==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
独立行政法人化は日本の大学をどう変えるか 独立行政法人問題学習会00/1/27

独立行政法人化は日本の大学をどう変えるか −−私立大学の立場から−− 蔵原清人(工学院大学)



はじめに



  独立行政法人化に関する議論はいくらかの広がりは出はじめているものの、

まだ国立大学の問題を中心に論議されているのではないかと思います。国立大

学の独立行政法人化ということですから、国立大学の関係者にとって直接の深

刻な問題であることは否定しませんが、今回の問題は国公私のすべての大学に

対する攻撃であること、従って全大学人が力を合わせて国民に訴えなければな

らないと考えます。国立大学だけのことというとらえ方では私立大学の高い授

業料を払っている国民にとっては、関わりのない話になってしまうのではない

でしょうか。また私立大学の側も、対岸の火事視することなく、大学全体の問

題として考えるべきでしょう。その意味では今日のような学習会が共同で行わ

れることは大きな意味があると考えます。



  国立大学の独立行政法人化は、ユネスコの高等教育世界宣言と高等教育教育

職員の地位に関する勧告に照らして大きな問題があります。ここでは今後の議

論のために、個人的意見ではありますが率直に問題提起をさせていただきたい

と思います。



1、国立大学の独立行政法人化について

 (1)出発点の論理について 



  独立行政法人化の内容についてはすでにいろいろいわれていますが、最大の

問題は行革の論理からでたもので大学の論理、学術・教育の論理からでたもの

ではないということでしょう。理学部長会議の声明(99/11/10付)や国大協の総

会を受けての蓮見会長の談話もこの点を強く指摘しています。学術、文化、国

民の教養の視点が全くといっていいほどないのが文部省と日本政府の政策で、

近年特にひどくなっています。有馬氏も東大総長の時は少しはいっていたのが、

文部大臣になってからはすっかり無責任になってしまいました。

  もう一つ、出発点の問題としては、運営諮問会議や評議会を設けるなど管理

体制を強化したことと独立行政法人化とはどういう関係にあるのでしょうか。

異なる方策なのか、延長線上にあることなのか。様々な思惑から次々と無計画

に「改革」が提起されています。どちらと理解するとしても、文部省のコント

ロールを強め、両々相まって結果として管理体制が強化されることは間違いな

いと思います。そして財界の、大学を国際的な経済戦争の即戦力にするという

方向が進められ、大学の活力を使い果たすことになるでしょう。すでに大学教

職員はそれに追い立てられ、消耗させられています。



 (2)大学の自由化が進むか 



 文部省は独立行政法人化によって、国立大学の活性化、自由度を増すといっ

ています。国立大学は授業料や会計の決定権がないが、独立行政法人となれば

これができるといったことをいっているようです。既存の制約にとらわれない

という意味では自由(フリー)ともいえますが、大学にとっての自由ではあり

ません。独立行政法人では学長の任命権、評価権を文部省が握るものです。税

制面でも様々な規制があることが明らかになっています。



 現在、国立大学の自由がないという点は事実ですから、どうしてそうなるの

かそのメカニズムや制度的な問題を究明することは非常に重要な検討課題でしょ

う。法制的な問題、行政指導の問題とともに、大学論など理念的問題も究明さ

れるべきです。



 法律上決定権がないのは私学も公立も同様で、国立だけの問題ではありませ

ん。私立大学は寄付行為や条令で運用上、事実上の決定権をもっているところ

は多いのですが。私立においては法人と教学(大学)との関係で、大学の自主

権を確保し拡大する課題が一貫して追求されてきています。しかし私大におい

てはこの点では大学(法人)毎に大きな違いがあります。



 国立(公立も)が私立と違うところは、財政や人事のほかに、(1)寄付を集め

るのに制約が大きいこと、(2)卒業生が学校運営の中に制度として位置付いてい

ないことがあげられるでしょう。前者は憲法上の規定に由来しています。しか

し絶対に出来ないと解することではないでしょう。後者について、私立学校で

は私立学校法によって法人の評議員に卒業生からも選任することが定められて

います。しかし国立・公立では卒業生は制度的に関与することは認められてい

ません。実態として同窓会はどの学校にもあるのに、国公立の場合は単なる外

郭団体でしかないのです。



 (3)法人化するときの形態 

  独立行政法人によって大学が法人格を持つということへの期待が一部にある

ことは、現在の国立大学があまりに規制が強いという背景があるからでしょう。

独立行政法人化によって、自動的に自由が保障されるということにはなりませ

ん。法人格を持つということと大学の自由とは別の問題であるからです。



 学校の法人格という点では、戦前、社団法人とした時期があり、その後財団

法人となりましたが、戦後その経験を総括して学校法人という制度を作ったの

です。わが国の教育の歴史的経験として学校法人という制度ができたことに十

分に留意する必要があります。学校法人による学校は、現在、私立学校と呼ぶ

こととされていますが、制度上いわゆる私立に限定される必然性はありません。

その一つに、設置者と設置される学校の区別があります。国公立の場合は明ら

かですが、私立学校の場合もこれは明確です。これは戦後改革の重要な点の一

つと考えます。



 しかし今回の国立大学の独立行政法人化は、法人と学校と一体的なものとい

う説明が文部省によって行われたという報道がありますが、そうであれば戦後

の設置者と設置される学校の区別という原則を否定することになります。この

結果は経営的観点と教育・学問の自由が正面からぶつかって現在の条件の中で

最善の解決を見いだすというより、どうしても経営的観点が優先するような運

営に陥る恐れが一層強まるのではないでしょうか。



 今回の独立行政法人構想が、すでにふれたように学長などの任免権も文部大

臣が握っているという制度のもとでは経営的観点が優先することになるのは火

を見るより明らかです。なぜなら業績が上がらなければ廃止すらおこりうるの

ですから。少なくとも経営と教学の両方が学長の責任になり、学長の負担がま

すます大きくなっていくのではないでしょうか。



 (4)法人化による天下りの増加 



 法人格をもつ場合の現実的に重大な問題は、文部官僚の天下り先になるとい

うことです。独立行政法人の場合も例外ではないでしょう。定年なども独立し

た法人となれば独自の規定が可能です。特に役員についてはこれまで以上の

「豊富な」天下り先が開拓されることになります。他の省庁と比べて天下り先

の少ない、うま味の薄い文部官僚としては、よだれがでる思いでいるのではな

いでしょうか。近年、与党が組閣毎に変わるようになって、官僚の力が一層増

してきたのではないかと思います。官僚の天下り政治によって、天下り先との

癒着がますますひどくなっています



 すでに研究機関や博物館等の独立行政法人化ではこの問題が指摘されていま

す。(大学改革情報ネットワーク02299、11月13日付新潟日報報道)ここ

では59法人で288人の役員ということですから、国立全部が別々の法人に

なるなら、この割合で行けばおよそ450人にもなりそうです。こうした事態

は大学を官僚の食い物にし、大学の荒廃をますます進めることでしょう。



 (5)国立大学の統廃合に道を開く



 主務大臣の行う中期計画の承認や、計画終了後の評価はこうした視点から行

われることになります。この結果、教職員一人一人にとっても、大学にとって

も果てしない競争とひっきりなしの改革に追い立てられることになるでしょう。

この結果、国がサポートを続ける大学は、数年の内に少数の研究大学だけにな

るでしょう。そうした成果を上げられない大学は地方移管や民営化あるいは統

合・廃校のいずれかになるほかはありません。



 (6)私立大学との「公正な競争基盤」はできるのか



  現在の独立行政法人の構想では、以上見てきたように、財政、自由度、設置

者、法人格などにおいて、私立大学と対等にはなりません。文部省の主張の中

にある矛盾を突いて、追求する必要があります。



  現在の国立が私立に対して優位な点は、財政的に保障されている、学費が比

較的安い、教員一人あたりの学生数が少ないなどの教育条件がよい、などがい

えるのでしょうか。これらは独立行政法人化でどうなるか保障はありません。





2、独立行政法人化は大学についての考え方を変える



 独立行政法人化によって国立大学の変化に止まらず、大学というものの考え

方に大きな変化を要求している点に注意を払う必要があります。公立大学・私

立大学では以前からそうなっていることが多いのですが、この影響を受けてさ

らにひどくなりかねません。これはユネスコ「宣言」「勧告」に照らして大き

な問題です。



  (1)3〜5年の中期計画の策定がいわれていますが、大学の教育研究はこのよ

うな短期の計画の積み重ねでよいという考え方を押しつけることです。現在、

新設大学では完成年度までの4年間、文部省の厳しい監督が行われますが、こ

れは4年という期間は「中期」ではなく、超短期であることを文部省自身が認

めていることではないでしょうか。どんなにすくなくとも大学にとって中期と

は8年から10年以上を指すのではないでしょうか。国際的にはどの国も21

世紀を展望して高等教育の発展を積極的に進めているなかで、この方針はあま

りにも異常です。



  (2)企業会計の導入により、経済的効率性の重視の視点から教育や研究の評価

がシビアに行われるようになるでしょう。これに基づいて国庫支出の大幅削減

が一層進められることになるでしょう。「宣言」の立場から厳しく批判されな

ければなりません。



  (3)設置者側(国立という限り、国が設置者であり続けるのではないか)の任

命権、承認権の確保・強化がされます。大学の自由・自治はどこにあるのでしょ

うか。設置者側の気まぐれな方針に振り回されたあげく、統廃合する「自由」

だけが残るのではないでしょうか。「宣言」や「勧告」のいう大学の自治と真っ

向から対立する方向です。



  (4)学費の差別化が導入されますが、経済的効率性をいうならば、費用のかか

る学部が高くなるだけでなく、「人気の低い」つまり学生が集まりそうでない

学部・学科も値上げされるようになるでしょう。これではますます学生は来な

くなります。無償制という国際的原則はどこへ行くのでしょうか。



  (5)教育サービスの「質」、投資(価格)に見合った教育の「質」という観点

が強調されるようになります。これは短期で味わえる、インスタントな充実感

や価値が重視されることになりかねません。資格取得のようにすぐ形に現れる

学習や、コマーシャルやマインドコントロールのような学生が成果と思いこむ

学習が強調されるでしょう。「宣言」がいうように「人間の諸活動のあらゆる

分野の必要に応じることができるよう、高度な資格を持つ卒業生および信頼で

きる市民を教育すること」という役割を十分尊重する必要があります。



  (6)研究の活性化がいわれていますが、短期に成果をあげるように「活性化」

するということでしょう。そうしなければ研究費はうち切られることになりま

す。今日の大学には世界的、人類的なな課題にしっかり取り組むことが求めら

れているのです。



 (7)大学教員の首切りがしやすくなります。旧「国立大学」では当面公務員と

しての地位を保障されるとしても、それでは行革の目的にあいません。当然し

かるべき時期には、教員評価などにより選別されるでしょう。それはかなり早

いと見るべきで、公務員身分は廃止されることになるでしょう。「勧告」で定

められた教育職員の権利の原則を十分にふまえることが必要です。





3、公立大学・私立大学への影響をどう考えるか 



 (1)国立大学の独立行政法人化の実施は、当然、公立・私立の大学にも跳ね返

るでしょう。特に独立行政法人によって大学というものの考え方に大きな変化

をもたらしすべての大学に対して影響を与えることになることは必至です。公

立大学の中には設置者が「独立行政法人」とすることを検討しているとこるが

でています。また学校法人(理事会)は大学(教学)に対してこれまで以上に

強くでることになるでしょう。これはそのまま大学の自治の侵害に直結します。

ここでは私立大学への影響を考えてみたいと思います。具体的には次のような

問題が生じることになるでしょう。



 a設置者の監督・統制が一層強化されるでしょう。独立行政法人となれば文

部大臣は主務大臣(事実上の設置者)として国立大学の中期計画承認、実施後

の評価と業務の継続などについての検討が行われることになっています。これ

が実施されれば現在教学にまかされている私大でも学校法人理事会が同様のこ

とを行うようになることが予想されます。



 b今回の独立行政法人化は、それぞれの法人の自助努力が一層要求されるこ

とになるものですから、私学においてもこのことは一層厳しく要求されること

になるでしょう。今日の状況の中で経済界ではリストラそれ自体が自己目的化

するという危険な状況に至っていますが、大学においても同様な状況になって

きています。しかしコスト削減を中心に自助努力を要求することは、大学の基

礎的体力を削減することになり、長期的に見れば大学の活力を減退させる働き

をすることになるでしょう。



 c独立行政法人に企業会計を導入するということは、私大会計基準の改変の

引き金になるでしょう。特に効率性の視点は今以上に一層強化されるでしょう。

これは一部でいわれている営利企業の私立大学経営への参入を進めることにつ

ながります。



 d教育研究の内容についても、社会的開示の要求が一層強まってきます。こ

れによって補助金の査定を行うなど、国や経済界の関与が一層進行するでしょ

う。特に、大学審答申でいうような目前の経済的要求に応える教育や研究が評

価されることになり、私立大学において、時間のかかる研究、基礎的研究はま

すます困難になるでしょう。



 (2)こうした問題を考えると、現在の学校制度の根幹にある、学校の設置者と、

設置される学校の区別の原則を厳密に守らせることが重要であると考えます。

学校教育法に定める学校の規定は国公私立すべての学校に共通した規定です。



 先般、文部省は、国立大学に運営諮問会議や評議会を設置するにあたって、

学校教育法の改正ではなく、国立学校設置法の改正で行いました。これはそれ

らの設置が国立大学だけの問題であるという理由によるものでしょうが、後述

する、すべての学校は同じ基準によって運営されるという原則(学校教育法1

4条は私立学校への適用が除外されている)を崩すものというべきです。(こ

ういう批判はまだ見ていません。)



 これまでも私立学校の経営団体と行政では、私立学校の教育の自由は設置者

である法人の(外部勢力に対する)自由であり、設置される学校の設置者たる

法人に対する自由ではないという解釈が主流です。これによって理事長や理事

会等の教学への不当な支配・干渉を正当化してきたのです。また公教育として

許されない生徒や教職員の人権を無視した教育が見逃されてきているのです。

今回の独立行政法人化が実施されれば、私立学校においても理事会側の支配・

干渉などは一層強まることでしょう。





4、大学というものをどう考えるか



  (1)浜林氏は、設置形態に関わらず大学が大学であるための必須の条件として、

a大学のことは大学で決める(自治)、b教育と研究の自由、c教育研究の安

定した人的物的基盤、の3つをあげています。(Join 第35号 2000年1/2/3

月号)これらは大学が大学として役割を果たしつつ存続していくために不可欠

の社会的、制度的条件です。



 学術研究がまとまるには長い時間が必要です。その間、教育研究が継続でき

る安定した組織と身分保障が必要です。政府や財界は大学の自治によって改革

が進まないと攻撃しますが、安定のためにはすぐに変わらないことが重要なの

です。そして真理の探究のためには教育と研究の自由が保障されなければなり

ません。これは専門家としての判断を認めるということです。そしてその判断

は、学問の内容だけでなく、教育と研究の組織の運営についても保障されるべ

きなのです。



 (2)これらは権利論としては思想・良心の自由や表現の自由などの基本的人権

に由来するものといえますが、こうした権利について日本国憲法は「この憲法

が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成

果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に

対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(第97

条)と規定しています。この点を改めて想起する必要があります。



 (3)こうした自由や自治の保障ないし権利は、教員・研究者の勝手に行使でき

る「既得権」ではなく、教員・研究者の社会的使命を遂行するための保障なの

ですから、その行使にあたっては高度な倫理性が要求されることになります。

ユネスコの高等教育教育職員の地位に関する勧告では教育職員の権利と自由と

ともに、義務と責任について詳しくのべていることに注目すべきです。特に、

「高等教育の教育職員の学問の自由に固有な個人的義務」として12項目にわ

たってのべています。この勧告や高等教育宣言の精神を十分にとらえて、大学

問題を考える上での基軸とすべきであると考えます。



 政府はこの勧告や高等教育宣言を公表・普及しようとはしていません。これ

は厳しく批判されなければなりません。



 (4)もう一つ考えておきたいことは、国立大学は国の出先機関かという問題で

す。わたしは国が大きな財政的支出をして大学を維持することの意義は否定し

ませんし、当然と考えます。しかしこれは国立大学だけの問題ではありません。

私大助成や公立大への助成を要求するのもこの立場からです。



  日本の政府は、大学とりわけ国立大学を政府にとっての付属機関として扱っ

てきた歴史があります。日本の大学は工学部をおいたユニバーシティとして、

世界でも初期に属するといわれていますが、これこそ明治政府が殖産興業、富

国強兵のために大学を設けたことを示しています。この考えがいまだに抜けず

に、今日では日本経済の国際競争力のために奉仕する大学を考えています。現

在の独立行政法人化はこの方向をめざすものであることは明らかです。



 しかし大学も国公私にかかわらず、教育基本法でいう「公の性質を持つもの」

です。ユネスコ宣言に示されているように、大学は財界や政府のためだけでな

く、広く社会全体の必要と期待に応えるべきものです。大学が、行政上の出先

機関ではなく、独立した社会的組織として存在できるように、そのあり方を検

討していくことが必要になっているというべきでしょう。



  このためには、戦後初期にいわれたように文部省とは別に中央教育委員会を

設けることや、本当に独立した法人格を持たせることなどが考えられます。2

1世紀の日本の高等教育をどのようにしていくか、関係者と国民の、幅広い視

点からの活発な論議を進めていきたいと思います。



付論    国立大学の法人格付与についての私論





  国立大学のあり方について、いくつかの法人化構想が出されています。もち

ろん法人化の前に、文部省のとっている国立大学行政の問題が十分明らかにさ

れる必要があることはいうまでもありません。少なくとも今すぐの課題として、

国立大学はいかなる法人になるかが焦点になるわけではないでしょう。今、法

人形態を検討することに意義があるとすれば、それによって文部省の大学行政

の問題点を明らかにするひとつの手がかりとしてでしょう。その検討の参考と

して学校法人制度の意義とその活用について考えてみました。



1、学校法人制度の歴史的意義



 (1)設置者と、設置される学校の区別



 戦後は国公私を問わず、学校は法人格をもたずにその設置者が法人格をもつ

こととなりました。戦前の私学は学校そのものが法人となるのが本則でした。

学校を設置する法人が学校を設置することもありましたが、それは例外とされ

ていました。しかし大正期ごろから文部省の通達で設置者と学校の責任者(校

長)と宛名が区別されるようになります。それが戦後の学校法人を設ける際に

考慮されたのではないかと思います。(以上、拙稿『戦前期私立学校法制の研

究』工学院大学共通課程研究論叢第35−1号1997年10月参照)この区

別は私立学校だけではなく、国立、公立でも同様に考えられました。そのため

設置される学校は、設置者の区別なく学校教育法によって規定し、設置者につ

いては国立は国立学校設置法、公立は地方自治法、私立は私立学校法によって

決められています。



 教育委員会制度の成立も、条件整備と教育・研究の推進とを区別する考えが

あったのであり、それが教育基本法第10条の規定(教育行政は条件整備が任

務)になったといえるのでしょう。ここでいう教育行政とは国や地方公共団体

だけでなく、学校法人の業務を含むべきだと考えます。このようにすることが、

真の意味において教育と学問の自由、大学の自治を保障することになるのでは

ないでしょうか。



 この原則が私立学校でも適用される事実を明確に示すこととして、一部で行

われている学園長というものの設置があります。これは法的な根拠はないので

すが、複数の学校を設置している学校法人が、学校の教育研究とその行政を統

括する責任者として校長、学長とは別に設けることです。実態としての機能に

はワンマン体制になることが多く、大きな問題がありますが。



 戦後に明確になった学校と設置者の区別は、教育的にも大きな意味があるよ

うに思います。それは学校の責任者(校長、学長)は教育・研究の推進に専念

し、財政などの条件整備は設置者が専らあたるという分業ないし責任分担の考

えではなかったかということです。法的には教育行政は条件整備を担当し、学

校は教育の自由を保障されるという戦後改革の原則をこの区別によって保障す

るという意義があったといえるでしょう。現在の文部省は、戦後改革において

設置者と設置される学校を区別したことを、おそらく自覚していないのではな

いでしょうか。あるいはわかっていて無視しているのでしょうか。



 学校と設置者が区別されることは、所管が変わっても学校が存続する場合が

あることでもいえるのではないでしょうか。たとえば学習院は官立から私立に

変更、いまある県立高校の中には、はじめは私立や郡立、町村立であったもの

があります。



 ただし私学において実態として、こうした戦後の原則が貫かれているかどう

かは大きな問題があります。



 ひとつはオーナー私学では理事長と学長が同じ人がなっていることが多いこ

とです。これは制度上否定されてはいません。しかし実態として理事長として

の職務と学長としての職務が区別されていない場合も多く、運営上の問題があ

ります。これがひどくなればワンマン経営ということになります。



 もう一つは早稲田や慶応のように学長がそのまま理事長を兼務するものです。

大学によって総長、塾長などの呼称があります。まだ確認したのではありませ

んが、これは戦前の大学自体が法人であったときの方式を受け継いでいるもの

と考えられます。こちらは一般には学内の選挙によって選出され、必ずしもワ

ンマン体制だというのではありませんが、理事会と教学の区別は運営上明確に

なっていない場合があります。これが直ちに問題であると考えているのではあ

りませんが、研究する必要があります。



 近年、組織の簡素化として、法人の事務体制をなるべく大学の方に移すとい

う傾向が、特に大きな大学で出ています。これは法人と大学を一体化するとい

うことではないのですが、どういうことを意味することになるか、まだ判断が

ついていません。



 (2)教育財産の保全



 学校法人は一般の法人と比べ、ひとたび教育のために寄付された財産は、学

校法人が解散した場合でも設立者が任意で配分することはできず、教育の事業

のために使用されるべきという制約があります。これは非常に重要な規定です。

つまり財産目当てに学校法人を解散することはできないのです。(もっともこ

れは抜け道がないということではありませんが。)



 (3)ワンマン経営・同族支配の排除、教職員・卒業生による運営の保障



  学校法人は必ず5人以上の理事をおき、理事長を選任しなければなりません。

それぞれの役員について同一の親族は1人をこえて含まれてはならないとされ

ています。



  学校法人は理事、評議員を教職員、卒業生、学識経験者等の中から選任する

ことになっています。これは本来の学校の運営のあり方ではないでしょうか。

先般設置することとされた国立大学の運営諮問会議はその大学の教職員を排除

していますが、とんでもないことです。同窓会などは実態として保守的な役回

りを担うことが多いともいえますが、それを理由に役員から排除されることは

公平な判断とはいえないと思います。同窓会の民主化は別の課題でしょう。む

しろ学校運営に責任を共有することによって、正しい認識を深めていくことと

思います。(この他、父母、学生・生徒の参加が保障されるべきです。)



 (4)行政からの独立、教育の自由の保障



  これについては戦後の学校法人制度ができるときに、国の監督・規制に対し

て私学経営団体が一致して反対し、大幅に後退させ、国などを監督庁とするの

ではなく、所轄庁とさせたという経緯があります。このことは大切な点ではな

いでしょうか。もっとも、新たに私立学校を設立するときは様々な規制があり

ます。



 教育の自由を隠れ蓑にして、私立学校の一部には教育基本法と全く合致しな

い教育理念や学校の運営があることは事実です。これは明らかに公教育として

問題がありますが、行政的規制ではなく世論の批判によって改めさせるべきで

しょう。



2、大学・学校の法人格の問題



 日本ではいずれの大学も、大学自体は法人格を持っていません。法人格を持っ

ているのは設置者のほうです。現在の制度でも国立の設置者は国ですから当然

法人格を持っているのですが、国立大学の法人格(自主権)が問題になるのは、

国のコントロールが強すぎるからでしょう。戦後の改革で、教育行政の一般行

政からの独立が問題にされ、文部省とは別に中央教育委員会の設置が提唱され

ましたが、国レベルの教育行政は一般行政から分離されませんでした。時々は、

党人ではなく民間人の文部大臣が任命されたことはありますが。地方の教育行

政は教育委員会で行われることになりましたが、その後一般行政に従属する度

合いが強まっています。そうした中で国立、公立とも自主権の確立、一般行政

からの独立が必要とされていることは当然のことです。このための方策として

国公立大学の法人化を検討するということ自体は、あり得ると思います。





 (1)わたしは国立大学が法人格をもつということ自体は、否定する必要はない

と考えています。それは教育行政の一般行政からの独立という、戦後の改革に

おいて重視された原則に照らしてみるとき、特に政府レベルの行政機関である

文部省は一般行政から独立しているか大きな問題があるからです。戦後当初の

議論の中には、行政委員会として中央教育委員会を設けるという案もありまし

たが、実現されませんでした。文部省組織令では高等教育局の事務として国立

大学の予算案の準備などが規定されていますが、実態は多くの人から指摘され

ているように、厳しいコントロール下におかれています。行革から発した独立

行政法人化がおこなわれればもっとひどくなるでしょう。



 現在のような文部省・大蔵省などの干渉から独立するために、法人格を持て

ば自動的に独立性が保障されるということはありません。法人という制度には

そこまでの機能は含まれていないからです。法人格をもつということが自由を

拡大することになるかどうかは他の条件整備と相まって意義をもちうると思う

のです。従って独立性を保障するための教育行政の方針転換と、制度的保障が

必要です。国立学校行政についても一般行政から独立して行われる必要があり

ます。法人化を進めることが当面の課題となるというつもりではないのですが、

そして、もちろんいま議論されている独立行政法人がそのようなものとなると

いうことでは決してありません。これは多くの人が批判している通りです。ま

た、法人化する場合は、文部官僚の天下りに対する規制を十分考えておくこと

が必要です。



 (2)こうした前提を踏まえて、将来、もし国立大学に法人格をもたせるとすれ

ば、これまでのわが国の経験からすれば、ありうる形は学校法人しかないとい

えるのではないでしょうか。学校法人という形は、すでに見たように、行政か

らの独立性と教育財産の保全、公教育としての公共性の保証といった面で、万

全ではないとしてもかなり完成された制度であると考えます。



 現在のところ、学校教育法では学校法人の設立する学校は私立学校というこ

とになっていますが、学校法人の規定それ自体はは非常に柔軟な規定です。そ

のままでいいかどうかの問題は検討しなければなりませんが、私立学校だけに

限られる必要はないと考えます。たとえば議会(国会、地方議会)で選任した

理事をいれたいとすれば寄付行為で定めれば可能です。これは、そうした方が

いいという意味ではありませんが。



  私立学校法では、理事、評議員の選出母体は規定していますが、選出手続き

は各法人の寄付行為にゆだねているのです。ですから新しい学校法人が、現在

の教育委員会と同じように委員を選出するとすれば、学識経験者の枠の中に寄

付行為に規定すれば可能ではないでしょうか。もちろん、議会の側では、法律

または条例によってそのことを規定しておかなければならないでしょう。



  現在でも私立学校の中にはいろいろな選任方法があります。評議員を理事会

が選任するところがあります。キリスト教系の大学で、宣教師などから理事に

なることを寄付行為で決めているところもあります。卒業生の評議員の選出で

も、同窓会の役員がが決めるところ、卒業生の選挙で決めるところ、理事会が

指名するところなどさまざまです。



 私はこれらの現状をすべて許容するというのではありませんが、このような

多様性は、私立学校の自主性にゆだねるという考えからでていることです。従っ

て私立学校のみならず、すべての学校がこのような自主性を認められるべきで

はないでしょうか。そしてそのことは設置者が最初に寄付行為で決めることで

す。寄付行為はあとから変更することもできますが、ある大学では、寄付行為

にキリスト教主義の教育を行うという規定があり、その条項は寄付行為の改正

の対象にならないと定めています。従って自治体などが設立するとき、必要な

条件は変更できないということを定めればいいと思います。



  こういった点が、学校法人というものが大変自由度の高い制度だという理由

です。ですからこの制度だけで民主的なやり方が保証されるというのではあり

ません。どういう内容にするかの努力はこうした方式をとった場合も必要です。



 (3)学校法人は私人が設立したとしても、設立すれば学校法人という人格をもっ

ているのですから、果たして私立という呼称が適当かという問題があると考え

ています。学校法人の目的は公教育ですから、学校法人も公的な存在です。に

もかかわらず、私立学校と呼ぶとされているのです。



 もともと私立学校という呼称は明治のはじめに、財政負担の主体によって名

付けたものです。官費によるものが官立学校、学区の民費によるものが公立学

校(ここでは町村費ではないことに注意)、一人または数人の私財によるもの

が私立学校とされたのです。この後、私立学校を法人とすることができるよう

になりましたが、私立学校という呼称はそのままにされました。戦後、私立学

校も公教育の一部を担うことが明確にされたにもかかわらず、私立学校という

呼称はそのまま使われています。



  しかし、明治のはじめに私立学校という言葉を用いたのは、私の感触で、ま

だ確認されたことではありませんが、私というのは公私の私(おおやけになら

ないこと、非公式のこと)であって、公や官に劣るものという意識が為政者の

側にあったのではないかと思うのです。また私立学校の関係者を含めて多分に

私教育としての私という意識もあったように思います。設立者の思いを実現す

るための学校であったのは事実でしょうが、私ということによって設立者が勝

手に、恣意的に教育をしてもかまわないというような認識を許したのではない

かと思います。政府も、私学の設置は特許として、設立を許すことが恩恵であ

るかのように、また私立学校が財政的に困難な状況にあることを放置しながら、

官学にはるかに劣る学校として位置づけ、とどめてきた歴史があります。



  こうした点を反省して、戦後の教育改革の中で私立学校も公教育の一環であ

ることを確認しました。すなわち国立、公立の学校とともに、私立学校も公教

育を担うものであることを明確にしたのです。私学助成も(現在非常な少額で

すが)こうした見地で行われています。また私立学校側は、設立者の個人的な

財産であるとしたり、恣意的な教育や運営を許さないために、私立学校法によっ

て同一親族が役員になることの制限や、解散時の財産処分の制限、理事会、評

議員会などに教職員や同窓生の参加を法定するなど、公共性を担保する仕組み

が作られているのです。もっとも実態としてはいろいろ問題があるのですが。

私学助成を止めさせたいという人々は私立学校という言葉が、私的なものとい

う印象を与えることを利用し、あたかも公教育ではないようにいっているよう

に思います。



  こうした恣意的な教育と運営、ワンマン経営、偏見(故意の宣伝)をなくす

ためにも私立学校という名称はもうなくした方がいいのではないかと考えてい

るのです。



 (4)具体的には次のように考えます。



 a.国立、公立、私立とも学校はすべて学校法人が設置するものとし、学校法

人について規定している私立学校法は学校法人法と改称します。(学校法人の

設立とその法人による学校の設置を区別すること)国立の学校の場合は、可能

性としては少なくとも次の3つがあるでしょう。

  1)すべての国立大学を一つの法人が設置する。

 2)大学毎に法人を設ける。

  3)数校をまとめて1法人が設置する。

 私立大学には2)、3)はすでにあります。1)、3)は国立大学の統廃合

を進めることになるでしょう。そうすると2)が一番現実的でしょう。



 公立大学もこれに準じて考えることになるでしょうが、高校までの学校は現

在の教育委員会の単位でいいのではと考えます。この場合、教育委員会は法人

理事会にあたります。寄付行為の改正は議会の意見を聞いて行う、あるいは議

会の承認を経て執行するという規定を寄付行為に定めても、それはそれで法律

上認められるのではないかと思います。あるいは学校設置条例を定め、それに

基づいて寄付行為を決めるという形がいいのでしょうか。



  来年4月より実施しようとしている運営諮問会議、評議会は廃止すべきでしょ

う。複数学部を持つ大学の全学的運営組織のあり方は、各大学の経験をふまえ

て十分な検討の上で、必要な場合に制度するべきでしょう。



  なお、国立、公立、私立の呼称を存続させる場合は、次にのべる財政的サポー

トの種類によるものとします。



 b.あわせて、財政の問題を改革します。それは法律で決める、人件費を含む

基準校費にもとづき、すべての学校に国から財政支出を行うことにすることで

す。これは教育費を基本的に無償とする立場で定めます。



 これに伴って、財政の公開はいま以上に行われるべきです。公的助成は、財

政状況、特に公的助成金の使途の明細を明らかにすること、教育などその法人

の活動について具体的にわかる報告を公開することを条件にします。これに基

づき、特に助成金の使途について適切な機関が点検し、助成の趣旨にあわない、

適切でない使用が発見された場合は是正を命じ、あるいは助成を停止するなど

の処置をとることとします。これは日本国憲法89条との関係で重要になりま

す。



  これに加えて国、地方公共団体などサポートする主体が財政的支援を行うこ

とを妨げません。ここでの財政支援は、国の財政支出とは区別して考えます。

それは設立やその後の業務委託などによって、国や自治体との特別な関係があ

る場合に支援(寄付)できるというつもりです。これを行う場合は、国または

自治体の方で、法または条例で必要な規定をしなければなりません。また、そ

の場合、経理の公開や事業報告など、適切な運用がされているかどうかの開示

や議会での審査などをうけることも必要でしょう。またそれぞれの学校や法人

が寄付を受けることを可能にします。



  大学の自治と、国や自治体のコントロールとは別の問題ですから、この二つ

を対立させるのではなく、両者が互いに他を尊重しながら、二つを両立させる

ように努力する必要があると考えます。



 c.さらに教職員については、公教育をになう全体の奉仕者であるという意味

で、現在とは異なる意味ですが、教育公務員とします。任免権の所在は学校法

人としますが安易な罷免・解雇はできないようにします。戦後改革の中で、私

立学校の教職員を含めての教育公務員構想がありました。教員身分法の制定が

考えられていたのです。これについては戦後改革期の提案が再検討されるべき

と考えます。



 (5)学問の自由と大学の自治が保障されるということは、大学自体が意志決定

が可能であるという意味において事実上の人格を持つといえるのではないかと

思います。ただこういうと設置者の人格と、大学の人格の関係はどうなるかと

いう深刻な問題が生じてきます。このあたりの問題を解決するにはどうしたら

いいのかは、専門家の意見を聞きたいと思います。



 いま大事なことは、教育の自由、学問の自由、大学の自治をどう確保するか

にあります。またそれなしには日本の教育と研究は将来にわたって十分な発展

を保障することはできないこと、独立行政法人化ではこれは保障できないこと

を明かにし、国民にアピールすることです。