渡辺 治(一橋大学教授)
3.新自由主義改革としての大学改革 1. 90年代教育改革の理念としての「教育のスリム化」 2.大学改革の浮上 大学への二つの期待−−先端的科学技術力強化と工リート育成 大学教官の拡充と「個性化」 3.大学響答申から独法化へ 大字・教育改革の難問 個性化の実現のための校長・学長への権限集中 国立大学の独法化と文部省の思惑 大学個性化の梃子としてのロースクール構想 4大学改革の特徴 大学の差別化としての改革 改革の担い手としての官僚機構・自民党
新自由主義改革の一環として教育改革構想が本格的に浮上したのは、90年代の中葉、先の時期区分で言えば、第三段階に属する。実は教育改革ほ、中曽根内閣の「戦後政治の総決算」において、すでに提起されていた。90年代教育改革ほ、この80年代改革の延長上にあり、その大規模化という性格を持っている。しかし、90年代改革は、80年代のそれとは異なる二つの特徴を備えており、それが資本のグローバル化にともなう改革の90年代的性格を反映していた。
その一つは、90年代改革が80年代改革の中心理念であった「教育の自由化」に加えて、「教育のスリム化」を打ち出したという点である。
そもそも、臨教審の教育改革も、90年代のそれと同じく、肥大化した財政の削減という視点から福祉国家的支出の典型であり財政肥大化の要困と見られていた教育費削減を狙って登場したものであった。改革は、画一的な、大衆的教育体制を、競争によって選別・淘汰し、より効率的な教育を実施しようとしたのである。そのためには、文部省の教育行政の下で進められている画一的な学校制度の「自由化」が不可欠となる。こうして、臨教審は、教育の「画一主義」の打破の決め手として、「教育の自由化」をスローガンとして掲げたのである。
しかし結論的に言うと、こうした臨教審改革は一負地にまみれた。直接の原困は、文部省の低抗であるが、より根本的には、80年代には、日本企業の競争力はいまだ強く、財政赤字も80年代末には解消した結果、教育改革に対する財界の圧力が減退したことが、文部省の抵抗が通り改革の停止をもたらした経済的要因と考えられる。
しかし90年代に入ると、日本経済の深刻な不況を克服するために、企業の競争力の足かせとなっている負担の軽減は、至上命題となって政治に突きつけられ、教育改革が改めて浮上した。ここでは、より直載に教育に対する支出を減らすための決め手として、教育全体の規模を縮小することが打ち出された。「教育のスリム化」である。これは、学校の選別・多様化により、選択的に財政投資を行って効率化を図るという路線がらさらに踏み込んで、公教育全体の規模を縮小することをめざすものであり、80年代には、個々の発言を別とすれば、未だなかった目標であった。それだけ、教育改革における新自由主義的性格は鮮明化したと言えよう。この構想が鮮明に打ち出されたのは、95年に経済同友会が出した「学校から『合校』へ」であり、この視点は、早速中教審の96年答申に盛り込まれ、学習指導要領の三割削減として具体化されてゆくのである。
もっとも教育改革は第四段階に入って、学級崩壊や学力低下問題など、日本の企業の海外展開と新自由主義改革の進行により生じだ企業社会統合の弛緩に伴う新たな教育問題の浮上もあり、教育改革国民会議の設置などにより、新たに、教育によるモラルの植え付け論などが登場しているが、その基本的方向は貫徹していると思われるので、ここではこれ以上ふれない。
90年代教育改革のもう一つの特徴は、教育改革の不可分の一環として、大学改革が打ち出されたことである。80年代臨教審においても大学改革の必要性は言われており、その結果、89年に大学審議会が設置を見た。しかし、臨教審においては、いまだ大学改革の固有の重要性は認識されていなかったと思われる。
ひとつは、資本のグローバルな展開の下で、日本企業が新たな競争力を獲得するためには、先端的科学技術の開発に力を入れる必要が出てきたことである。
もともと、日本の企業は、高度成長期には、基礎的科学技術はアメリカから輸入し、その産業化と安くて良質な製品化に努力してきた。したがって、大学では理工系と言っても、もっぱら工学部に比重が置かれ、産学協同の対象も工学部であった。それに対して、同じ理工系とは言っても、基礎的研究部門である理学部は、相対的に貧困なままに放置されたのである。また、資本にとっては、優秀な水準的労働力を大量に供給してくれる初等・中等教育の方が、ずっと関心があり、大学は、個々にはともかく総体としては資本の強い関心の外に置かれてきたといえる。
しかし、日本企業がアメリカに対するキャッチアップを終え、また大競争時代を迎えて多国籍企業間の競争が激化するようになると、こうした日本の安上がりの大学体制は、資本にとって極めて問題の多いものとなった。今や先端的科学技術力の差が競争の勝敗の分かれ目となったからである。こうして、90年代に入ると財界はいっせいに大学埋工系の充実、とりわけ基礎的科学技術部門の強化拡充を要請するに至ったのである。
また、二つ目の要請は、新自由主義改革が進行するにつれ、新たな新自由主義社会の担い手となる法律家、コンサルタント、ソフトウエアの技術者などエリートを養成する機関としての大学に対する期待が改めて浮上したことである。ビジネススクールやロースクール化の要請や大学における基礎的教育やリペラルアーツの重視の要求などは、こうした新たな要請の一環として登場したのである。
こうした先端的科学技術とエリート養成という大学への二つの期待の表明は、94年関西経済同友会の「地球時代の新世紀を拓く人づくりをめざして」、経済同友会「大衆化時代の新しい大学像を目指して」、95年の日経連教育特別委員会の「新時代に挑戦する大学教育と企業の対応」などで相次いで表明された。そこでは、教育全体のスリム化方向とほ対照的に、大学の拡充がうたわれた。「スリム化の中の拡充」である。しかし、勿論大学の一律の拡充はあり得ない。当然、拡充も、大学同士の競争を通じた大学の多様化と選別によって、必要なところに、効率的に行われなければならない。そこで、支配層の期待する役割に応じた大学の「個性化」つまり格差化が求められることとなったのである。
こうした財界の大学に対する要請は、98年10月の大学審答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」に受け入れられ、具体化された。とくに注目されるのは、そこで大学を大きくいくつかの類型に分けようという構想が示された点である。一つは、「最先端の研究を志向する大学」であり、これは大学院重点の大学である、これが財界の第一の期待を担う大学群であることは明らかである。ここには思い切った財政投下が見込まれる。第ニグルーブは、「専門的な織業能力の育成に力点を置く大学」であり、このグループのトップレベルには、ロースクール、あるいはビジネススクール、などが入り、底辺部では様々な職業教育の供給校が位置づけられるであろう。第三は、「総合的な教養教育」を提供する大学であり、第四は、「地域社会への生涯学習の捉供に力をそそぐ大学」であるとされる。
同時に大学審は、こうした大学の個性化・差別化をどうやって実現するかという方策をも打ち出した。この点は、財界の改革構想が詰めていなかった点である。
もともと、教育改革の最大の難問は、一体いかにして改革を遂行するかという点にあった。初中等教育においても、強い教職員組合運動や教研運動を背景にした学校に、どうやって、多様化や個性化を承認させるかということが一大問題であったが、とりわけ大学においてはその困難は倍加していた。いうまでもなく大学の自治の壁の下で、改革にどう大学を誘導するかという問題である。今まで何度か文部省が試みた大学改革が、ことごとく挫析に終わったことを見れば、この障害物を突破する手だてなくして、いくら大学改革構想を練っても、絵に描いた餅であるのは明らかであった。
勿論、そうはいっても、今まででも、文部省は、大学に対して何も手が打てないわけではなかった。文部省は大学に強い統制権を持ってはいたのである。その決め手は、大学予算であった。文部省は、国立大学に対しては、この予算統制を使って、大学に対する管埋を遂行してきたし、また私立大学に対しても、国立ほどではないが、私学助成が大きな統制の武器であった。
しかし、これにはある限界があった。より統制権の強く及ぷ国立大学の場合で考えてみよう。もし大学が新たに大学施設の充実や学部の新・増設、大学院の充実などを求める場合には、文部省は概算要求の容認と引き換えに、その大学に対して自らの要求をのませることができたし、また実際に、こうした形で文部省は各大学に自らの意思を貫徹してきた。しかし、こうした文部省の統制はあくまで、第一歩は大学側の自主的判断によるものであり、そのかぎりで「受勤性」を持つものであった。大学をいっせいに改革に強制し動かすことは、できにくかったのである。
90年代教育改革がこの種の難問を克服する手だてとして考えたのが、教育行政に対する様々な規制を取り払い、学校の校長や大学の学長に権限を集権化することによって、校長、学長主導で、学校、大学の個性化、差別化を行わせようという構想であった。
教育の自由化と校長権限の拡大とは、一見すると矛盾するかに見えるが、実はこの手法こそ、改革実行の決め手として文部省が編み出した手法だったのである。こうして、98年9月の中教審答申「今後の地方教育行政のあり方について」は、学校の校長の、教員人事や予算についての裁量的権限の拡大、職員会議の諮問機関化を打ち出した。
そして、大学において、こうした手法を打ち出したのが、先述の大学審答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」だったわけである。ここでも、大学の個性化を推進するために、一方で大学の学長権限の拡大を打ち出し、他方、大学の意思決定機問であった教授会、評議会の権限の縮小を謳ったのである。
しかし、この方法だけでは、大学の学長が改革に消極的な場合には、動かない。そこで、文部省がもう一つの手法として加えたのが、大学の積算校費のうち学生数に対応する「画一的」部分を大幅に削減して、文部省の裁量的判断部分を拡大したうえで、この配分の基準として大学の外部評価を導入しようという手法であった。こうすれば、改革に消極的な大学は、評価において低くなり大学予算が削られる反面、改革に積極的な大学には手厚い予算がつく。改革をやるかやらぬかは学長次第である。こうした手法で、大学の多様化、格差化を促進しようとしたわけである。
ところが、ここで文部省の予期しない事態が起こり、改革の加速化の挺子となった。ひとつは、同じ新自由主義改革の一環としての「行政改革」方針として、各省庁の一律一割削減方針が、さらに二五%削減が打ち出され、その決め手として、国家行政組織の独立行政法人化が提起されたことである。そして、文部省の場合には、国立大学の独立行政法人化なくして、この目標を達成するのは難しいとされた。文部省は当初これに難色を示した。文部省の直轄下にある国立大学を、いかに統制権が確保されるとはいえ、独立行政法人に移管することがためらわれたからてあろうと推測される。
しかし99年になって文部省は独法化方針に乗った。これは、独法化により文部省が当初懸念したような大学の自立化がなされないどころか、独立行政法人の通則法に従えば勿論、その特例措置を講じたとしても、大学に対しては、文部省は以前より強い管理権がえられるし、この管理権は、先に大学審答申が描いていた改革を促進する武器とはなっても、それに障害となるようなことは認められないとわかったからである。
もうひとつが、新自由主義改革の一環として急速に具体化していた「司法改革」の文脈から出てきた、ロースクール構想の浮上であった。すでに大学審答申において、ロースクールの検討に言及していた文部省は、こちらには当初から積極的に介入に動いた。文部省が積極的に乗り出した背景には、この改革の主導権を握ることで省の権限を拡大しようという官僚機構としての拡張意欲があることは勿論だが、それだけでなく、これが、大学の個性化の一環として、大学法学部の競争的再編の挺子として極めて有効な手段となりうるという文部省の判断があったことも無視できない。すでに大学は、私立大学を含めてロースクール化を目指して走り出しており、独法化と相まって、大学改革に加速をつける展望が開けているのである。
以上のような経緯によって、大学改革は大学審の路線をその内容としつつも、国立大学の独法化、さらにロースクール化という形で改革が急進行している状況である。こうした大学改革について、指摘しておかねばならない点をいくつかあげておきたい。
ロースクール化も、事情は同様である。ロースクールになれるかどうか、その定員をいくつもらうかをめぐって、大学法学部は、国立・私立を含めて、実務経験者の整備をはじめ、改革を競うことを強いられる。また法学部の教育も、それに応じて実務重視に再編が求められよう。この場合も、その改革の判断者は、財界や文部省の息のかかった外部評価組織となるであろう。そして首尾よくロースクールの学生定員の割当を受けたとして、その大学がその地位を椎持するには、大胆な「改革」の継続が不可欠となろう。いずれにせよ、大学は、支配層の求める大学像に沿う形でふだんに改革を継続することによって、生き残りをはからざるをえなくなるのである。
第二に指摘しておきたい点は、こうした大学改革の構想は、以上垣間見たように、財界の新自由主義の改革構想の一環として現れているが、こうした改革を実行していくうえで、自民党や官僚の果たす役割は、極めて大きいという点である。自民党や官僚機構を変えるために、財界は政治改革と連立政権の長い回り道を余儀なくされたが、しかし日本の新自由主義改革は、この二つの担い手がなければできないであろう。
まず自民党から検討しよう。国立大学の独法化については、自民党文教族の果たした役割は小さくない。99年9月の文部省は、独法化を承認する方向を明らかにした「検討の方向」を打ち出したが、この方針が、総務庁を始めとする行政改革派に通るか否かは不明であった。文部省は、これで大学や省庁の根回しに入ったが、そこで自民党が介入した。自民党の文教制度調査会の特別委員会、いわゆる麻生委員会が2000年3月に発足し、精力的に関係者の事情聴取を行い報告をまとめ、さらにそれが自民党政調会でもまれて修正を受けた後承認された。こうした手続を経ることによって、文部省の独法化方針は、政治的力を持つに至ったのである。ここでも明らかなように、自民党は、改革について財界の意を受け、それを実行するための官僚とのパイプ役となり、これを国会で通すための役割をも担っており一改革の主体の重要な一翼を担っている。おまけに、文部省のように、比較的に官僚機構内では政治力の貧困な部門の要求を実現するうえでは、自民党の果たす役割は巨大である。大学改革も司法改革も、自民党が間に入ることによって、はじめて改革の実視性を持つことになったからてある。
しかし、文部省など官僚機構が改革に果たしている役割はさらに大きい。官僚機構は、今や決して新自由主義改革の妨書者ではなく、その不可欠の担い手に転換しているのである。一つは、文部省が、自らの大学に対する統制権を確保しつつ財界の改革要求を実現できるよう、独法化やロースクール化の具体的制度設計を行っていることである。しかし、文部省の果たしている役割ほそれだけではない。国立99大学をとりまとめて、独法化に持っていったり、国立・私立合わせて、ロースクール化の分配につき采配を振るうのは、財界は勿論、自民党もできない文部官僚の独壇場である。新自由主義改革の担い手として生まれ変わった官僚機構の役割を過小評価することはできないのである。