(上)個性発揮できる仕組み必要
(中)米国:ヒエラルキーなき競争
(下)積極的な産学連携 公務員型では限界も
高等教育は国家の盛衰にかかわる問題であり、アメリカでもクリントン大統領がたびたびその重要性を主張している。大学は、国がその財政を担うべきものであり、そのために日本では国立大学という形態になっているが、そこがアメリカとは大きく異なる部分である。アメリカの主要大学、スタンフォードやMIT、ハーバードなどは、私立大学ではあるが国から多くの資金を受けでいる。例えば、スタンフォードには年間三百億円ほどの研究費が、リサーチ・グラント(研究者個人が申請し、審査を受け交付される研究費)として国から入っている。その上、その65%、約190億円程度が、研究費とは別に大学運営費(オーバーへッド)としで大学に交付される。
そのため、各大学は優秀な研究者を集めようと躍起になっており、それが大学間の競争的環境を作っている。また、古くからある大学が多いため、自らの資産を持っている。例えば、ハーバード大学には1兆5千億円の資産があり、毎年数百億円の資金が国から出ている。さらに資産を投資して運用利益を上げ、それを大学連営に活用している。したがって、自らの資産を減らさずに大学運営を行っでいる。
現在議論されている独立行政法人では、①大学長の任命権は文部大臣が持ち、②中期目標を文部大臣が決め、⑧中期目標の評価は国の機関が行うことになっている。一方、アメリカでは、各大学の理事会が学長任命権を持ち、また大学全体を評価するのではなく、それぞれの教授等のプロジェクトがリサーチ・グラントというかたちで評価されており、それがオーバーへッドの額に反映されるため、結果として大学の評価につながっている。
いずれにしろ、大学改革を考える上では、国は資金を出すが口は出さない仕組みが必要になる。そのためには、学長や副学長、学部長などに大きな権力を与え、それぞれの大学がより個性を発揮できるようにしなけれぱならない。また、競争的研究費をより多くする必要がある。
アメリカの大学は、トップダウンで連営されでいる。MITの場合、企業経営者、卒業生有力者、学識経験者、20〜25人で構成されるMIT理事会で学長が任命される。日本では選挙に畏を決める大学がほとんどであり、パイの大きな学部の教授が学長になる可能性が高い。また、日本の大学の自治は教授会の自治である。日本の学長の権限は小さく、さらに資金的なリソースもあまりない。そのため、意欲ある人が学長になっても、なかなか個性を発揮しづらい環境にある。大学を個性があり競争ができるものにするためには、トップダウンの方式を採用せざるを得ない。
(自民党創造立国調査会講演から)
科学技術の基盤においてアメリカの大学は圧倒的に強い。自然科学系ノーベル賞の50%以上がアメリカの大学から出ている。これは、大学がどういう形で研究をサポートしているかに密接にかかわってくる。その大きな特徴は、教授−助教授−助手というヒエラルキーがないことである。
若手研究者は、まずアシスタントプロフェッサーという立場で雇われる。大体三十歳くらい。ただし、アシスタントといっでも単なる名称で、教授からは完全に独立している。アシスタント・プロフエッサーは最初、大学から研究環境を整えるための研究費や場所などのスタートアップ・パッケージを与えられるが、翌年以降は自分で研究費を取ってこなくではならない。
学部長、学科長レベルの人が条件を示しでオファーし、双方の話し合いで、給与、場所、秘書の有無などが決められる。ただし、終身雇用ではなく、六年間の契約で雇われる。六年目に学内・学外の専門家による審査があり、それをパスしだ者のみが終身雇用のプロフェッサーになれる。
三十代の多くがこういっだ契約制で研究をしでいるが、誰にも隷属しでいない。自分のアイデアで、自分で研究費を稼いできで、最初はパッケージで幾らかもらうが、その後は競争的研究費を獲得して研究をする。つまり、キチンとした良い研究計画を立てないと研究ができなくなる。これはアシスタント・プロフェッサーでも終身雇用のプフェッサーでも同じ。若かろうが、ノーベル賞受賞者であろうが、申請書に書いである研究の内容によって採否が決定される。
三十代の時に、こういった状態で研究をすることがアメリカの科学技術の基盤を担っている活力である。自然科学系のノーベル賞受賞者が受賞理由となっだ研究業債をあげたのは、生理学・医学賞では72%、自然科学系全体でも57%が30代以下の時である。この頃が、一番発想力があり、柔軟で活力に満ちでいる、研究に最も適しだ時期だということである。
独創的な研究をするためには発想が豊かでなければならない。そのためには、あまり常識に捕らわれていてはすごい発想は出でこない。むしろあまり知らない方が良い。逆に、知りすぎても、どこから手を付けていいのかわからない。
つまり、ある程度の知識を持っているが、頭が非常に柔軟で、まだ若いため、探求的な研究を行う。非常に活力があるため、一生懸命働く。しかも、自主的・自律的に動くことができる。そのため、独創的な研究ができるのは三十代から四十代の半ばまでである。その時期に思い切り研究ができることが重要である。
ところが、日本の大学のこれまでの制度は、中には内規によっで自由に研究をさせる教授もいるが、大部分の助教授達は教授のいうことを気にしながら、お手伝いのようなかたちで研究をしている。論文を発表するときには、自分の名前も入れるが、教授の名前も入れなくてはいけない。アメリカのアシスタント・プロフェッサーの場合は、一緒に研究をしない限り教授の名前が載ることはない。こういった日本のシステムを変えなければいけない。
東京大学医科学研究所では、助教授を任期制にするという取り組みが行われている。現行の制度でも可能ではあるが、これを大学に頼らずに制度としで実施しなければ、日本の科学技術立国のための重要な人材が無駄になってしまう。(自民党創造立国調査会講演から)
現在は、SNPsを効率よく解析するための技術を使っで新会社を設立する予定。これに対して大学は、認めるのみならず、推奨している。これは、国立大学ではなく私立大学であるからこそ可能となっている。
これから日本が大学を改革しようとするとき、それができるようにしなければならない。これは、産学連携の強力な方策の一つであるといえる。聞くところによると、国立大学教官の大半は、現在進められようとしている改革において、公務員型を希望しているという。
一方で、日本にいる私の知り合いの教授達は「自分は国家公務員である必要はない。むしろアメリカのように自由にハイテク産業を作ったり、コンサルタントになったりできればいい」といっている。
国家公務員型の独立行政法人化した場合、こういったことをやるのは憲法達反になると聞く。こういう部分を解決していくことが産学共同の強力な推進方策になるだろう。
A. アメリカの大学の場合、給与は年齢ではなくトップダウンで決まる。まず学部長が、それぞれの教授がこの一年間でどのような業績をあげたかを評価し、また同時に別の会議で業績についで推薦を受ける。それらを受けて、当該分野を担当しでいる副学長が最終的に決定する。まだ、学長の選任もトップダウン(内容は三月二十四日号で掲載)である。
日本のように選挙で学長を決めていては、個人の能力や見識が発揮できない。誤解を恐れずに言えば、学問というのは民主主義ではできないというのが私の考え。能力に応じて、できるか、できないかが決まるもの。五百人の先生方がいて、みんなが同じ能力を持つ者ではないのにもかかわらず一人一票でものを決めていくのは、悪しき民主主義である。会社の社長は社員が投票して決めるわけではない。大学もそういうかたちで移行していくべきである。そうすることによって、それぞれの大学の個性が出てくる。
Q.アメリカではどの様にしてベンチャー企業が生まれていくのか
A.バイオテクノロジー分野での話。例えば、ある教授が企業化できるアイデアを持っていた場合、まずは資金集めをする。うまくいけぱ利益を得るけれども、うまくいかなくとも文句を言わないという、ベンチャー投資家にプレゼンテーションをし、2〜5億円程度の資金を獲得する。その資金を元手にビジネスの専門家等を雇って、会社を設立し研究を開始する。
ただし、大学でやっている研究とは全く切り離してやらなくてはいけない。成功すると株を公開し、さらに資金を集める。その後は臨床実験などが必要になるが、ものすごくお金がかかるため、私の場合は大きな製薬会社にライセンスを売ってしまう。色々なケースがあるが、例えばある程度まで成功すると大企業から才ファーがあるため、株を経営権を取られない程度まで売る場合もあれぱ、ベンチャー企業を丸ごと売ってしまう場合もある。こういうことをやることによって、われわれ墓礎研究をやっている者も、産業化するためには、どういう手当が必要で、どういう人達と話し合って、どういうことをやっていかなければならないのかを考えるようになる。その中から学と産の本当のパートナーシップが生まれる。
Q.ピアレビューによってグラントを与えるとのことだが、その中で本当に独創的なものは評価されないのではないか
A.グラントに申請された研究計画書の中に、ノーベル賞を獲得した研究内容が記載されていることはほとんどない。ノーベル賞につながるような非常に独創的な研究は、研究を進めていく過程でのアクシデントで生まれることが多い。研究計画書通りに研究が進んだとしたら、たいした発見ではない。
全く思いもしなかったような結果が出て、そこからノーベル賞を獲得するような発見が生まれる。だからといって、誰にでも同じようにアクシデントが起こるかというと、そうではない。やはり新しい発想を持って、良いセンを狙っているからこそ、新たな発見にぶつかる。
Q. 評価委員会を評価するシステムはあるのか
A. 評価委員会を選ぶ人達が評価しており、次の評価委員の選定に活かすことになる。また、評価委員会自体でも、同じ研究室の人や徒弟関係のある人の申請書を評価する場合、その人は部屋の外に出て、評価にタッチすることはできない。
(自民党創造立国調査会講演から)