==> 国立大学独立行政法人化の諸問題 [an error occurred while processing this directive] visits since 2001.11.13
法律時報72−12号 p4-9 序文

「現代日本社会と大学・司法改革の展望−−問題の提起」

戒能通厚(早稲田大学教授)

2000.11.5

はじめに−−法科大学院構想の背景

司法改革審議会(以下、「改革」と略称する)が間もなく中間報告を出し、そこで日本型ロー・スクール、すなわち「法科大学院」設置にゴーサインを出すことが確実視されている。「改革審」の本来の任務である司法改革に関しても、改革の基本方向が示されるであろう。しかしその方向は、もっとも重要な改革の方向についてのイッシューとなっている「法曹一元」を事実上断念し、裁判官の給源の多様化と選任過程の「透明化」に言及するにとどまる可能性が高い。

「改革審」は、「国民が利用しやすい司法」の実現のためには「人的基盤の充実・強化」が必要であるとして、入り口で弁護士改革を論じ、「国民の社会生活上の医師」である弁護士の大幅増員が必要という方向を合意した上で改革論議を行うというシナリオを終始崩さなかった。改革論議に弁護士界を引き込むために、市民的改革の方向を示唆し、「法曹一元」にも肯定的対応をするかの外形を維持しながら、「法曹一元」の前提となる弁護士人口の飛躍的増加とその自己改革が必要であるとして弁護士会を巻き込むことに成功している。こうして弁護士会が「法曹一元論」を強調するほど、弁護士人口の飛躍的増加という政・財界やアメリカの対日要求はますます力を得る関係になるばかりか、急増するはずの法曹の多様化は否めないことになる。こうして「法曹一元」モデルは、非常に多義的な裁判官給源論にならざるをえなくなるが、弁護士会のこれまでの主張からすれば、一気に「法曹一元」論を修正することは難しい。「中間報告」は、今後の弁護士会の合意点を求めた運動を惹起させるとともに、大学にも波紋を広げることは確実である。

考えてみればこれは、アンフェアな審議のしかたである。しかしもっとアンフェアと思われるのは、こうして弁護士人ロを増やすことになれば必ずその養成方法の問題が生じるはずであるのに、このイッシューを独立に扱う組織が存在していなかったことである。「改革審」が、法曹人口増を決めた後、それへの対応として「法科大学院」を有力な方策として支持しながらその内容の提案を、文部省の「法科大学院構想に関する検討会議」にほぼ白紙で委任したためこの「検討会議」は、文部省の一方的意向で設置されていたものにすぎないのに、一気に大学法学部を代表する資格を付与されたのと同じ結果となった。「改革審」によるこの委任もまた、大学の決定によるものではない。しかし検討会議は文字通り精力的に検討を行い、あっという間に「議論の整理」を「改革審」に提出したが、そこにはこれまでの法学教育では考えられないような教育内容の自由に対する干渉項目(第三者評価等)や法学系大学院の在り方全体に関わる変更事項(教育内容・教員構成等)が卒然と列記されている。

要するに「改革審」の最大の功績は、通常であれば長時間を要する弁護士会、大学の意思決定過程をショートカットしたことにある。「改革審」の審議過程の驚くほど詳細な公開が、この意思決定過程の「省略」をもたらすのに見事な作用を果たした。弁護士会も大学も、実祭には「改革審」の審議の結論を「先取り」して内部論議を促進した趣があり、こうして結果的に難しい意思決定過程が迅速に「省略」されていったのである。これから始まろうとする「ドラマ」が、相当に過激なものとなることほ想像に難くない。ことがらの重要性は法学部以外のところではほとんど認識されていないようlであるが、しかし、法学部に生じた変化は当然にも全学に波及し、結果的に大学再編に進む第一歩となる。しかもことがらは、国民の自由や権利、および財産に直接的な影響の及ぶ「司法」改革から発している。

このように高度に公共的な問題について、太学がとるべき態度は、そこで仮定された改革の方向としての「公共性」の再編について科学的な検証を加えるとともに、大学自身の自律的判断が可能となるように論議の場をリセットすることではないかと思う。幸いにも弁護士会の一部には大学との対話を重視し、雲行き怪しくなりつつある「法曹一元」の真の実現を求めて、大学における法学教育の在り方のレペルから始めて法曹養成過程の具体的設計について、大学との対話を改めて行おうとする動きがある。犬学の側もこれまでのところ日弁連の運動に依存するきらいがあった司法改革のあるべき方向の提示という観点にたって、大学改革と司法改革の原点に立ち戻った論議をしかけるべきであろう。遅きに失していることは否定できないが、このまま「改革審」主導で突っ走られたら、大学も司法もとんでもない方向に導がれかねない。いま進行中のシナリオに唯々諾々として従うだけでは、大学は社会に対する貴任を果たしたことにはならない、と私は考える。

ともあれ、ロー・スクールを設置できる大学とそうでない大学が確実に生まれる。これほど明瞭な法学部の「差別化」の指標はないだろう。法学部であって法曹の養成に制度的に関われなくなるという法学部が、法学部という名において果たして存続しうるだろうか。ロー・スクール問題とは、法学部の現在の在り方についての非常に強力な肯定論を伴うものである。もとより法学部自体を廃止する提案が出るわけではない。しかし法曹養成に法学部教育の中心をシフトする方向を選択した大学は、法学部のある大学の中核的部分である。それらの大学は法学部教員の重要な供給源でもある。法学部の在り方についてより強力な対応案が出てこない限り、わが国の法学部の在り方がそれほど時間を要さずに根本的に変わっていくことは十分予想されよう。

私は、今回の改革の全体に「総合設計」の視点が全くないことを繰り返し批判してきた。法科大学院構想はまさにその典型例である。法曹養成を重点とする方向にシフトすることは、法学部の在り方を根本的に変えなければできることではない。現在の法学部教育の体系とそれなりに対応していた教員組織もそのままではありえないし、何よりも法学研究者の後継者づくりの在り方は大きく変更を余儀なくされるだろう。これを回避するためには、大学の側でこれまでの法学部の担ってきた役割や法学系大学院が果たしてきた役割をいかに評価し継承すべきものをいかに継承していくかの検討を早急に開始する以外にない。

法学部教育に問題があり、改革が必要であることは認めなければならず、そのために大学の法学教員はここ数十年にわたる苦闘を続けているのであるが、大学のみの努力ではどうにもならない問題が直接には高校までの学校教育の段階にあることも明らかになっている。それにもかかわらず、「法曹の法曹による法曹のための改革」によって、大学がその自律性を剥奪され、法学部教育がこれまで果たしてきた役割について基本的なレビュ−がなされないまま大学法学部のなし崩し的解体が行われていくのは、どう考えても大学改革の正常な姿とは思えない。

いずれにしてもおそらくはここ数年で、学界状況もがらりと変わるだろう。本誌のような法律専門誌の在り方も大きく影響を受けることは必定である。そして何よりも、隣接科学、とくに政治学・経済学と法律学の間のこれまでの研究・教育体制に抜本的な再編が加えられざるをえなくなることはほぼ間違いない。考えれば考えるほど、私には事態は深刻に思えるが、大学の側に格別の反対の動きがないのは、大学進学人口の激減という事実を押しつけられての諦観と、報われることがなかった長年の「改革」の疲れと徒労感によるのであろうか。大学の危機は、想像以上に深刻である。