ほかにも様々あるが、これをどのように除去していくかが本学のこれからの課題である。

(2) 新事務局長の心境

新事務局長として、前京大企画部長・小川清四郎氏が7月1日付で着任した。小川氏の着任により、辻氏の負の遺産は、一掃されるのだろうか。それとも、辻氏の後始末を同じ文部科学官僚である小川氏に期待すること自体、所詮はナンセンスなのだろうか。

7月22日の全学教授会に松尾学長が出席した際、新事務局長の小川氏が同行し、教授会構成員のまえで着任の挨拶をした。小川氏は、「福岡教育大学のいろいろなニュースは京大にも伝わってきている。福岡教育大学への赴任の話が出たときには、周囲からもずいぶん心配された」と冗談交じりに述べたうえで、「提案型・実行型の事務局を目指したい」と抱負を述べた。その後、上述のように、松尾学長が「中期目標・中期計画(素案)の書きかえに抗議する決議文」をはじめとする4本の教授会決議に関して釈明をした。中身の伴った答弁もできず、挙げ句の果てに辞職要求の言辞を投げつけられた松尾学長のすがたを目の当たりにして、小川氏は、紛れもなく自らが福岡教育大学に赴任してきたのだという現実を嫌というほど実感したことであろう。果たして、そのときの小川氏の心境は、どのようなものであっただろうか。

【3】非常勤講師の賃金を1割程度減額 −福岡教育大学を含む11国立大学−

朝日新聞の報道(7月27日付朝刊)によると、4月に国立大学が法人化された際、全国89国立大学・短大のうち11大学が非常勤講師の賃金を1割程度も減額したことがわかった(首都圏大学非常勤講師組合と関西圏大学非常勤講師組合の両労働組合の調査による)。この11大学には福岡教育大学も含まれており、1時間あたりの最高ランクの賃金をみてみると、6900円から6000円に減額されている。その他の大学は、大阪外語大(最高ランク6450円→5900円)、大分大(同6200円→5000円)、浜松医科大(同6100円→5200円)、岡山大(同6000円→5500円)、信州大(同5850円→5120円)、静岡大(同5850円→5300円)、神戸大(同5800円→5200円)、香川大(同5700円→5000円)、高知大(同5400円→5000円)、富山医科薬科大(同5850円→5260円)となっている。

11大学のほかにも、国家公務員の月給が昨秋に人事院勧告で平均1.1%引き下げられたのに伴う措置として、1パーセント前後の賃下げを実施した大学も散見される。しかし、大半の大学は、非常勤講師の賃金がもともと低額であることを踏まえ、賃下げを見送った。報道によれば、福岡教育大学は、1割を超える減額を実施した理由について、「周囲の大学を調べた結果、単価が少し高いとわかった」と説明している。確かに、昨年暮れあたりの教授会を思い起こすと、教務委員会から減額案が提示された際、そのような説明を聞いた記憶がある。また、当時、教授会構成員のあいだには、法人化後に非常勤講師にあてられる予算が十分確保できるのかという懸念も広がっており、それが減額への圧力となったことは否めない(*注)。しかし、非常勤講師予算問題をめぐる松尾学長ら執行部のその後の迷走ぶりは、われわれ教員の想像だにしないところであった。上述のように、松尾学長は、 人件費不足を根拠として非常勤講師予算総額を一気に半減させる「学長裁定」を下したかとおもうと、学内外から批判や疑問が向けられるや、一転して人件費が2000万円も余ると言い出す有様であった。これでは、非常勤講師予算の半減が論外だとしても、果たして非常勤講師の賃金を1割以上減額することも必要だったのか、極めて疑わしいところである。

報道によると、関西圏大学非常勤講師組合の関係者は、「非常勤講師は立場が弱いので、賃金を削っても言うことを聞くと大学側は踏んでいるのではないか。痛みを一方的に押しつけるのは許せない」と述べている。いずれの大学においても、教育サービスの面で非常勤講師が担っている役割は、専任教員に勝るとも劣らないはずである。それゆえ、非常勤講師を冷遇する大学は、結局は教育をおろそかにする大学であるというほかはない。不明朗な予算処理のもとに根拠も薄弱なまま1割超の賃下げに踏み切った本学の姿勢は、非常勤講師の目にどのように映ったであろうか。

*注: この時期、他大学では文部科学省から措置される非常勤講師予算が一定の割合で減額されることになる、との情報が本学に伝わってきていた。しかし、こうした減額措置は、専任教員ポストが空席のままとされている大学が対象とされたのであり(文部科学省は、空きポトスがあるのなら、非常勤講師予算を要求するまえにその空き埋めることを優先させるべきとの考えに立っていた)、本学のようにポストがすべて充足されている大学は、減額措置の対象外であった。本学では、こうした正確な情報もないまま、「他大学では非常勤講師予算が減額されている。本学でも減額は避けられない」との見方が独り歩きしてしまった。大学執行部の情報収集能力の低さが問題とされるべきであろう。

【4】読者からのお便り

*「福岡教育大学発 国立大学法人化関連情報 第3号」へのご意見・ご感想を是
非 cki13631@rio.odn.ne.jp までお寄せください。

(1) かって松尾君は「全組織に関わる変革なので教授会で最終決定するのではなく全構成員の意向をくんで決める」と言ったことがありました。教授会の意向を生かそうとする姿勢もない人間が果たして全構成員の意向を大切にするのでしょうか? 大きな疑問です。言葉のまやかしに過ぎないように感じられます。文科省ですら「法人化の主旨は学長が何でもできるということではない。学内のコンセンサスを得る努力は常に求められる」とコメントしておりました。いままでの松尾君を知っている者からすると、その変節ぶりに呆れる思いがするのと、頭が可笑しくなって思考能力がなくなり、誰かの傀儡であるのかと思ったりもします。法人化が決定したあとに選ばれたある大学の学長は「大学の自治が損なわれないように運営していく」と抱負を語っていたのを思い出します。「大学の自治」、その本来の意味を今一度十分に噛み締めておく必要があるように思われます。学外的にも、学内的にも。裸の王様?は結局は可哀想なものです。
(元 本学教員)

(2) 大学OBとして、また、同じ教育現場に関わる者として、これからの教育大学のことに深く関心を持っています。自分で情報を集めることもしていこうと思いますが、現場にいる先生からの今回のような情報の配信は、どのような情報にも勝るメッセージだと感じました。もしこれからも配信を続けられるのであれば、是非私にも送ってください。よろしくお願いします。
(本学卒業生・ 小学校教員)

(3) 通信内容は、法人化に伴う学長(理事長)(法人経営サイド)の独裁制(学問研究の自由、大学の自治と自律の否定ないし歪曲、抑圧)の路線と、これに抗して大学の自治を守り発展させようとする大学人の路線との対抗として、興味をもって拝読しております。福岡教育大学における大学人の奮闘が、私どもにも大きな勇気を与えてくれるものです。その意味で、私の研究室日誌でも紹介し、本学の心ある関係者に考える為の素材として提供しているところです。
(公立大教員)

 (4) 以前、ある教員養成系単科大学に出かけたとき、教育大学特有の事情を聞いて、なるほど教授会の位置づけが、国立大学法人法が典型的に想定していると見られる総合大学とは随分違う、と納得したことを思い出しました。その意味で、国立大学法人法が本来想定していない事態を考慮しなければならない、ということになろうかと思います。しかも、国立大学法人法が想定する学長−経営協議会−教育研究評議会という「トロイカ 体制」自身、その権限分配に無理がある(そもそも、大学は教育研究を目的とする組織であって、そう簡単に経営事項と教学事項と分けられないのは、私立大学における教授会と理事会との緊張関係が教えるところでした)、したがって、「関連するその他の事項」(手許に条文がないのでうろ覚えですが)をどれだけ広げて、教授会・教育研究評議会の権限や決定事項に経営協議会や理事会の意思を従わせるか、その点が法律の運用の根幹にかかわること、と理解すべきでしょう。この点、今のところ私のところでは一応のコンセンサスとして「尊重」されてはいるようです。しかし、教育大学における全学教授会の重さを考えるならば、まさにこれは法律の運用の根幹をなすべきことであり、ここは大学の目的が研究と教育にあること、しかも全人格的な陶冶を必要とする教育大学であるならば、「経営」は「全人格的な陶冶を目的とする教育と、それを支える研究活動」を裏側から支えるべき存在であること、その表裏の関係が逆転するならば、大学の自殺行為に他ならないことを肝に銘ずるべきだと思います。
(国立大教員)

(5) 私は教職員の家族です。去年からの大学の動向を気にしながら見続けています。こういうごたごたが一年近く続いているようですが、新聞などで大学冬の時代という記事を見るたびに、福岡教育大学はだいじょうぶなのか、と心配でなりません。学長さんたちは独裁的なやり方を続けているようですが、どうしてそこまで自信を持って、教職員への説明責任も果たさず、大学の将来を決めているのかお聞きしたいです。学長以下執行部の方たちには教職員にその家族がいることがおわかりなのでしょうか。3歳の子どもやこれから生まれてくる子どもたちがいることを考えてくれているのでしょうか。よくテレビなどで有能な会社のトップが「私は社員のことだけではなくその家族のことも考えなければいけないんだ」と言ってるところを見ます。私には松尾学長にそのようなお考えがあるとは思えません。ご家族の方もみなさん成人をしていて、人生の余暇を上手く過ごせたらよい、ぐらいの感じで大学経営を考えているのではないでしょうか。そんなことはないと言われるかもしれませんが、実際大学が無くなるときにはさっさと引退なさっていて、涼しい顔で”大学廃校”の新聞記事を見ているのではなんの痛みもありません。その時に苦しむのは、そこに残っている教職員とたくさんの家族です。汚点を残さないようにするためにも、教職員の声にもっと耳を傾け、最低限、納得のいく説明をしてくれるべきではないかと考えております。私のまわりの大学に全く関係のない人でも、「この少子化だから国立大学も絶対いくつかつぶれるよね」と言います。今は本当に大切な時だと思います。自分たちの考えだけでものごとを進めていくのではなく、世の中が何を求めているかを、いろいろな年代、いろいろな立場のひとたちがみんなで考えてゆける運営をしてほしいと思います。
(本学教職員の家族)

【5】閑話後記

近頃、プロ野球が球団合併やリーグ再編の問題をめぐり大きく揺れている。もはや周知のことであるが、この問題でオーナー側との話し合いを求めた労組日本プロ野球選手会の古田敦也会長(ヤクルト)に対して、巨人の渡辺恒雄オーナーは、「無礼なことを言うな。たかが選手が」などと述べたという。ここでは、実際に球場でプレーをする選手や、そのプレーを観るために球場に足を運ぶファンの存在を軽視した、経営者の傲慢きわまりない姿勢を見て取ることができる。そして、このエピソードは、まさに本学の現状を彷彿とさせる。大学運営のあり方について話し合いを求める教員側に対して、学長や役員会は、「無礼なことを言うな。たかが教員が」といいたいのが本音であろう。彼らは、法人化の大義の下に、大学運営の中に企業的経営の論理を無原則・無批判に持ち込み、自分たちだけで大学を差配できると思い込んでいるようである。研究・教育の現場で働く教員、そしてなにより教員のもとで学ぶ学生たちのことは、まるで眼中にないかのようにみえる。

プロ野球では、選手とファンが手を携え、オーナー支配に風穴を開けつつある。この点、本学はどうであろう。かつてキャンパスに訪れた「政治の季節」も今は昔となり、学生たちは、すっかりおとなしくなった。ここはやはり、われわれ教員が踏ん張っていくしかない。本学の様々な問題に直面する中で、われわれ自身、大学における研究・教育のあるべき姿とは何か、民主主義とは何か、改めて学び直す機会を与えられたように思う。学生たちも、そうしたわれわれの姿を見て、何かを学び取ってくれていると思う。「日暮れて道遠し」の思いにとらわれることも間々あるが、ねばり強く歩んでいきたい。

tjst |8月07日 |URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000615.html |福岡教育大学発国立大学法人化関連情報
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