==> 国立大学独立行政法人化に抗して
国立大学の独立行政法人化と教育の将来(私見)

国立大学の独立行政法人化と教育の将来(私見)




                      北海道大学大学院獣医学研究科教授
                                  藤田正一

 「私学は別としまして、官学と呼ばれるものの歴史を見ると、明治の初年において
日本の大学教育に二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校
でありました。この二つの学校が、日本の教育における国家主義と民主主義という二
大思想の源流を作ったものである。大ざっぱに言ってそういうふうに言えると思うの
です。」1952年5月26日、元東京大学総長 矢内原忠雄博士は「大学と社会」と題し
た東大五月祭の挨拶でこう述べています。博士はさらに、「・・・日本の教育、少な
くとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から発しましたが、札幌から発した所の、
人間を造るというリベラルな教育が主流となることが出来ず、東京大学に発したとこ
ろの国家主義、国体論、皇室中心主義、そう言うものが、日本の教育の支配的な指導
理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争をひき起こし、敗戦後、日本の教育を作
りなおすという段階に、今なっておるのであります。」と続けています。大学教育を
はじめとする教育の自由を国家権力が掌握すると、一歩間違えば国をとんでもない方
向に導いてしまう。こうした経験と反省から、戦後の教育には、クラーク博士がもた
らし、札幌農学校の内村鑑三や新渡戸稲造によって育てられた民主主義的教育の思想
が、新渡戸稲造の弟子たちがその制定に多数加わった教育基本法のなかに生かされて
います。また、日本国憲法の第23条にも学問の自由が唱われています。大学は良識
の府として、いかなる権力からの、いかなる圧力にも屈することなく、正しい見解を
自由に発信できる組織で無ければなりません。時にはその専門知識を持って、国権と
強く対立する御意見番的役割りをも国民に対して負っているといえます。国権に服従
するのみが国民のニーズに答えているということにはならないはずです。
 いま、国立大学ではその存立の基盤を根本から揺るがす独立行政法人化について、
論議が続いています。しかし、この独立行政法人化の構想は、大学における教育研究
を向上させるために考えだされたものではありません。これまで進められてきた大学
改革によっても、多くの国立大学で実施された大学の自己点検評価の過程でも、独立
行政法人化への移行の必要性はまったく提案されて来ませんでした。大学の独立行政
法人化構想は国の国家公務員定員削減の隠れみのとして考えだされたものであるとい
うことは既に周知の事実です。いま、国立大学は、「定員削減を呑むか、独立行政法
人化を呑むか」と言う選択を迫られています。25%もの定員削減を呑めば、ただでさ
え先進国に遅れをとっている大学の教育研究は大幅な後退を迫られてしまいます。そ
れでは独立行政法人化を呑めばよいかと言うと、そう簡単に片付けられない問題があ
ります。もともと独立行政法人と言うものは、主務大臣の管理の下に、主務大臣の政
策執行の機関として設置されるもので、大学をその対象として考え出されたものでは
ありません。これを大学に適用すると、日本国憲法で保証されている学問の自由、大
学の自治と真っ向から対立してしまう部分が出て来てしまいます。独立行政法人通則
法にみる法人の骨の部分は、

 1.主務大臣に法人の中期目標の設定権限を与える。
   (則ち、大学に適用した場合、主務大臣に大学支配、大学管理の法的根拠を与えて
    しまいます。)

 2.中期目標に基づいて法人が策定した中期計画については、主務大臣の認可を
   必要とする。(計画立案にさえ自由が無い。目標自主設定権のはく奪と加えて、
   大学支配を完全なものにします。)

 3.計画実行後、評価機構の評価を受け、この評価が主務大臣による次年度以降
   の予算の算出根拠の一部となる。
   (主務大臣の意向にそわない大学は予算で締め上げます。)

 4.主務大臣任命の監事複数名を置く。監事は法人の計画執行について意見を述べる
   ことができる。(官僚の天下りの席でしょうが、大学監視の権限があり、権限の
   行使の仕方によっては、非常に危険な役割りを演じる可能性があります。)

と言う所にあります。主務大臣が、彼のもとに設置された大学法人に対して、その目
標の設定権を掌握していること、大学の作成した行動計画についても認可の権限があ
ることが明確です。主務大臣による大学支配の法的根拠がこれにより規定されていま
す。しかも、監事が大学の監視にあたります。これが独立行政法人の本質です。前述
のように、もともと独立行政法人と言うものは、主務大臣の管理の下に、主務大臣の
政策執行の機関として設置されるものですから、上記のような支配構造は当たり前の
ことです。これを、「学問の自由」、「大学の自治」、「学の独立」という言葉に代
表されるように、国権からの独立の必要性が歴史的に求められている大学に対して適
用しようと言う所に無理があるのです。独立行政法人通則法を大学に適用することは
、学問の自由を保証する憲法23条に抵触する可能性があります。
 全国の国立大学の学長が組織する国立大学協議会では、大学の独立行政法人化に反
対声明を出しています。この協議会の第一常置委員会と言う所で、国立大学の指導的
立場にある先生方がこの独立行政法人化について検討しました。この中間報告では、
独立行政法人通則法について、個々の条文を大学に適用する際の適、不適を微に入り
細にわたり検討した結果を報告しています。しかし、このような細かい所の改善を要
求しても、根本で、上記のような基本骨格が変えられない限り、本質的な改善はあり
得ません。中間報告では、独立行政法人通則法の改善点を挙げることによって、独立
行政法人通則法を大学に適用することは認めてしまっている恰好になっています。こ
の報告を受けた形で、文部省は『国立大学の独立行政法人化の検討の方向』(1999年
9月20日)を発表しています。第一常置委員会の中間報告で指摘された問題点の改善
策が大幅に取り入れられた形です。文部省案もまた、独立行政法人通則法の本質を基
本的には認めた恰好になっています。 戦争と言う犠牲を払って、民主主義教育の重
要性、教育の国権からの中立性の必要性を学んだはずなのに、国は再び、教育に対す
る支配を強化しようとしているのでしょうか。そう意図しなくても、大学の独立行政
法人化を容認すれば、教育に対する国家支配の法的根拠が確立されてしまいます。
 一方で、文部省は、「今まで大学が、必ずしも自主的自律的に管理運営運営されて
来なかった」という、大学と一致する戦後教育の分析を持って、独立行政法人化が、
大学の自主性、自律性を増すものであると言う宣伝を盛んに行っています。ここでの
疑問は、自主的大学運営の最も大きな壁が文部省であったという事実で、これを文部
省は、反省を込めて表明しているのかと言うことです。大学に自主的運営を求めるの
ならば、中期目標の設定権、中期計画の企画立案権は当然大学に帰属させるべきもの
でありましょう。ところが、大学独立行政法人化の文部省案によれば、大学は、中期
目標を自主的に決定できず、主務大臣が決定し、大学に提示する。大学は、提示され
た中期目標に従って実施計画を作っても、認可を主務大臣から受けなければならない
。計画を実行した結果が主務大臣の意図するところと違えば、低い評価を得て、次年
度からの予算は減額されるというもので、前述の独立行政法人の本質部分は、全く、
通則法で規定されたものと変わっていません。このような枠の中での自主的運営とは
どのようなものでありましょうか。個別法等で、運用面を改善したところで、本質が
変わらない限り、ある意図を持った為政者が、権力を行使して教育を好ましく無い方
向に導く可能性を阻止できる保証はどこにもありません。一方で、通則法ではこのよ
うな行為に対しても法的根拠を与えてしまう結果になっています。このように大学支
配の法的根拠を主務大臣に与えることの危険性を十分理解した上で、どちらを呑むか
を大学は判断しなければなりません。定員削減を呑んで、大学を後退させるか、法人
化を呑んで、学問の自由・大学の自治を犠牲にするか。
 さらにもう一つの問題があります。大学では、独立行政法人化を飲めば、定員削減
を回避できると言う幻想があります。果たしてそうでありましょうか。たとえ、主務
大臣が定員削減を出来なくても、予算の配分額によっては、大学が自ら定員削減を実
施せざるを得ない状況になる可能性は無いでしょうか。現在の文部省案では、独立行
政法人化後も職員は国家公務員のままですが、法人に所属する国家公務員の免職はあ
り得ないのでしょうか。国家公務員法78条4号には、任免権者は「管制もしくは定
員の改廃又は予算の減少により、廃職又は過員を生じた場合」職員を分限免職できる
という旨が記載されているということです。最悪の場合、法人化を呑んで、自由を奪
われ、更に、定員削減を大学が自ら断行せざるを得ない事態になる可能性が無いとは
言えません。
 ここで、第三の選択肢を考えてみたいと思います。戦後の国立大学は、安価で高度
な教育を広く国民に提供して来ました。大学教育が戦後の日本の復興と、文化と経済
の発展にはたして来た役割りには多大なものがあります。学歴社会と悪し様に言われ
ますが、これも裏返してみると、高学歴の人材が、日本の社会の指導的立場に立ち、
経済、文化の発展に大きく貢献して来たからこそ、学歴の重要性が認識されるに至っ
たのでしょう。日本は世界で最も教育を重視する国民性を持っていると言っても言い
過ぎではありません。一方で、先進国の中で、日本国政府ほど、教育、特に大学教育
を粗末にしている国は無いことは、国家予算に対する文教予算の割り合いの比較から
見ても明らかですし、今回の、国家公務員定員削減の隠れみのとするため大学を犠牲
にして独立行政法人化を検討していることからも明らかです。日本国民が、国立大学
の教員定員の大幅削減で大学における教育研究が後退することを願っているでしょう
か。あるいは、独立行政法人化により、学問の自由が束縛され、経済効率の良い研究
のみがサポートされ、基礎研究や文系の科目がおろそかにされ、やがては大学の持っ
ていた文化が廃れてしまうことを願っているでしょうか。法人化により、授業料格差
が出来て、教育の機会均等がますます損なわれることを望んでいるでしょうか。教育
の国家支配の強化により、国を再び間違った方向に進めてしまう可能性を強化する法
律を容認するでしょうか。国の将来に大きく影響する大学教育の将来、日本の教育の
将来は、国を挙げて、国民レベルで考えて行くことが必要であると思います。
 文部省に大学運営について大学の自主性自律性が欠除していたと言う反省があるな
ら、国立大学のままで、自主的運営ができるように制度を改革すればよい。定員削減
は、こと教育に関する職員に限っては実施しないことにすべきでありましょう。国民
は、国費の無駄使いの改善は求めていますが、大学教育の衰退は求めていません。む
しろ、大学教育の強化充実と科学技術の振興を望んでいます。国家公務員の定員削減
には同意しても、大学の教職員の削減による教育の弱体化は求めていないはずです。
これに答えて、大学の教職員を定員削減の対象から除外する特例を設けるなどの努力
はなされてしかるべきでしょう。
 いま、国立大学が迫られている、独立行政法人化について、21世紀に向かう日本と
言う国のこれからの教育を如何にするか、国民的視点に立って、もう一度考え直す必
要があると思います。少なくとも、国が教育を支配し、国民を間違った方向へ導いて
しまった過去の過ちをくり返すことだけは避けなければなりません。 
  
------------------------
〒060 札幌市北区北18条西9丁目 (fujita@vetmed.hokudai.ac.jp)
北海道大学大学院獣医学研究科環境獣医科学講座
毒性学教室 教授 藤田正一
TEL: 011-706-6948
FAX: 011-717-7569